“いつものエドガー・ライト”ではない
思い出されるのは、前作『ラストナイト・イン・ソーホー』(2021)がストレートなホラー/スリラー映画でありつつ、60年代のロンドンを舞台に、権力や支配、搾取の問題を直球で描いた作品だったことだ。男性から女性に向けられる視線と抑圧を含め、ライトらしい手つきで、“恐怖”の映画的体験を創り出したことが本作につながっている。
ただし今回、ライトは自らの得意技を明らかに封印して臨んだ。とりわけ『ベイビー・ドライバー』で顕著だった、アクション・音楽・編集が三位一体となって映画を牽引する快楽は意識的に抑制され、スティーブン・プライスによる劇伴音楽のもと、正統派のアクション映画をやりきろうとする意欲が見え隠れしている(エンドクレジットを見ると、意外にも多くの既存楽曲が使用されていたことにむしろ驚くだろう)。
ミュージカル的なアクションと編集を排したことで起きているのは、映像のテンポは早いにもかかわらずどこか鈍重にも思える展開だ。主人公のベンが泥まみれ血まみれで駆け回る様子を同じ視点で追いかけているためか、あるいは暴力を快楽ではなくダウナーなトーンで描くためか――それは劇中のテレビ番組が暴力を快楽として扱っているからかもしれない――ライトの過去作にあった軽やかさがこの映画にはない。そのかわりにあるのは、暴力の鈍い痛みだ。
もちろん、ライトの作家性が発揮された場面もあちこちにある。パウエルが裸で逃げ回る中盤のアクションはおなじみのリズム感とコミカルな演出に満ちているし、ベンを支援するエルトン(演じるのは『スコット・ピルグリム』のマイケル・セラ!)は、10年ほど前ならサイモン・ペッグが演じていただろうと思わせるキャラクター。ベン&エルトンのアクションシーンでは得意の編集が復活し、「これぞエドガー・ライト節!」と思える快感を味わわせてくれる。
実験としての『ランニング・マン』
大手スタジオのアクション映画という枠組みで、いつもより職人的な仕事をしたことが、エドガー・ライト作品らしい楽しさや、原作の風刺性をうまく活かすことにつながったかは意見が分かれるだろう。海外では、1987年版『バトルランナー』はシュワルツェネッガー映画だったが、本作は往年のブルース・ウィリス映画的だという声も聞かれる。そのたとえには複数の含意があるのではないか。
そんななか、俳優陣の演技はことごとく魅力的で、世界観やストーリーに立体的な厚みをもたらしている。堂々の主人公グレン・パウエルは、新たなスター俳優としての存在感だけでなく、生活に疲れ、怒りを宿した男としての渋みをたたえた。悪の権力者キリアン役のジョシュ・ブローリンは、怪物的なキャラクターではなく、無慈悲なビジネスマンのような造形がむしろ現代的で悪辣だ。
2人の対決を支えるのが、番組の司会者役を演じるコールマン・ドミンゴの怪演ぶりと、全編の大部分で素顔を隠してベンを追いかけるハンター役のリー・ペイス。前述のマイケル・セラを含め、それぞれ出番は少ないもののキャラクター性豊かな脇役も見どころだ。
『ランニング・マン』はエドガー・ライトが作家としての実験に挑んだ新境地であり、職人監督としての実力を示した一作である。“いつものエドガー・ライトではない”という点も含め、きっと観客は映画との距離を意識しながら、アクションと暴力の見世物性/非・見世物性に触れることになるだろう。本編の鮮やかな締めくくりまで、その語り口をぜひスクリーンで確かめてほしい。
文 / 稲垣貴俊
作品情報
映画『ランニング・マン』
職を失いお金も無い、どん底の生活を送る男ベン・リチャーズ。重病の娘の医療費に困った彼は、ネットワークが主催する最も過激なデスゲーム“ランニング・マン”に応募する。“ランニング・マン”のルールはいたって簡単、逃走範囲は無制限、30日間の鬼ごっこを逃げ延びるだけで人生が変わる莫大な賞金が得られる。しかし、その“鬼ごっこ”の実態は、高度な殺人スキルの訓練を積んだ殺戮ハンターが執拗に挑戦者を追跡し、さらに懸賞金を狙った全視聴者がベンをハンターに差し出そうと世界中で躍起となる「捕獲=即死亡」「挑戦者VS全世界」過去生存者0の超過激なデスゲーム。職無し・金無し・特殊能力無し、ただの普通の男ベンは、いかにして30日の激ヤバ“鬼ごっこ”を逃げ切る事が出来るのか。
監督:エドガー・ライト
原作:スティーヴン・キング
出演:グレン・パウエル、ジョシュ・ブローリン、コールマン・ドミンゴ ほか
配給:東和ピクチャーズ
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2026年1月30日(金) 公開
公式サイト the-runningman-movie
