2025年12月31日23時59分。カウントダウンの歓声が夜空に響く中、ブルガリアでは“お金”が切り替わる瞬間を迎えた。長年使われてきた自国通貨レフが姿を消し、ユーロが流通を始める歴史的な夜である。現地ソフィアで年越しを迎えた筆者は、地下鉄の券売機、カフェのメニュー、ATM、そして広場の大歓声を通して、国家規模の通貨転換が人々の日常にどう入り込んでいくのかを目の当たりにした。熱狂と混乱が同時に走った「ユーロ元年」の現場を、旅人の視点から記録する。
ユーロ導入前夜
筆者は2025年12月末から2026年はじめにかけ、ブルガリアに滞在した。
ブルガリアの通貨レフ(lev、ただし実際には複数形のレヴァlevaで発音されることが多いが、ここでは慣例に従ってレフで呼称を統一する)がユーロに置き換わる瞬間を見届けたいという願望があったからである。
ユーロへの切り替えは、現地ではどのように受け止められたのであろうか。旅人の目線から、ユーロ採用国となったブルアリアの最新状況をレポートしたい。
旅行行程としては、12月29日から現地に入ったが、そもそも1月1日以前にユーロは使えるのかと不安もあった。その不安は的中し、ソフィア空港に乗り入れている地下鉄の券売機は1.6レフの表示のみで、ユーロを受け付けていなかったので、急ぎ少額のユーロをレフに替えて購入した
しかし、改札のない当地の地下鉄に乗ってみてわかったのだが、ブルガリア(そして経由地であったルーマニアも含め)の公共交通は運賃の支払いは車内でのクレジットカードのタッチ決済になっており、もはや切符は不要のものとなっていた。
そのため、レフ表示の切符は捨てず、今後手に入らない貴重なコレクションとして大事にとっておくことにした。
さて、ホテルにチェックインしてから、なにか食べようと思い、カフェに入ってみた。面白いことに、メニューが完全にレフとユーロの両表記になっていた。
これはユーロ切り替えに当たっての便乗値上げを防ぐという意味があるのだそうで、1月1日以降も基本的に両貨の併記は続いているし、普通にレフも使われ続けている。制度的には、1月末まで、商店などはレフ利用を拒否できないとのことだ。
ユーロとレフのレートは公定レートなので、ユーロの表示は端数が増えて非常にキリが悪いが、ユーロの現金で払うときの端数はオマケしてくれるのでちょっと得した気分になる。
ブルガリアでは首都ソフィアにいる限りはほぼカードだけで対応できたが、地方では商店を始めとして、未だ現金しか受け付けていないところもあるので、少額のキャッシュはやはり用意しておくべきだろう。
それでは現金入手のためのATMのユーロ、レフの切り替えはどうなっていたのだろうか? ホテルに聞いてみると、ATMは12月31日夕方6時で一旦締まり、1月1日の午前8時から開くと教えてくれた。
多くの人々がカウントダウンを楽しんでいるなかで、まさにエッセンシャルワーカーとして働く銀行の人たちに頭が下がる。そこで大晦日に「レフでお金が引き出せるのもこれが最後」と考え、ATMで小額紙幣を引き出してみると、当然のことながら言われていた通りにレフが現れた。
大晦日に切り替えに熱狂するソフィア市民
欧米圏では大晦日に繁華街へと繰り出し、カウントダウン楽しむのが通例である。私も氷点下の寒さをものともせずに、23:30にはソフィア市内の国民議会やブルガリア国立銀行などが並ぶスクエアに赴いた。
広場では若者に混じってロックコンサートを楽しんだものの、年が変わる時刻が刻一刻と近づくにつれ、ユーロ加盟に関するイベントはないのだろうかと訝しんだ。
すると0時直前に音楽が止み、大量の花火が上がり始めた。荘厳な佇まいの国立銀行の壁面には金貨をあしらった動画が投影されはじめており、日付が変わる瞬間、そこにユーロ紙幣がプロジェクションマッピングによって現れたのである。
ブルガリア語は全くわからないのだが、明らかに「今日からユーロだ!」というメッセージ性を含んだ映像に民衆は興奮し、広場全体が唸り声のような歓声に溢れたのであった。
「EU最貧国」と陰口を叩かれていたブルガリアが、EUが求める基準をクリアし、まさにユーロ圏に迎え入れられた「その時」に立ち会えた感激は非常に大きかった。
世論調査では、確かにユーロ加入を全国民が手放しで喜んでいるわけではないという動向が読み取れる。ただイベント会場の人々は、「経済的に立ち遅れていた旧共産国が、西側に追いついた歴史的瞬間を祝う」という意味で、文字通り「狂喜乱舞」と呼ぶのが相応しい興奮状態の中にあった。
近年のブルガリアの政治状況は決して明るいものではなく、短命内閣がクルクルと変わるという状況なのだが、イベント会場にいる人々の自信に溢れた明るい表情を目の当たりにし、異邦人である私も心からの祝福と拍手を送りたい気持ちになった。
しばらくすると音楽はヨーロッパ民謡調の楽曲に変わり、年配の人たちがフォークダンスのようなステップで踊り始めた。その動きは軽やかであり、やはり嬉しいのだろうなと思わせる陽気な笑い声が長時間に渡って響いたのであった。私の人生の中でももちろん、稀有な体験であったと言えよう。

