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「シャーロットにおいて、カリーという名は特別」息子ステフィンが敬意。ホーネッツ創成期を支えた父デルの栄誉<DUNKSHOOT>

「シャーロットにおいて、カリーという名は特別」息子ステフィンが敬意。ホーネッツ創成期を支えた父デルの栄誉<DUNKSHOOT>

1月14日、ステフィンとセスのカリー兄弟の父、デル・カリーの背番号30が、シャーロット・ホーネッツの永久欠番となることが発表された。

 現在61歳のデルは、1988年のホーネッツ創設メンバーの1人で、16年間のNBAキャリアのうち10シーズンをシャーロットで過ごした。同球団での通算9839得点は、2017-18シーズンにケンバ・ウォーカーに更新されるまで、長らくフランチャイズ記録だった。

「父はNBAで16年間プレーしたけれど、自分がNBA入りした当初、それはとんでもなくすごいことだと感じていた。セスも同じだ。僕は今季で17年目、セスは13年目になるけど、僕は父の記録を上回り、弟もまた、その道を進んでいるというのは本当に驚くべきことだ。

 NBAのレベルに到達するだけで相当大変だけど、さらにそこで成功を収め、後世に残るような功績を残し、長いキャリアを築くことがどれほど大変かわかるからね」

 デルの栄誉に際し、ステフィンはそう感想を語っている。

 父の背中を見て育ったカリー兄弟にとって誇らしい出来事であることは間違いないが、その父のキャリア年数を追い越したことに、ステフィンは感慨深い思いを抱いていることだろう。
  カリー一家は、ステフィンが生まれた1988年にデルのホーネッツ入りに合わせ、シャーロットに移住。99年のトロント・ラプターズ移籍に伴い、一時カナダに拠点を移したが、父の引退後に再びシャーロットに帰還。ハイスクール時代を送った同地は、ステフィンにとってもバスケキャリアの基礎を築いた思い入れが深い場所だ。

「シャーロットにおいて、カリーという名前は特別なんだ。この街では、人々は父を、この球団の創設期を支えた草分け的存在と呼んでいた。僕たち一家は、1988年のエクスパンション・ドラフトの時にシャーロットに移り住み、父はフランチャイズの創設メンバーの一員だった。

 そして、オリジナルメンバーの中では最後までチームに在籍して、ケンバ・ウォーカーに抜かれるまで、球団の最多得点者だったんだ」とステフィン。

 デルは、ホーネッツにとって球団史上3人目の欠番選手となるが、現役時代の功績が評価されてこの栄誉に預かるのは、彼が初めてだ。

 1950~60年代にボストン・セルティックスに11度のリーグタイトルをもたらしたビル・ラッセルの背番号6は、2022年の彼の死後、NBAの全チームで欠番となった。そのためプレー歴はないものの、ホーネッツでも永久欠番となっている。 そして球団OBのボビー・フィルズは、ホーネッツ在籍中の2000年1月に交通事故により、30歳の若さでこの世を去った。事故の翌月に、彼の死を悼んで13番が永久欠番となった。

 ステフィンも今回の栄誉は、父の選手としての実績が評価されたものであると強調している。

「ボビー・フィルズ(のジャージー)が天井に掲げられているのには正当な理由があるけれど、父が最初のアスリートとしてそこに名を連ねるのは、本当に素晴らしいことだと感じる。父は引退後も、アンバサダーや解説者として、このフランチャイズに関わり続けているからね」
  セレモニーは、3月19日のオーランド・マジック戦で行なわれる予定だ。

 今季のホーネッツは、ラメロ・ボールにブランドン・ミラー、新人王候補にも名前が挙がるコン・カニップルら、若手を中心にプレーオフ進出を目指している、NBAを代表するスーパースターであるステフィンの父がこのフランチャイズに刻んだ栄誉が、シーズン終盤を戦うチームにとって、大きな後押しとなるかもしれない。

文●小川由紀子

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配信元: THE DIGEST

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