
「今考えたら結構ターニングポイント」小6での決断、南米での経験、ガルナチョの記憶…22歳のファイターが非本職でドイツ古豪の主軸を担うまで【松田隼風インタビュー】
1つ1つ階段を上り、松田隼風は“最高峰”まであと一歩のところまでやってきた。
北海道函館市出身の松田は、JFAアカデミーから2022年に水戸ホーリーホックに加入。そして1年半後の2023年夏、19歳でドイツの古豪ハノーファーに移籍した。早々に海外挑戦を果たしたとはいえ、4部で戦うセカンドチームからのスタート。そこから3部への昇格、4部への降格を経て、今季から2部のトップチームでプレーしている。
念願のチーム内昇格を勝ち取った気鋭のレフティは、リーグ前半戦の全17試合に出場。途中出場は2試合のみで、中心選手として存在感を示している。チーム成績は8勝5分4敗で5位。2018-19シーズン以来の1部復帰に手が届く位置につけている。
束の間のウインターブレイクに入った今、松田へのインタビューを実施。胸中に深く迫った(第3回/全3回)。
【第1回】「昇格以外は目標がない」J2→ドイツ4部→3部→2部…10代から異国で勝負する若き“たたき上げ”。古巣水戸に続け!最高峰まであと一歩
【第2回】「気付いたら揉みくちゃにされていた」「普通の人でも日本の何倍も――」ドイツでの超刺激的な日々「最も驚いた文化」は?
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「小学校の時は割と前のポジションをやっていたので、香川真司さんとかが好きだったんですけど、中学校からはサイドバックだったので、サイドバックの選手を好きになりました」
松田はそう振り返ったように、サイドバック、それも左サイドバックにこだわりを持ち、左サイドバックとして世間に知られる存在となった。ただ現在は、チームが3バックを採用しているなか、より攻撃的で本職とは逆サイドの右ウイングバックでの出場が続いている。
ポジションをどう捉えているのか。
「初めての2部の挑戦なので、試合に出ることが1番重要。そこからのスタートだと思っています。今は右サイドのポジションを与えてもらっていて、『左やりたいな』とも思ったりしますが、与えられたところをやるしかないって感じですかね」
自身の「武器」もポジション変更に伴い、臨機応変にアジャストしている。
「左だったら分かりやすく、攻撃面、縦のドリブルが武器としてあったんですけど、今は右なので運動量などが武器です。慣れない部分があるなかで、人の倍走ったり、監督に求められていることを徹底してできるのが、右サイドでプレーする僕の強みです。あとは、走力や球際で戦えるところ。監督から『ファイター』と言われています。戦える、フィジカル面の能力も武器かもしれないです」
【動画】まさにスーパー!PO決勝で松田隼風が左奥から決めた超絶ゴール
北海道出身の松田は、中学に上がる際、「コンサドーレも選択肢にあった」なか、当時静岡県の時之栖を拠点としていたJFAアカデミーを進路に選んだ。小学6年で下した決断は、キャリア形成において、非常に大きかったと言える。
「北海道はコンサドーレがメインで、正直、他のチームはそこまで強くありませんでしたが、JFAアカデミーでは、時之栖に強いチームが来て試合ができました。中1から親元を離れてJFAアカデミーに行ったのは、今考えたら結構ターニングポイントになったかなと思います」
学生時代も順調にステップアップ。U-16日本代表を皮切りに、各世代別代表でプレーした。
「代表は高校1年生ぐらいから入り出して、そこからU-20までずっと入っていました。学生の時は入って当たり前みたいな感覚があったので、代表のユニホームを着ても正直そこまで何も感じませんでした。今思えば、代表でプレーできたのはすごく光栄だったなと思いますし、またプレーしたい思いはありますね」
2023年にはU-20W杯に出場した。しかし、セネガルを1-0で下して白星発進した後、コロンビアとイスラエルにいずれも1-2で逆転負けし、決勝トーナメント進出を逃した。
「アルゼンチンでやったんですけど、練習環境もそこまで良くなかったですし、慣れないことの連続だったので、良い成績を残せないまま終わってしまいました。ですが、1つ大きな大会に出られたのは、サッカー人生を振り返った時に、すごく良い経験にはなったかなと思います」
世代別代表を通して、数々の若きスターと対峙した。その中で最も印象に残っている選手には、2022年にU-19日本代表として臨んだモーリスレベロトーナメント(旧トゥーロン国際大会)で顔を合わせた、アレハンドロ・ガルナチョ(現チェルシー)を挙げた。
「僕はあんまり対戦相手に興味を持ったり、印象に残らないんですけど、トゥーロン国際でアルゼンチンと試合をした時にガルナチョがいて、『うわっ、めちゃくちゃ上手いな』と思いました。その時はガルナチョを知らなくて、後からガルナチョだったと知りました。当時名前は知らなかったけど、すごく印象に残ったのはその選手です」
そのトゥーロン国際も自身を形作る大会になった。「それまでは別に全然、海外の意識はなかった」ものの、「トゥーロンの時とかに『海外良いな』と思い始めた」ようだ。
そうしたきっかけを経て、海外挑戦を現実のものに。ドイツでハードに戦う22歳のファイターは「徐々に、段階を踏んで上がってきたタイプなので…その場、その場は苦しいことも結構ありましたけど、継続して頑張っていたので、今思えば挑戦して良かったなと思います」と頷いた。
やはり1つ、1つ。様々な逆境を乗り越え、経験を積み重ね、今日の松田隼風がある。そしてまた、明日はより高い位置にあるために。貪欲に自らを磨き続けている。
取材・構成●有園僚真(サッカーダイジェストWeb編集部)
