30キロやせて自分に自信が持てた
自分に自信を持つために、藤原さんが最初に取り組んだのはダイエットだ。
中学時代に太っていることを男子にからかわれて以来、「自分なんていないほうがいい」と卑屈な気持ちが消えなかった。その後も体重の増減を繰り返し、このときは過去最高の90キロ台になっていた。
「YouTubeとか見て、本気で食事から見直したんです。うちは肉が多い家で、あんまり野菜を食べてなかったから、母にも協力してもらってトマトスープを作ってもらったり。糖質制限もめちゃめちゃして、8か月で30キロぐらいやせたんです。
昼夜逆転の生活を戻しつつ、かなり無理したので不正出血や立ちくらみもありましたけど、自信にはなりましたね。部屋にあふれていた推しのグッズも、ちょっとずつ手放したりして」
Twitter(現X)で情報を調べて、まず京都の就労支援先につながった。ひきこもり当事者向けに在宅ワークなどを提供する東京の会社にも登録。そこは部活動もあり、メンバーはオンラインで交流している。
藤原さんは思い切って興味あるものすべてに参加した。
「音楽部やTRPG部のメンバーと雑談をよくするようになり、お互いがひきこもりに至った経緯を話し、ありのままを受け入れてもらえたことは大きな癒しになりました。強い仲間意識も芽生え、安心して自分を出せる居場所だと感じられるようになったのです」
そして、地元の駅ピアノ(※駅に置かれた自由に弾けるピアノ)に足を運ぶようになると、音楽仲間ができた。
「私がどん底だったとき救ってくれたゲームの曲を弾きたいと思って。そこで知り合ったお兄さんが、なぜか自分の悩みを打ち明けてくれて、私もひきこもっていることを話すことができました。友だちにも隠していたのに!
その人が勧めてくれた電子ピアノを買うために、働きたいと思ったんです。私にとって、大きなターニングポイントでした」
藤原さんが働く意欲を見せると、建築会社がまた雇ってくれた。妹とも、お互いが抱えていた思いをぶつけ合うことができた。
結局、力量が少し足りず辞めることになったが、社長が「長い目で見たらええやん」と応援してくれ、うれしくて泣いてしまったという。
その後、地元のカフェで働くことに。店内にはピアノがあり、手が空いているときは練習してもいいという好条件だった。
「このころ音楽部でバンドを組むことになり、私の歌がつたなくても、ボーカルという居場所を与えてくれて! 仲間たちもお店も、歌いたかった自分の背中を押してくれました。音楽知識を教えてもらいながら、音楽仲間がどんどん広がっていったのです」
「自分らしくいられる空間を見つけた」
カフェの仕事にも慣れてきたある日、両親からこう切り出された。
「私たちも、もうそんなに長くは生きられないので、先のことを考えて、あなたは1人で自立して欲しい。あなたは、本当は何でもできるから」
それまで一緒に住んでいた家は、結婚して子どもが生まれた妹に譲って、自分たちは別の住まいに移るとも。
その話を東京の会社の人にすると「シェアハウスをする予定なので入りますか? 東京のほうが仕事もあるよ」と言われ、38歳で上京した。
「その会社主催のボランティア活動で能登に行ったのですが、写真を見て自分でも驚きました。以前は写真を避けるほど表情が死んでいたのに、笑顔だったから。
その写真を両親に送ったら、母が『お金を稼いでなくても、幸せそうな姿が見られて、本当によかった』『もう十分がんばってる』と言ってくれて、涙が止まりませんでした。
嫁いびりで苦しい思いをしていた時期も、ずっと味方でいてくれた母の存在が、今の私の土台になっているのだと強く感じた出来事でした」
少し前から学童で働き始め、大人も子どもも関係なく、目の前の人に本気で向き合う日々だ。プライベートでは、アニソンを中心に楽器演奏に合わせて歌う即興セッションができるお店に通い、ボーカルとして参加している
「『歌うのが好き』と伝えたら、『それさえあれば十分だ』と受け入れてもらい、自分らしくいられる空間を見つけました。自分では当たり前だと思っていたことも、他人からみれば価値のあることだと、仲間との交流を通して教えてもらいました。
自分の中にある『気になる』『好き』に気付き、それが少しずつ勇気となって、仲間と出会い、自己表現も学べました。
繊細で泣き虫で、苦手なことが多い自分も、受け入れられるようになりました。これからも、『自分らしさ』を探しながら、支えてくれた人たちへの感謝を胸に生きたいと思います。
タイムマシンがあったら、過去の自分をぎゅっとハグして、『よく頑張ったね』と伝えに行きたいです」
〈前編はこちら『毒祖母、家庭不和、就活の失敗、そしてひきこもりに…「自分が自分の存在を許せない」39歳女性の自身を責め続けた人生』〉
取材・文/萩原絹代

