麻生政権が見誤った解散判断
自民党が麻生太郎首相に期待したのは、安定政権の確保と党への支持率回復であった。そのためには、衆院解散・総選挙の時期を的確に見極めることである。
しかし、衆院解散のタイミングを計っていた麻生ではあったが、閣僚の失態による辞任のほか、米国発の「リーマン・ショック」の直撃を受けて経済・景気の急速な落ち込みに見舞われ、時期を逸してしまった。
加えて、連立政権を組む公明党が強く推進した「定額給付金」に、各方面から“バラマキ”との批判が相次ぎ、政権の評判は急速に悪化していった。
折から自民党内が、消費増税をめぐる議論で二分されていることも手伝って、一致団結して総選挙へ突入することができなかったのである。
さらに言えば、一時は麻生も“べらんめえ口調”で人気を博したところだったが、漢字の読み違いや高級ホテルのバー通いなどが批判の対象となり、内閣支持率の低落一途も解散に踏み切れない要因となった。
しかし、一方で当時の民主党・小沢一郎代表の公設秘書が違法献金事件で逮捕されたり、北朝鮮による長距離弾道ミサイルの発射実験が重なったり、これらも解散への一つのタイミングではあったが、麻生にその決断はできなかった。
当時の麻生の苦境を、自民党ベテラン議員の一人はこう言っていた。
「麻生という政治家は明るい性格で、本質的に権謀術策型ではない。なので、選挙事情に精通しているわけではなく、政局を的確に見定められるかとなると、必ずしもそうとは言えない。そのうえで解散時期を読めなかったのは、派閥の側近や取り巻きが、正確な情報を麻生に入れていなかったからではないか。もとより、麻生は派閥(麻生派)の領袖だから、周囲も皆、遠慮があったようだ。その結果として“親分”の最終判断に、ブレが生じたということだろう。のちにこのブレが、麻生政権の命取りになったとも言える」【歴代総理とっておきの話】アーカイブ
追い込まれた形で真夏の総選挙で歴史的大敗
主君と側近の理想的な関係は、時に側近は主君にとって耳の痛い情報であっても、臆することなく正確にそれを伝えられるかにある。耳に心地よい情報ばかりを入れていると、主君はここ一番の決断で、取り返しがつかないミスを犯すことになりかねない。
これが、いわゆる「側近政治」の怖いところで、当時の麻生には、そうした危うさがあったということである。麻生はツキにも見放されたか、その後もジレンマの連鎖に苛まれることになる。
東京都議会議員選挙をはじめ、地方選ではことごとく敗北といったありさまで、ついには解散・総選挙どころではなく、自民党内から「麻生降ろし」の声が出始めるといった具合だった。
しかし、自民党内には仮に総裁の麻生が代わっても、「選挙の顔」となる適当な人材が不足していた。そうしたなかで政権発足から1年近くが経過した頃、麻生はついに追い込まれた形で真夏の総選挙に突入したが、結果は“歴史的大敗”に終わったのである。
筆者はこのときの選挙戦をつぶさに取材したが、自民党の選挙態勢は緩みっぱなしであった。
すでに、野党の民主党がマニフェスト(政権公約)を発表していたのに対し、自民党の重要政策などが発表されたのは、公示が近づいてからというノンビリしたものであった。なんとも、やる気が疑われる動きだったのである。
また、選挙の司令塔となる幹事長、選挙対策委員長が連携に乏しく、それぞれ勝手に動いており、まったく統制の取れていない選挙でもあった。
そのなかで肝心の麻生はといえば、先にも触れたが必ずしも全国の選挙事情に通じていたわけではなく、組織票頼みの自民党支持団体を回って頭を下げることに終始していた。
