患者の運命を左右する医療格差
東 私は「原発不明がん」とはいったい何なのかまったくわからなかったので、とにかく情報がほしかったんですね。ですから、夫が亡くなってから、その理由を正しく理解するため医療従事者に取材して、原発不明がんや希少がんの情報を本の最後に書きました。そうしたら、「あの情報部分が一番勉強になった」という読者がたくさんいたんです。
山田 僕もすごく勉強になったので、東さんのご著書の最後のほうは付箋だらけですよ。
下山 希少がんというのは、年間発生数が人口10万人あたり6例未満のがんで、1つ1つのがんは確かに珍しいのですが、種類が多く、日本の国立がん研究センターのデータだと400種類ぐらいあると言われています。それらを全部足し合わせると、全がん患者の約5分の1(約20%)を占めることになるんですね。
それほどありふれた病気なんですが、種類が多すぎて個々のデータが集まらないことが最大の問題点なのです。
東 数多くの希少がんを見てきた経験も知識も豊富な下山先生のような医師は少なくて、ほとんどの医師は希少がんのことをよく知らないんですよね。
下山 私自身、専門分野以外の希少がんの診療経験は少ないのが実情です。今、医学の進歩はとても早くて、我々のような腫瘍内科専門医であっても、専門臓器ごとのリーダーが各自で知識をアップデートしてサポートし合わないと追い付かないような状況です。ましてや腫瘍内科じゃない医師は、なおさら情報をキャッチアップするのは厳しいでしょう。
山田 僕が困ったのは、がんを診断された病院の消化器外科の先生からは「外科でできることはない」と言われ、同じ病院の腫瘍内科は再編中で治療体制が整っていなかったことでした。結局、化学療法と緩和ケアもやっている先生がついてくれることになったのですが、病院選びは本当に運や成り行き任せのところがありますよね。
東 夫もずっと消化器内科や消化器外科で診てもらっていて、最初はがんだと特定できなかったこともあり、腫瘍内科にたどりつくことさえできませんでした。希少がんセンターがある駒込病院へ転院してからは、検査や手続きの手順が前の病院と比較にならないほどスムーズで、最初からこの病院に入院させたかったと思いました。医療格差があるんだなと痛感しましたね。
下山 その問題の背景には、腫瘍内科は日本では成立しづらいという事情もあります。腫瘍内科は薬物療法が中心ですので、臓器横断的に診療するスタイルとなります。しかし、がん治療は歴史的には外科が中心でしたので、臓器別にがんを診る体制が築かれてきました。なので、多くの病院では「胃がんは消化器内科」「肺がんは呼吸器内科」という臓器専門性が強く、どこの臓器かわからない患者さんは宙に浮いてしまうことが少なくありません。
かつては腫瘍内科不要論さえあった時代がありましたが、がん治療の制度改革で腫瘍内科は増えてきました。ただ、専門医は十分には増えていませんから、体制は万全とは言えません。そのため腫瘍内科を標榜していても、すべてのがんを診ているわけではありません。
そもそも一人の医者が全ての臓器を担当することは不可能です。そのため特定の臓器のがんしか診ていない病院や、緩和ケアやゲノム検査などに力をいれている腫瘍内科もあります。欧米のように、あらゆるがんを総合的に診られる腫瘍内科は、日本ではまだ成熟していないのが実情です。
山田 僕も、たった5ヶ月でがんが広がったのに、検査に1ヶ月もかけていたら、ますますがんが増えるんじゃないかという不安がありました。
東 夫も2ヶ月半、検査ばかりして何の治療もされなかったので、どんどん衰弱していきました。結局、希少がんセンターのような場所に早くたどり着けるかどうかが、患者の運命を左右する大きな分かれ道になることを、多くの人に知ってもらいたいですね。
#2に続く
構成/樺山美夏 写真/野﨑慧嗣 山田五郎氏スタイリング/土屋大樹
見えない死神 原発不明がん、百六十日の記録
東 えりか
2025/10/242,200円(税込)336ページISBN: 978-4087817683夫の突然の腹痛、そして入院。検査を繰り返すが、原因は不明。
ようやく診断がついたときには、余命わずか数週間。
「原発不明がん」とは、いったい何なのか?
第22回開高健ノンフィクション賞最終候補作
【各界から絶賛の声、続々!】
理不尽極まりない、まさに「見えない死神」。明日は我が身。震え上がりながら一気に読んだ。
――成毛眞氏(「HONZ」代表)
哀しみの底に沈みながらも、決して諦めない。検証し続ける。その圧倒的な想いの強さに胸うたれる。
――小池真理子氏(作家)
著者は、愛する人を「希少がん」で亡くすという個人的な体験を病の普遍的な記録にまで昇華させた。苦しみを同じくする人々や医療難民にとって必見の情報と知見がここにある。
――加藤陽子氏(歴史学者)
【本書の内容】
ある休日、夫が原因不明の激しい腹痛に襲われた。入院して検査を繰り返すが、なかなか原因が特定できない。ただ時間ばかりが過ぎ、その間にも夫はどんどん衰弱していく。
入院から3ヶ月後、ようやく告げられたのは「原発不明がん」の可能性、そして夫の余命はわずか数週間ではないか、というあまりにも非情な事実だった。
この「原発不明がん」とは、一体いかなる病気なのか?
治療とその断念、退院と緩和ケアの開始、自宅での看取り……。発症から夫が亡くなるまでの約160日間を克明に綴るとともに、医療関係者への取材も行い、治療の最前線に迫ったノンフィクション。

