ネットもラーメン雑誌もない時代、頼れるのはリピーターと口コミだけ。だからこそ創業者の木村勉会長は、人とのつながりを何より大切にしてきた——人気ラーメンチェーン店「天下一品」の根底にある経営哲学に迫る。
新刊『天下一品 無限の熱狂が生まれる仕掛け』より一部抜粋・再構成してお届けする。
天下一品の根底に存在し続ける「ギブアンドテイクの精神」
本店を開いてからは、すぐ軌道に乗って行列ができた。木村勉会長は2〜3時間の睡眠時間で朝から晩まで働いた。
来てくれたお客さんを逃さないように、並んでいるお客さんから先に注文を取って、注文を取ったら箸を持ってもらい、できたラーメンをどんどん出していくスタイルだった。箸を持っているお客さんはまだラーメンが来ていない合図で、お客さんが絶えない店内でもしっかりとラーメンを提供する木村会長ならではのやり方だった。
当時は餃子や唐揚げなどのサイドメニューもなく、ラーメンだけを提供していたので、客席の回転率をとにかく上げて1日の売上を伸ばしていく戦略をとっていた。
鶏がらと野菜を使った濃厚でとろみのあるスープは、オープン当初は残して帰る客が多かったが、味つけを変えたり、タマネギやニンジンを加えたりと改良を続け、次第にスープを飲み干す客が増えていった。
当時はインターネットやスマホは当然ないし、ラーメンを特集した雑誌などもほとんどない。そのなかで売上を伸ばしていくためには、「圧倒的なリピーター」と「口コミ」の2つしかなかった。
シンプルに、また来たくなるからこそ、それだけの行列ができる。
「えらいラーメンあるで」と、お客さんにお客さんを呼んできてもらうシステムで「天下一品」の客数は増えていった。まさに噂が噂を呼んだのである。
木村会長はこのころのご縁を忘れない。人の助けの上に自分が成り立っていることをよくわかっている。これだけ大きなグループに成長しても、その原点を忘れていないのだ。
京都大学法学部を出て弁護士になった屋台時代からの常連は、「天下一品」の顧問弁護士になった。京都でバイクを乗り回してヤンチャしていた若い常連客も、数十年の時を経ていまや「天下一品」の運営する温浴施設「スパリゾート雄琴あがりゃんせ」によく通っているという。こんな話が「天下一品」には山とある。
屋台時代の常連さんとはいまもつながっている
こんな話もある。ある日、「天下一品」のTシャツを着た青年がバイクを乗り回していて警察に捕まり、木村会長のところに電話がいった。
「おたくの従業員がバイクを乗り回しているぞ。引き取りに来てくれ」
会長が駆けつけると、そこにいたのは見ず知らずの青年だった。会長は「うちの従業員ちゃうがな」とその場では怒ったが、その青年とはつながり続け、いつしか「天下一品」の常連になった。
常連客でも業者でも、会長は一度ご縁があった人とはよほどのことがない限り縁を切らない。業者もよほどのことがなければ絶対に変えない。電球を1つ買うにも「勝手に業者さん変えたらあかんぞ」と従業員に言っていたという。
その代わり先方には無理も言うが、逆に向こうが助けてほしいときは、こちらが無理を聞くという付き合い方をしてきた。
お互いに商売をしているのだから、困っているときに助けたらいつか自分に返ってくる「ギブアンドテイク」の精神だ。商売とは人とのつながりであることをもっとも大事にしている。
成功するまでに受けたご恩を感じているからこそ、わかっているからこそ、成功してからもこうやって付き合い続けるのだ。
1号店を出させてもらった石材店とのご縁もずっとつながっている。亡くなった石材店の店主の息子さんや娘さんともずっとつながっていて、「天下一品」の社員旅行にまで招待していた。恩人のお墓参りも欠かさず、「この人がいなかったら、いまの『天下一品』はない」と感謝の念を忘れない。
自分が本当に苦労してきたからこそ、人の痛みがわかる。単に自分だけ儲かればいいとか、大きくなればいいということではなく、利他の心を持ち続けることが信条だ。
一代でラーメン屋をここまで大きくしてきた功績だけをみると、テングになってもおかしくはない。実際、そうみられがちだというが、現実はまったく違う。
会長はこのような言い方をする。
「わしができたんやから、だれでもできる。でも教えへんで」
木村勉会長のようにお店を築いてきた経営者はなかなかいない。「天下一品」は会長のこの想いが根底にあってこそ成り立っているのだ。
文/井手隊長 写真提供/天下一品

