2026年の正月興行に、特徴的なことがあった。テレビ局が中心になって製作した邦画実写作品がなんと、3本も激突したのだ。珍しい。今回はその1本を取り上げる。
福田雄一監督の「新解釈・幕末伝」(製作幹事会社・日本テレビ)である。評判があまり芳しくない。興行的にも興収10億円が間近だが、期待どおりではない。
福田監督は2025年に3作品を送り出した、売れっ子監督である。「国宝」の李相日監督が昨年の映画界の「表の顔」なら、福田監督は「裏の顔」と言ってしまいたい。
映画で笑いたい欲求が高い筆者は、なぜか福田監督の新作には駆けつける。もちろん、複雑極まる心持ちを抱いている。笑えないケースが多いからだ。
そのことを、これまでの作品から知っている。笑いたいのに笑えない。これは苦痛である。そのたびに、顔がこわばるのだ。
ところが、それをわかっているのに映画館に行ってしまう。つまり、こちらの心情はかなり屈折しているということだ。
それが今回、ハッとしたことがいくつかあった。福田監督の作品が「グレードアップ」していたのである。どこが、と突っ込みが入ろうが、笑いらしき場面に工夫のあとが見受けられたのだ。
冒頭いきなり、市村正親扮する学者が幕末の歴史を語り始める。映画が進む過程で何回か登場するのだが、ときに芝居っぽく、ときにコミカルな味を出す市村の語り口が実にうまい。
これが映画全編のちょっとしたクッションになっていて、相変わらず多い、笑えない場面をソフトに補填してくれる。つかみはオッケーといった感じだ。
福田作品の両雄、ムロツヨシ(坂本竜馬)と佐藤二朗(西郷隆盛)との本筋のやりとりが、なかなか見せた。いつもの空々しい調子とは少しニュアンスが違う。出ずっぱりのムロが空回りするのは仕方ないが、今回のムロはそのような役回りである。1人で突っ走っている。
ポイントは、ムロの話に終始むっつりした表情で相対する佐藤の「変貌」のほうにある。薩長同盟をめぐる話し合いで、しゃべりっぱなしのムロに対して、あくまで沈痛な表情で黙りこくる佐藤。いつものグダグダがない。笑っていいのではないか。
業を煮やした佐藤=西郷がムロ=坂本に発した一言、「死ねば」が笑いの号砲でもあろうか。このセリフがあったことで、本作について書いてみようと思ったくらいだ。
もちろん、笑えない場面をいささかも「手加減」せず、長引かせる手法は健在だ。鬱陶しいのは確かだが、それを承知で、あえて「グレードアップ」と言うのである。
ここで注文をひとつ。広瀬アリス(おりょう)の演技のつけ方である。はじけ具合が悪くはないのだが、ムロや佐藤と違って、福田組の常連ではない彼女の場合は、演技のメリハリが欲しかった。
広瀬の演技はひとつの方向性で突き進む福田節なのだが、その「落ち」として柔軟なしぐさに転化させると、さらに彼女の魅力が際立ったのではないか。これはいつも感心する、吉本新喜劇の女性芸人の芸風だ。
誰も大真面目に福田雄一を語らない。その心情、実によくわかる。だからこそ、以上のような文章を書いた。
さてさて、今年は目黒蓮主演の「SAKAMOTO DAYS」がある。その出来栄え、興行やいかに。屈折の度合い、否、期待の度合いが増すことは間違いない。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。「アメリカ映画に明日はあるか」(ハモニカブックス)、「昭和の女優 官能・エロ映画の時代」(鹿砦社)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2025年に34回目を迎えた。

