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「鈴木宗男の“愛人の子”とまで書かれたことがある」自民党広報本部長・鈴木貴子が語る誹謗中傷との戦い「放置したら民主主義が劣化」

「鈴木宗男の“愛人の子”とまで書かれたことがある」自民党広報本部長・鈴木貴子が語る誹謗中傷との戦い「放置したら民主主義が劣化」

2025年、高市早苗内閣で最年少の自民党役員に就任した、鈴木宗男の娘で、衆議院議員の鈴木貴子広報本部長。機関紙の大胆なリニューアルを敢行し、SNSではショート動画を軸にした新たな広報戦略で党勢拡大を目指す。Xのフォロワーは就任前から倍以上の約6万人に増え、どんな批判にも切り返す姿が話題だ。

そんな彼女に、政治家になるまでの道のりと、広報本部長としての挑戦について聞いた。(前後編の前編)

「金魚のフン」だった少女時代

「実は、すごくシャイな子どもだったんです」

インタビュー冒頭、鈴木貴子議員は意外な告白から話を始めた。

「母に『挨拶しなさい』って言われるぐらい、人に会っても『こんにちは』が言えない子で。あだ名は『金魚のフン』。母の後ろにぴったりくっついて、こう、ちょこっと顔を出してるような」

生まれただけで十勝毎日新聞の1面を飾ったという、北海道を代表する政治家である鈴木宗男参議院議員の娘。幼少期は父が中選挙区制の広大な選挙区を回っていたため、月に1回会えるか会えないかという生活だった。

「後援会のいろんな家庭に預けられていて、幼稚園に入園させることを忘れられていた子どもなんです」と笑う。

両親が忙しく飛び回る中、鈴木議員は自然と両親の仕事についていくようになった。

「子どもって大人の真似事をしたいじゃないですか。世間一般のお子さんがお母さんのお化粧を真似するように『私にもしゃべらせてよ』って、3歳ぐらいから人前で話していたんです。純粋に親と一緒にいたいという気持ちだったと思います」

それでも、政治家になりたいとは一度も思わなかった。親と離れる時間が多く寂しい思いをしていたこともあり「将来絶対に政治家の奥さんにはならない」と言い続けていたという。

Yahoo!ニュースで知った「鈴木宗男の娘出馬」

転機は2012年。当時社会人だった鈴木議員は、会社のパソコンでYahoo!ニュースを開き、驚愕した。

「『鈴木宗男の娘出馬』って書いてあったんです。え、娘って私しかいなくない? って。会社の雰囲気がなんかおかしいなと思ってたら、15分後に上司に呼ばれて『選挙に出るのか?』って」

父は公民権停止中。頼まれたわけではなかった。むしろ母は大反対の急先鋒だった。しかし、地元・北海道の後援会の人々が鈴木議員のところまで来て、こう訴えたそうだ。

「鈴木貴子で勝負したい。司法は鈴木宗男を利益誘導の政治家だと判断したかもしれないが、自分たちが信じてきた、支えてきた政治家・鈴木宗男はそうじゃない。それを世の中に示したい」

幼いころからずっと地元で育ち、父の選挙ではマイクも握ってきた。地元愛は誰にも負けない自信がある。後援会の人々が頭を下げる姿を見て、鈴木議員は思った。

「もしこれで断ったら、私は2度と北海道に帰れないだろう。でも私は北海道に帰りたい。離れられない。捨てられない、あきらめられないと思いました」

それでも、父・宗男議員は「出てくれ」とは一度も言わなかったという。

「もし父が『貴子、すまん。出てくれや』って言ってきたら、机の上をバンと叩いて『ふざけるな。あなたの人生に私をこれ以上巻き込まないでくれ! 取り返したいものがあるなら自分で取り返すべきだ!』って、言うつもりでした。でも、父は最後まで何も言わなかった」

鈴木宗男・貴子という、日本でも有数のエッジの効いた親子の本質を表すエピソードだろう。

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