昨年、大の里が日本出身力士としては8年ぶりに新横綱に昇進した相撲界。何をかくそう、1993年以降で横綱に昇進した11人のうち7人は外国人力士だ。なぜ彼らはここまで強いのか。その活躍の裏には立ちはだかる壁がいくつもあった。
『白鵬はなぜ嫌われなければならなかったのか だれも知らない角界不思議話』より一部抜粋、再構成してお届けする。
外国人力士のララバイ
2025年初場所後の横綱審議委員会で、豊昇龍が74代横綱に推挙された。モンゴル出身で、朝青龍のおいだ。1993年に曙が外国人で初の横綱となってから、横綱に昇進したのは11人。
うち7人が外国出身で、日本の横綱は貴乃花、3代目若乃花、稀勢の里、大の里の4人にとどまる。土俵は、モンゴル勢を中心とした海外力士が席巻している。
日本相撲協会の資料によると、戦前の1934(昭和9)年初場所の番付に米国出身の「平賀」が登場したのが外国人力士の第1号だ。ロサンゼルス出身で、春日野部屋の序二段力士だった。
戦後初の外国出身力士は、人気関取だった高見山(元東関親方)。外国人力士で初めて賜杯を抱いた。テレビCMにも出演、しゃがれ声の「ニバーイ(2倍)、ニバーイ」は流行語にもなった。
外国人力士の出身国は、時代とともに移り変わりがみられる。74~75年にはトンガ出身力士が相次いで初土俵を踏んだ。「南ノ島」という幕下まで昇進した力士を覚えているオールドファンもいるかもしれない。
引退、帰国した南ノ島は、その後に誕生した息子に「ミナミノシマ・イサム・ファレバイ」と名づけた。17歳となった息子は、父の背中を追うように相撲界に飛び込んだ。
2001年春場所(大阪)で、父と同じ「南ノ島」のしこ名で初土俵を踏んだ。その日は小雪が舞っていた。体をちぢこまらせ「ニッポン、サムイ。トンガ、アタタカイ」と不安そうにしていた姿を覚えている。「頑張ります」と語っていたが、父が託した関取の夢はかなわなかった。
1982年初土俵の小錦は、外国出身力士で初の横綱となる曙へと続く「ハワイ旋風」を巻き起こした。
モンゴル力士の第1号は、92年に入門した旭天鵬(現大島親方)や旭鷲山ら6人。
欧州出身では、エストニアの把瑠都、ブルガリアの琴欧洲(現鳴門親方)、それにジョージアの栃ノ心が大関に昇進した。
引退後に「親方」となって相撲協会に残るには、日本国籍が必要だ。親方となった外国出身力士はすでに10人を超える。第1号親方はこちらも高見山で、東関親方となり横綱曙や人気関取だった高見盛(現東関親方)らを育てた。その後、小錦、曙、武蔵丸、琴欧洲、旭天鵬、時天空、朝赤龍、翔天狼らが続いた。
それにしても、外国出身力士は強い。06年春場所で朝青龍が16度目の優勝を果たしてから、16年初場所で琴奨菊が優勝を果たすまで10年間にわたり、外国出身力士が優勝し続けた。なぜ、こんなに強いのか。
外国人力士が苦しむ日本食
外国人力士が土俵を席巻しているのは、様々な困難を乗り越えてきたからだ。
言葉の他に、来日の瞬間から「死活問題」として立ちはだかるのが、文化の違う食べ物だ。和食になじむまでの涙ぐましい格闘の日々を振り返ってもらうと……。
ブルガリア出身の元大関琴欧洲は「お米がダメでしたねえ」。米は母国でも食べられてはいるが、「砂糖をたっぷりまぶしたヨーグルトに入れて食べる『デザート』ですから」。
しかし、大相撲の新弟子の食事は「ちゃんこの残り汁と冷や飯」が、お約束だ。どうしても食が進まず、体を大きくするのに難儀したという。
食事をする上で大変だったのは、意思疎通。日本とブルガリアでは、「はい」と「いいえ」で首の振り方が逆だった。「直すのに、ずいぶん苦労しましたね。『食べる?』と聞かれて(はい、のつもりで横に)首を振ったら、お皿を下げられてしまいますから」
ほとんどの外国出身力士が苦手な食材の筆頭に挙げるのが、魚だ。
日系3世のブラジル人だった魁聖(現友綱親方)は、父方の祖父母が日本人だったため、箸の使い方には慣れていた。
「でも魚は食べたことがなかった」
特に、鍋や煮魚が苦手だとか。
例外はあるらしい。思い出したように、こうつぶやいた。
「何だっけ、九州場所で食べる……アラだ、アラ。あれは大好き」
アラは、高級魚クエの別名だ。横で聞いていた付け人がボソリと「それ、ぜいたくなだけでしょ?」。
魚で最も苦労した力士は、モンゴル出身の元関脇旭天鵬ではないだろうか。
死んでも目を閉じない魚は、母国では神聖な生き物。しかも祖父が僧侶だったといい、「(魚が泳ぐ)川で立ち小便なんかしようものなら、めちゃくちゃ怒られた」という。
「日本に来てすぐ、後援会の方から座敷に招かれ、出てきたのが『活け作り』だよ。泣いた。マジで」
今では魚が大好物だが、食文化の違いを乗り越えるには「慣れるしかねえな」。
ジョージア出身の元小結臥丸は、現役時代からすっかり和食に慣れていた。やはり最初は魚に苦労したが、「もう大好き」。しかも、朝稽古の後のちゃんこで必ず食べていたのが納豆だ。「素晴らしくおいしい。つい、ご飯を食べ過ぎちゃって」。
現役時代の悩みが、増えすぎた体重だった。ついに200キロの大台を超えて212キロとなった時には、「この目方は人としてどうかと思う。日本食がおいしいのがいけないんです」と肩を落としていた。
外国出身として初の関取となり、優勝力士にもなった関脇高見山の元東関親方が語る。
「外国人は体が大きいだけじゃなく、スポーツ経験も豊か。しかも来日する時から言葉や文化、食の違いを乗り越える覚悟で来るんだから、そりゃ強いですよ。どれくらい強いって?ニバーイ、ニバーイ」。
あとは、関西では食べられない人も多い納豆。多くの師匠は、こう言って食べさせる。
「薬だと思って食え」。
気合と根性で克服し、臥丸は納豆が大好物になった。元横綱鶴竜の音羽山親方は「おかめ納豆」の大ファンだ。他の納豆とは、タレの味わいが違うそうだ。
ただ、食べ物は鼻をつまんで何とかのみ込むことができたとしても、言葉の壁は険しい。 外国人力士はどうやって日本語を覚えるのか。日本語学校に通って―といった勉強ではない。兄弟子たちとの集団生活の中で覚えていく。

