
外科医たちは、数十年前からあるパターンを知っていました。
それは、顔面の傷は体の他の部位の傷よりも、瘢痕(傷跡)を残さずに治癒するという事実です。
同じ深さ、同じ大きさの傷であっても、顔の傷は目立ちにくく、時間が経つとほとんど分からなくなることが多いのです。
この不思議な現象の理由を、細胞や遺伝子のレベルで突き止めた研究が、アメリカ、スタンフォード大学(Stanford University)の研究チームによって発表されました。
研究では、皮膚の「場所」そのものではなく、発生段階で決まる細胞の性質が、瘢痕の出やすさを左右していることが示されています。
この研究成果は、2026年1月22日付の『Cell』に掲載されました。
目次
- なぜ顔と体で傷の治り方が違うのか
- 顔の線維芽細胞が「瘢痕を作りにくい」理由
なぜ顔と体で傷の治り方が違うのか
一見すると不思議に思える「顔と体で傷の治り方が違う」という現象ですが、生物として考えると、これは非常に理にかなった仕組みでもあります。
まず体幹部の傷では、何よりも優先されるのが「素早く塞ぐこと」です。
出血を止め、感染を防ぎ、できるだけ早く動ける状態に戻ることは、生存に直結します。
その結果、治癒後の皮膚が硬くなり、元の組織とは性質の異なる瘢痕組織になってしまっても、命を守るという点では十分に合理的です。
体の傷は、機能を多少犠牲にしてでも迅速に修復する治り方だと考えられます。
一方で、顔の傷は事情が異なります。
顔の皮膚は、視覚、呼吸、摂食、発話といった重要な機能に直接関わっており、表情を作るための柔軟性も求められます。
もし顔の皮膚が体と同じように硬い瘢痕組織に置き換わってしまえば、これらの機能が損なわれるおそれがあります。
そのため顔では、単に傷を塞ぐだけでなく、できるだけ元の皮膚に近い状態を保ったまま治癒することが重要になります。
このように、顔と体では「治癒のゴール」がそもそも異なっているのです。
体では生存を最優先した迅速な修復が、顔では機能を維持するための質の高い修復が選ばれているのです。
研究チームは、この違いの鍵を握る存在として、皮膚をつくる線維芽細胞に注目しました。
線維芽細胞は、傷ができた際に皮膚を修復する中心的な役割を担う細胞です。
興味深いことに、顔の皮膚は、胚発生の初期に現れる神経堤細胞に由来しているのに対し、背中や腹部など体幹の皮膚は中胚葉に由来しています。
見た目は同じ皮膚でも、細胞の「生まれ」が異なるのです。
この細胞の違いを検証するため、研究チームはマウスを用いた実験を行いました。
まず、顔、頭皮、背中、腹部に同じ大きさと深さの皮膚損傷を作り、動きによる影響が出ないよう、傷の周囲をプラスチックリングで固定。
鎮痛処置を行うことで、実験条件をできる限りそろえています。
そして14日後に傷の状態を調べたところ、顔と頭皮の傷は、背中や腹部の傷よりも瘢痕が小さいことが確認されました。
さらに、顔や体の皮膚を別のマウスの背中に移植した実験でも、顔由来の皮膚は移植先に関係なく瘢痕が少ないという結果が得られました。
加えて、顔の線維芽細胞に近い性質を持つよう遺伝子操作で調整した線維芽細胞を背中の傷に加えると、傷の周囲にいる線維芽細胞全体のうち 10〜15%程度しか混ざっていなくても、傷全体の治り方が顔に近づきました。
少数の細胞が、周囲の細胞の働き方まで変えてしまったことになります。
これらの結果から、瘢痕の出やすさは「体のどこにある皮膚か」ではなく、その皮膚を構成する細胞がどのような発生的背景を持つかによって決まることが強く示唆されました。
では、その違いは細胞の中でどのような仕組みによって生み出されているのでしょうか。次項で見ていきましょう。
顔の線維芽細胞が「瘢痕を作りにくい」理由
研究チームは次に、顔と体の線維芽細胞がどのような遺伝子を使って働いているのかを詳しく調べました。
その結果、顔由来の線維芽細胞では、ROBO2とEID1という遺伝子が、体幹部由来の線維芽細胞よりも強く働いていることが分かりました。
これらの遺伝子は、傷を治す過程で「瘢痕を作る方向に細胞を動かす役割」を持つEP300というたんぱく質の働きを抑える経路に関わっています。
体幹部の線維芽細胞ではEP300が活発に働き、瘢痕に関わる遺伝子がたくさん働くことで、多くのコラーゲンが作られ、しっかりとした瘢痕組織が形成されます。
そのため傷は閉じますが、硬く目立つ瘢痕が残りやすくなります。
一方、顔の線維芽細胞では、ROBO2とEID1の作用によってEP300の働きが抑えられています。
そのため、瘢痕を作る遺伝子が過剰に働かず、皮膚が元の状態に近い形で修復されやすくなるのです。
言い換えれば、顔の皮膚では「瘢痕を作るスイッチ」が入りにくい状態が保たれていると考えられます。
この仕組みの重要性は、線維芽細胞を使った実験でもはっきり示されました。
EP300の働きを抑える薬剤を用いて、背中の傷を治療すると、体の傷であっても、顔の傷のように瘢痕が目立ちにくい治癒が起こることが確認されたのです。
もっとも、この研究はマウスを使った実験であり、人間でも同じ結果が得られるかどうかは今後の研究を待つ必要があります。
また、瘢痕を完全になくす治療がすぐに実現するわけではありません。
しかし、瘢痕の出やすさが、生まれつき備わった細胞の性質によって左右されていることを示した点は、皮膚だけでなく、肺や肝臓などの臓器で起こる線維化の理解にもつながる可能性があります。
顔の傷が目立ちにくい理由は、単なる偶然ではありません。
細胞がどのように傷を治すかという「基本設計」が、体の部位ごとに違っていることを、この研究は明らかにしました。
参考文献
The face scars less than the body — a Stanford Medicine study unravels why
https://www.eurekalert.org/news-releases/1113625
元論文
Fibroblasts of disparate developmental origins harbor anatomically variant scarring potential
https://doi.org/10.1016/j.cell.2025.12.014
ライター
矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。
編集者
ナゾロジー 編集部

