物語のほうが社会的によい行動を起こさせやすい
ひとつ面白い研究があります。
オランダのエヴァ・マリア・コープマンさんという研究者が行った実験で、物語と説明文のどちらが「寄付行動」を多く引き起こすか、というものです*3。
「うつ(鬱)」と「子を亡くす」という2つのテーマで、なるべく内容も揃えた「文学的物語」「一般的物語」「説明文」が作成されました。
「一般的物語」は、文学的物語よりも日常的でわかりやすい物語のことだと考えてください。
その上で参加者は、
●「文学的物語」グループ(86名)
●「一般的物語」グループ(84名)
●「説明文」グループ(40名)
のいずれかにランダムに割り当てられました。
参加者は、いずれかの文章を読んだ後、参加報酬を受け取ります。参加報酬は10ユーロで、執筆時点では、1800円くらいです。
と同時に、参加者は「この実験への参加報酬を慈善団体に寄付することができます。寄付しますか?」と尋ねられます。
ここでの慈善団体とは、「うつ」がテーマのときには「うつ病対策基金」、「子を亡くす」がテーマのときには「子を亡くした親への支援基金」でした。
結果として、寄付をした人の割合は、
●「文学的物語」グループ:「うつ」7.0%、「子を亡くす」11.6%
●「一般的物語」グループ:「うつ」16.7%、「子を亡くす」16.7%
●「説明文」グループ:「うつ」2.5%、「子を亡くす」7.5%
でした。
つまり、物語のほうが説明文よりも寄付行動を起こさせやすかったのです。
おそらく、物語で「うつ」や「子を亡くす」ことの苦しさが「実感」されたことが、原因のひとつなのだと思います。
少なくともこの研究が対象とした、寄付という「社会的によい行動」について、物語には人を動かす力があるといえるでしょう。
社会的によい/悪いことの機微を物語は教えてくれる
物語の、読者に「実感」させるという特徴は、むしろ「社会的によくないことを抑制する」目的において、より有用です。
なぜなら、寄付やボランティアのような「社会的によい行動」であれば、「一度、試しにやってみたら?」という形で、実際に体験させることが可能だからです。
寄付やボランティアなどを実際にやってみると、個人の経済活動としては割に合うものではありませんが、精神的にはかなり満足感があります。
しかし、同じことが「社会的によくないこと」でできるかといえば、程度にもよりますが、まぁ無理ですよね。
そこで物語による「疑似体験」が有用になるわけです。
私はけっこうドストエフスキーが好きなのですが、『罪と罰』を読んでいる間、主人公の殺人に対する罪悪感、うしろめたさが強烈で、胸のあたりがググッと下がるような身体的感覚がありました。
「なぜ殺人をしてはいけないのか」について、万人が納得するような「説明」をするのは、実は難しいものです。
こうした場合には、「実感」によって「こうしたくない」「こうなりたくない」と感じてもらうほかありません。
多くの物語が、何が社会的に「善」で「悪」なのかという「道徳」を表現しています。
一つひとつの物語を読むことの道徳教育的効果は、それほど大きいものではありません。しかしそのことが逆に、時代に合わせた柔軟でバランスのよい道徳観を形成させてくれるのだと思います。
もし『罪と罰』だけが私の道徳観を決定づけてしまうならば、それは『罪と罰』の舞台である1860年代の帝政ロシアの価値観に偏るでしょうし、もっといえばドストエフスキーという作家の善悪の感覚に縛られてしまうことになります。
しかし読書だけに限らず、さまざまな物語を継続的に取り入れていくことで、世相による微妙な価値観・道徳観の変化を捉えることができます。
かつてはよかったが今はよくないこと、逆に、かつてはよくなかったが今はよいこと、さまざまにあると思います。
一方で、「殺人」などは、少なくとも『罪と罰』のころから今まで、日本でもロシアでも、おおむね共通した「社会的によくないこと」です。
今の時代・世相において、何がよく、何が悪くてそれぞれどれくらいよい/悪いのか。膨大な数の物語が、そうした「社会的によいこと/よくないこと」の機微を教えてくれます。

