いまや世界はそれ自体がグロテスクなリアリティ番組のようだ。芸能人のスキャンダルは週刊誌よりも先にSNSの野次馬たちによって炎上し、一般人であっても“一般常識”から逸脱した発言や行動には激しいバッシングが集まる。誰かの落ち度は拡散され、燃やされ、その転落劇はさらに燃え広がっていく――。
そうした感覚を出発点にすると、1月30日公開の映画『ランニング・マン』は近未来のSFではなく、むしろ今をダイレクトに照らし出すリアリティあふれる物語として見えてくる。原作は『IT/イット』シリーズのスティーヴン・キングがリチャード・バックマン名義で執筆した同名小説。1982年の刊行から44年、その先見性はむしろヒリヒリと切実だ。
監視と告発がエンターテインメントになる
舞台は近未来のアメリカ。人々が貧困や病に苦しむ時代に、権力者のネットワークが見せるのは下劣で暴力的なゲームやクイズ番組の数々だ。なかでも屈指の人気を誇る番組が「ランニング・マン」。参加者は30日間、執拗に命を狙うハンターや、住民のタレコミから逃げ切れば10億ドルを手に入れることができる。
反抗的な労働者のベン・リチャーズ(グレン・パウエル)は、その性格と経歴ゆえにブラックリストに入れられており、いまや家計は妻が支えている。ある日、ベンは病気の娘のために金を稼ぐため、テレビ局に足を運んだ。最初は安全な番組に出るつもりだったベンだったが、厳しいテストの末に「ランニング・マン」の出場者に選ばれてしまう‥‥。
監督は『ベイビー・ドライバー』(2017)や『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004)などで知られるジャンル映画の名手、エドガー・ライト。キングの原作小説はアーノルド・シュワルツェネッガー主演で『バトルランナー』として1987年に映画化されているが、今回は1987年版よりも原作に忠実な映画化が試みられた。
自らのオリジナル脚本作品で高い評価を得てきたライトにとって、いわゆる“原作モノ”は『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』(2010)以来。共同脚本には同作のマイケル・バコールを再び招き、思わぬ職人仕事による大作アクション映画に仕上げた。
スティーヴン・キング原作の現代性
「捕まったら即死亡」や「デスゲーム」「鬼ごっこ」という日本での触れ込み通り、本作は日本のテレビ番組「逃走中」(CX系)などを思わせる巨大鬼ごっこスリラー。1987年版『バトルランナー』でゲームの参加者は巨大なコースでの逃走劇を繰り広げたが、今回の映画化では原作の設定に回帰し、アメリカ全土が番組の舞台となっている。
もともと革命をしたかったわけではない主人公ベンが、社会の階層主義ゆえに見世物となり、あらかじめ用意されたフェイクだらけのストーリーを押しつけられながら逃げ回る。しかも彼を狙うのは、殺人者のハンターだけでなく、居場所を匿名で告発できる民衆たちだ。プロデューサーのダン・キリアン(ジョシュ・ブローリン)は番組を盛り上げるために手段を選ばず、視聴率のため人々の感情や暴力さえコントロールしようとする。
権力者が用意した国家的な枠組みと物語のなか、暴力は公然と容認され、放置され、人々の熱狂と悪意のもとで膨れ上がっていく――。「テレビ」というメディアが時代錯誤に見えるほど現代的な設定ゆえ、ライトはあえて時代や媒体の設定を曖昧に見せている。
しかし、なぜこの大作アクション企画にエドガー・ライトが起用されたのか?
