
「世も末じゃな」この言葉は現代人も口にしますが、古代ローマ人も同じことを言っていたというのがよくネタにされます。
ここには時代を超えて人類に共通する秘密が隠されているかもしれません。
米国のハーバード大学(HU)とコロンビア大学(CU)で行われた研究によると、「世も末じゃな」という言葉に代表される道徳的荒廃は錯覚に過ぎないことが示されているという。
2000年前の歴史家から現代の政治家まで、人々は「道徳が日に日に低下していく」という感想を持ちます。
実際アンケートをとっても、圧倒的多数の人々は時代が進むほど道徳的荒廃が起きていると答えます。
しかし研究では膨大なデータを使って、道徳的荒廃という錯覚がいかにして人間の心理から発生しているかが示され、一部の不誠実な独裁者や政治家たちが、この錯覚を利用して利益を得ていると警鐘をならしています。
いったいなぜ人類はいつの時代も「世も末」という言葉を口にし続けたのでしょうか?
研究内容の詳細は2023年6月7日に『Nature』にて掲載されました。
目次
- 何千年も前から世界は常に「世も末」だった
- 道徳的荒廃は錯覚に過ぎなかった
- 現代より過去のほうが「いい時代」に感じてしまう心理
何千年も前から世界は常に「世も末」だった

「世の中が道徳的に日に日に荒廃していっている」と感じたことはありませんか?
昔は維持されていた親切心や人情、思いやり、誠実さが現代社会ではことごとく踏み荒らされ
「道徳性が高い人が蹴落とされ、道徳を軽視する人間が時とともに増えている」
そう思ったことはないでしょうか?
こうした考えは別に特別なものではなく、調査を行うと人類の中で「圧倒的多数」を占めていることがわかっています。
世界中の同時代に生きる人々が同じように考えているならば、それは真実に違いないと思えるでしょう。
しかし証言の収集範囲を時間軸をさかのぼって過去に伸ばすと、奇妙な現象がみえてきした。
道徳的荒廃の「歴史」は数千年に及ぶ

道徳的荒廃を嘆く声は数多く聞こえてきます。
たとえば「私たちの道徳的衰退は、道徳の基礎地盤の沈下からはじまった。道徳的荒廃は国家や文明の荒廃につながる」という有名な主張もその1つです。
これも一見すると、現代の道徳的荒廃に嘆く政治家や評論家の言葉に思えますが、実は2000年以上前にローマ史を記したリヴィリウスによって記されたものです。
さらに現存する古代の文献を調べてみると、多くの歴史家たちが、彼らの生きていた時代で道徳的荒廃が急激に進行していると書き記されています。
よりわかりやすく言えば、2000年前の古代ローマの歴史家も、1000年前の中世の修道士も、100年前の明治時代の文豪も、そしてもちろん現代の私たちも、誰もが常に「世も末」との結論に至っているのです。
もし彼らの言葉が正しければ、人類は少なくとも文字を使い出した数千年前から今現在に至るまで、回復することなしに道徳性が低下し続けていることになります。
そして理論上、私たちの道徳性は過去のある時点で最高点にあり、数千年間の絶え間ない道徳的堕落を経た現代は、黙示録的な世界となるはずです。
しかし、過去にそんな道徳的ユートピアがあっという話は聞いたことがありません。
また現代社会にも多くの問題があるものの「数千年分の道徳的荒廃が積もった地獄のような世界」というわけでもありません。
そうなると、一種のパラドックスが出現します。
なぜ人々の証言は、こうも現実と乖離しているのでしょうか?
そこで今回、ハーバード大学とコロンビア大学の研究者たちは人々が口にする道徳的荒廃が真実なのか(第1の謎)を確かめるとともに、なぜ「いつの時代も常に世も末」と言われるのか(第2の謎)を調べることにしました。
道徳的荒廃は錯覚に過ぎなかった

