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「週5日8時間は無理」”虚弱体質”の私が、ハローワークを門前払いされ28歳で就職を諦めた日

「週5日8時間は無理」”虚弱体質”の私が、ハローワークを門前払いされ28歳で就職を諦めた日

体力がなさすぎて、「週5日8時間労働」は無理。ハローワークで「最低限フルタイムで働ける体力と生活リズムを身につけてから来てください」と言われたとき、自分は社会に必要とされていないんだと思いました——。

今回お話を聞いたのは、書籍『虚弱に生きる』(扶桑社)の著者である、絶対に終電を逃さない女さん(以下、終電さん)。虚弱体質のため一般的な労働環境ではたらくことができず、試行錯誤の末に現在はフリーランスの文筆家として活動しています。

そんな彼女が2024年11月に、『現代ビジネス』(講談社)で自身の虚弱体質について書いた“虚弱エッセイ”がSNSで大きな話題に。書籍の出版後も「自分も同じように悩んでいた」「救われた」という声が数多く寄せられています。

なぜ今、「虚弱」がこれほど注目を集めるのか。そして終電さん自身はどのように体質と向き合いながらはたらいているのか。虚弱にはたらくリアルを聞きました。

体力がなさすぎて「週5日8時間労働」は無理。ハローワークで門前払いされた日

「週5日8時間は無理」”虚弱体質”の私が、ハローワークを門前払いされ28歳で就職を諦めた日

──まず、「虚弱体質」とは具体的にどういう状態なのか教えていただけますか。

「これが虚弱」といった明確な基準はありませんが、私の場合、21歳でガクッと体力が落ちてしまい、それが本格的な虚弱体質の始まりだったと言えるかもしれません。

大学3年生のころから、入眠困難と過眠が併発し、眠れたとしても全身の筋肉が凝りすぎて、背中の痛みとともに起床する日々。しかもほぼ毎日、毎食後に腹痛があって、下痢を繰り返し、痔になったことも。。

人並みの体力がなく、授業やちょっとした外出でも疲れ切ってしまってすぐに動けなくなっていました。身体だけでなく、メンタルの不調も頻繁にありましたね。

──日常生活に支障をきたすほどの不調と、日々隣り合わせだったのですね。

そんな状態でも大学はなんとか卒業したのですが、問題は「就職」でした。この身体ではいわゆる「週5日8時間労働は難しい」と薄々感じてはいたものの、周囲が当たり前のように就職するので、自分も就職しなきゃと思っていたんです。

しかし現実は、新卒就活サイトからのメール通知を見るだけで動悸がするありさま。1社だけ説明会の予約をしたのですが、そもそも会場までたどり着けず断念しました。

26歳から健康に気を使うようになって多少は回復しましたが、それでもフルタイムではたらく状態にはほど遠くて。健康のためにやれることはすべてやったと思った28歳くらいの時点で、「これでも就職できないなら、もう無理だろう」とあきらめました。

──就職をあきらめるまでに、挑戦されてきた仕事はありましたか?

学生時代は、近所のバーのスタッフや工場のライン作業、覆面調査員など自分なりにできそうなアルバイトに挑戦してきました。でも、私の仕事の遅さや体調不良、笑顔でハキハキ喋ることができないなどが原因で、いつの間にかクビになってしまって。

今振り返れば、虚弱体質にASD(自閉スペクトラム症)、場面緘黙症の気質なども組み合わさって、はたらくことへのハードルをさらに上げていたのだと思います。

好きなことを仕事にしたかったわけじゃない。消去法で残った「文筆家」の道

──そんな終電さんですが、現在は文筆家として単著を出版するなど活躍されていますよね。なぜ今の仕事をするようになったのでしょうか。

大学2年生の春に、サークルの先輩の紹介でIT企業にて、スマホアプリレビューなどのWebライターのアルバイトを始めたんです。ほかのバイトと同様、仕事自体は早くなかったのですが、文章を書くこと自体は幼いころから好きだったので、2年ほど続けられたんです。私が今まで唯一長く続けられたバイトでした。

──そのころは専業の文筆家で食べていくことを目指していたんですか?

そこまでは考えていませんでしたね。そもそも安定のために普通に会社員をしたかったですし、いわゆる「バリキャリ」と呼ばれるような、はたらいて自立している女性にあこがれていました。職業にこだわりはなかったです。

でも、当時なんとなく思いつきでX(旧、Twitter)のユーザー名を「絶対に終電を逃さない女」に変更し、公開できる執筆実績がなかったのにもかかわらず、カッコつけて「ライター」を名乗るように。

その後、精神を病んでいた時期を乗り越えるためにnoteでエッセイの投稿をはじめてから、同人誌や商業メディアからエッセイや取材記事などの執筆依頼をいただけるようになったんです。

そこから現在に至るまで、ありがたいことに仕事依頼が途切れたことはありません。仕事がエッセイ中心になったので、2022年より肩書きを「文筆家」に改めました。

──終電さんの中では、文筆家を目指していたというより、結果的に文筆家になったという感じなのですね。

まさに当時は文才があるからではなく、それ以外のことをできる体力も才能もなかったから、消去法で文筆家が残ったというのが正しかったですね。

実際、この仕事を「やめようかな」と思ったことは何度もありました。仕事の依頼は少しずつ増えているとはいえ、まだまだ数は少なくて、8〜9割を引き受けても、体力のある人なら兼業でもこなせるであろう仕事量。

知名度、収入、地位、影響力、どの観点から見ても一般的には専業に踏み切るほどのレベルには達していない。人並みに安定志向だし、専業にこだわる理由もなかったんです。

「週5日8時間は無理」”虚弱体質”の私が、ハローワークを門前払いされ28歳で就職を諦めた日

──それでも、文章の仕事を続けてこられたのはどうしてですか?

他にやることがなかったからです。あと、友人からもらった言葉が支えになりました。私が書く仕事をやめようかと話したとき、「大した熱意がなくても、よっぽどの苦痛とかリスクがない限り、求めてもらえる仕事があるなら、それは自分の使命だと思ってやったほうがいい」と言われたんです。

その言葉を聞いたとき、自分が選んだキャリアじゃなくて、結果としてそうなった仕事だったとしても、求めてくれる人がいるならそれに応えたいと、使命感を覚えるようになって。

専業作家になりたいわけじゃないけれど、求められるうちは書く。そう思えるようになってから、はたらくことへの迷いがなくなりました。

──ご友人の言葉が終電さんの仕事に向き合う気持ちを大きく変えたんですね。

そもそもこれまで書くことしかしてこなかったし、書くことでしか自己実現をしてこなかったので、今は「書かなければ生きてはいけない生き物」になってしまっている感覚ですね。

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