最新エンタメ情報が満載! Merkystyle マーキースタイル
盲目でもスケートボードに乗り続けるには・・・運命の出会いで変わった大内龍成の人生

盲目でもスケートボードに乗り続けるには・・・運命の出会いで変わった大内龍成の人生

「まだ賞味期限切れじゃない」。運命を変えた出会い

同じ網膜色素変性症と診断されたスケーター、ダン・マンシーナとの出会いによって大きく変わった大内さんのスケーター人生

――スケートボードに熱中するものの、視野が狭くなっていくことに、どのような葛藤がありましたか?

大内: 「プロになりたいけど、絶対なれないな」という思いがありました。やっぱり目の病気があるから、自分が追求したいレベルには到達できないのかな、自分はみんなより先に辞めなきゃいけないのかなと。そういう未知の不安や葛藤にすごく苛まれていました。

――その葛藤を乗り越えるきっかけは何だったのでしょうか?

大内: 同じ網膜色素変性症のスケーター、ダン・マンシーナとの出会いでしたね。プロになった地元の友達が彼の映像を見つけてきて、「お前もやろうぜ。これで言い訳できなくなったな。俺らは協力するって言ってるんだから、あとはお前次第だろ?」って言ってくれて。そこまで言ってくれるならやりたいと思いましたし、その時、「俺はまだ賞味期限切れじゃないんだ! むしろ降りるっていう選択肢を取らなければ、ずっとやれるじゃないか!」って気づかされて。そこからはもう、絶対に降りないと心に決めました。

「見えているふり」をしていた過去

両親が反対していたため、当初はボードを買うことができなかったという大内さん。そこで友人から細かなパーツをもらい、自ら組み立ててスケートボードをしていたそう

――ご両親は当初、スケートボードに反対していたそうですね。

大内:病気の進行に影響するんじゃないかと心配していたからですね。でも自分はもともと飽きっぽい性格で、何かに夢中になることがなかったんです。でもスケートボードだけは違いました。親が買ってくれないから、スケーターの友達を増やして、ベアリング1個、ビス1本からパーツを集めて、自分で1台組み上げて滑っていました。それがバレて没収されても、親がいない間に見つけ出してまた滑って…を繰り返しているうちに、最終的に親が折れてくれました。「そのかわり安全にやれよ。あと自分の目のことはわかってるな!?」って。もちろん、それも全部覚悟の上でやりたかったので、押し切った形ですね。今ではすごく応援してくれています。

――高校時代、病状が悪化して「見えているふり」をしていた時期があったそうですね。

大内:今の僕は「やるのか? やらないのか?」の2択で考えるようにしているんですけど、当時は「やりたいけど、でも」って言い訳ばかりで、自分の気持ちに正直じゃなかった。だから自分に対してずっとイライラしていました。友達と一緒にいても「なんで自分だけ……」って思ったり、どれだけ練習しても周りの方が上手くなっていくのも辛くて、置いていかれる感じがすごくありました。できていた技ができなくなっていくのが、本当に悔しかったですね。

配信元: パラサポWEB

あなたにおすすめ