人々が時と場所を超えて口にする道徳的荒廃は事実なのか?
第1の謎の答えを得るため研究者たちは、1949年から2019年の間に行われた道徳的価値観にかんする米国の調査を分析することにしました。
すると全体の84%にあたる人々が「道徳が衰退している」と答えていることが判明。
加えて他の国で行われた道徳にかんする調査でも、人々は時代を超えて「道徳が衰退している」と答えていたことがわかります。

2020年に行われた試験では参加者たちに対して「親切さ、正直さ、丁重さ、善良性」が、参加者の生まれたときと今現在を比べてどうなっているかを尋ねたところ、上の図のように、やはり低下しているとの答えが得られました。
また興味深いことに「道徳が荒廃している」との答えは、国や文化、保守性、リベラルさ、人種、性別、年齢、教育レベルが違っても共通していることが判明します。
新聞のコラムなどメディアが発信する「世も末だ」という話題は、主に高齢の人々から発せられる印象があります。
しかし研究によると、これは高齢者固有の意見なわけではなく「老若男女」「古今東西」「改革保守」などの傾向を問わず、全人類が共通で抱いている見解であることが示されたのです。
こうなると、やはり道徳的荒廃は過去から未来に絶え間なく続いている現象にみえてきます。
しかし各時代の実験参加者に自分たちの時代の道徳性について評価してもらったところ、時代が変わっても評価がほぼ一定であることが示されました。
わかりやすく言えば、1980年代の人々が1980年代の道徳性を100点満点中60点と評価していたとすると、1990年代、20000年代、2010年代、2020年代の人々も同じように、自分たちの時代の道徳性を60点ぐらいだと考えていたのです。
もし道徳性が時代を超えて崩壊しつづけているなら、時代が進むごとに各時代で感じる道徳性の評価が下がり続けてもいいはずですが、実際には一定の値をとり続けました。
またこれまで行われてきたような「道徳の荒廃が進行しているか?」との質問方法には1つ問題がありました。
「道徳の荒廃が進行しているか?」という質問をされたとき、多くの人々は「社会全般」の道徳にかんする印象を述べます。
「社会全般の印象のどこが問題なのか?」と疑問に思うかもしれません。
しかし「社会全般」の印象を尋ねるアンケートでは、しばしば参加者自身や身近にいる人々については、考慮の外に置かれることが知られていました。
参加者は社会全般の印象を尋ねられるときには「自分の知らない人々」について答えを出すからです。
よりわかりやすく言えば「道徳が急速に荒廃している」と答えた参加者であっても、自分自身や自分の家族や友達の道徳性までは疑っていないケースがあるのです。
社会全般と個々人の周囲の人々は、確かに別物であり、結果が違うこともあります。
ですが「自分の身近にいる人々の道徳性」についての膨大なデータがあれば、社会全般の道徳性の代替品として機能させることができます。
そこで研究者たちは過去に行われた道徳性にかんする調査から、参加者自身や参加者の身近な人々の道徳性について尋ねているケースを集中的に集めてみました。
このケースでは「過去12カ月の間に、見知らぬ人の荷物を運んであげたことがありますか?」や「過去12カ月の間に電車で他人に席を譲ったことがありますか?」また「周りにいるのは自分のことばかり考える人ばかりですか?」といった質問がなされています。
もし道徳性が時間の経過とともに常に荒廃し続けていたなら、参加者自身や参加者に近しい人々の具体的な行動も不道徳化していくはずです。
しかし実際には、参加者自身や参加者周辺の人々の道徳的行動はほとんど変化していないことが判明します。

この結果は、参加者たちは社会全般の道徳が日に日に荒廃しているとの「印象」を持っていても、参加者自身や参加者の周囲にいる人々から「実際に観察」される道徳性は変らず維持されていることを示しています。
つまり印象と実際の観察の間にズレがあったのです。
どちらがより現実に近い答えかを考えれば、それは当然観察結果でしょう。
そのため研究者たちは、人々が時代や場所を変えて証言し続けている「道徳的荒廃」は錯覚であると結論しました。
つまり第1の謎「道徳的荒廃が真実なのか?」の答えは「NO」となります。
しかしそうなると気になるのは、なぜそのような錯覚が発生するのかということです。

