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今回お話を聞いたのは、タレント・実業家の水沢アリーさんです。『今夜くらべてみました』(日本テレビ)『しゃべくり007』(日本テレビ)などのバラエティ番組に出演し、タレントとしてブレイクしてから13年、現在は海外のセレブリティと日本企業をつなぐ広告企画会社の社長としても活躍しています。
誹謗中傷、タレント業激減、父の死……さまざまな困難を乗り越え、芸能界からハリウッドを舞台とするグローバルビジネスの世界に飛び込んだ彼女は、どのようにして新しいキャリアを築いてきたのでしょうか。
“記念で出演”からまさかの次のオファーへ。ブレイクに伴って増える誹謗中傷の声
──スカウトを機に大学時代にタレントデビューした水沢さん。もともとはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?
高校時代は茶道部、大学時代は写真部に所属していて、どちらかと言えば一人で静かに過ごすことを好んでいましたね。
写真部に入ったのは、写真を現像する「暗室」と呼ばれる個室を使いたいからという安易な理由で。写真やアートに興味はありましたが、1番大きな理由は、大勢の大学生で賑わうキャンパス内で一人になれる場所を確保したかったからなんです(笑)。
もちろん当時は、自分が芸能界に入ってバラエティタレントになるとは夢にも思っていませんでした。

──そこから、現在も所属する芸能事務所に入ってわずか2週間で『今夜くらべてみました』のオーディションに合格。「これからタレントとして生きていく」と思い始めたのはいつごろからだったのでしょうか?
はじめてのバラエティでは、「記念にテレビに出演できた!」と思っていたぐらいだったのが、まさかの次のオファーをいただいて。それが『しゃべくり007』でした。このころが、一つのショーを、出演者・スタッフの皆さんとつくり上げるのはこんなにも楽しいんだと実感しはじめた時期でした。
自分の発言で笑ってくれる人がいて、求めてくれる人がいる。プロの芸人の方々に、「これまで気付かなかった自分の魅力」を引き出していただけたのもうれしかったですね。
この世界で生きていこうと決めた大学3年生の終わり、22歳のときに、大学を中退しました。
──人気番組『しゃべくり007』にも出演されるなど、瞬く間にバラエティで大ブレイクし、これまでの生活が一変したのではないかと想像しています。
芸能界のお仕事はとにかく不規則なので、まずいつもの生活リズムは一瞬にして崩れました。夜遅くまで『もしものシミュレーションバラエティー お試しかっ!』(テレビ朝日系)内の企画『帰れま10』で大食いチャレンジをして、仮眠を取ったら翌日早朝から『戦闘中』(フジテレビ)の収録で全力で走り回る、とか。ピーク時は、移動時間やヘアメイク中などの寝られるときに睡眠を確保していました。いわゆる定時勤務を経験したことがなく、20代だったからこそこなせていたスケジュールだと思います。
あと、街中で初めて声をかけてもらったときのこともよく覚えています。原宿で男性の方がキラキラした目で話しかけてくれて。テレビの中にいる「明るくて元気な水沢アリー」として応えようと、“タレントスイッチ”がオンになったときに、生活や自分の変化を感じました。
──活躍の裏では、心ない言葉を浴びることも多かったと伺いました。当時はどのように自身の気持ちを保っていましたか?
最初のころは、自分に向けられた悪意をそのまま受け取ってしまっていて、正直まったく気持ちを保てていませんでした。SNSで「かわいくないくせに」と書かれていたら、「私ってかわいくないんだな」と自信を失っていて……。
それでも、収録があれば、タレントとして求められることを精一杯やるしかありません。収録現場ではアドレナリンが出ているので、その中で自然と頑張ることができていたし、素直に楽しかったんです。ただ、誹謗中傷が怖くてオンエアを見るのは憂鬱でした。
20代の小娘に悪口をぶつけてくる人がこんなにもいるんだと、世間の闇に驚き、飲み込まれながら、最終的に落ち込むところまで落ち込み切った。でも、そこまでいくと、急に「無敵状態」になったんです。「もうこれ以上落ち込むことはない、自分を守れるのは自分だけだ」と。
悪口をぶつけてくる人は、私のことをこれっぽっちも知らないじゃないですか。だから、聞くべき声は信頼できない他者ではなく自分の声なんです。たとえ「美しくない」と言われても、自分はそれが真実ではないと分かっている。むしろ「いつか私の魅力に気付けるようになればいいね」というマインドになっていきました。

26歳で芸能活動休止。芽生えたのは「自分で人生をコントロールしたい」という想い
──ブレイクから約3年半、26歳で芸能活動を2年間休止する決断をされました。その背景を教えてください。
地上波の仕事がほとんどなくなって、仕事の量や質がピーク時からどんどん変わっていくのは感じていたんです。周りからも「これからどう生きていくの?」と問いかけられていて、自分でも悩んでいたタイミングで父が亡くなって。仕事が忙しくなかったから、亡くなる前に父にたくさん会いに行けたのは唯一の救いでした。
でも、暇は悲しみを紛らわせてはくれないんですよね。自分の生活を思いっきり変えなければ、この先、生きていけないと思い、イギリスのロンドンで暮らしてみることにしたんです。
──なぜ、イギリスに?
ロンドンって街の雰囲気も素敵だし、なんとなく暮らしてみたいなってずっと思っていたんです。
誰も自分を知らない場所で、毎日博物館や美術館に入り浸って、アートに触れる日々を送りました。イギリスの博物館は、常設展なら基本無料なんですよ!
美味しいものを食べたり、現地のおじいちゃんにホットヨガを習ったり、観光の延長のような楽しい2年間をすごしました。ときどき日本に帰りながら、思いのままに生きた時間でしたね。


