
「人気なので今ご契約しないと他の人に取られちゃいますよと言われて契約してしまった」「投資を始めたものの、価格が下がる不安に耐えられず、少しの利益ですぐに売ってしまった」
このように、まだ起きていない将来の損失が気になって、よく検討せずに決断してしまったという経験は私たちの日常に溢れています。
では、なぜ私たちの多くは、最善の判断をするために「落ち着いて待つ」ということが難しいのでしょうか?
この疑問を明らかにするため、イギリスのバース大学(University of Bath)のクリス・ドーソン(Chris Dawson)教授(経済学・行動科学)と、カナダのウォータールー大学(University of Waterloo)のサム・ジョンソン(Samuel G. B. Johnson)博士らの研究チームは、約1万4000人の英国人を調査した大規模データを分析しました。
すると、悪い未来を想像して感じる「不安(ドレッド:dread)」の感覚は、良い未来を期待して感じる「楽しみ(セイバリング:savoring)」の感覚よりも6倍以上も強力であることが判明したのです。
この極端な感情の偏りは、私たちが不確実な状況を避け、時に「結果を急いでしまう」行動と強く結びついていると研究チームは述べています。
この研究の詳細は、2026年1月付けで科学雑誌『Cognitive Science』に掲載されています。
目次
- 心を揺さぶる「待ち時間」
- 「不安」が強い人ほど、せっかちになる
心を揺さぶる「待ち時間」
私たちは日常生活の中で、まだ起きていない未来のことをあれこれと想像します。
このとき、将来の出来事を頭の中でシミュレーションして沸き起こる感情を、心理学では「予期的感情(Anticipatory Emotions)」と呼びます。
たとえば、投資を始めるか迷っているとき、頭の中では利益の可能性と損失の可能性が並んでいて、それぞれに期待と不安の感情が浮かんでいると思います。
これまでの経済学の世界では、人々が将来の選択をするとき、将来の「結果」をどう評価するかが重要だと考えられてきました。
しかし、実際の私たちは、利益を想像して前向きになるより、損失を想像して身構える気持ちのほうが強く出ることがあります。投資においては価値が下がる不安が強くなり、利益がないのに手仕舞いしてしまうという人も多くいます。
現実の私たちは結果が出るまでの「待ち時間」そのものからも、大きな心理的影響を受けていると考えられるのです。
今回の研究チームが着目したのはこの点です。彼らは将来の出来事を待つあいだに生じる「予期的感情(anticipatory emotions)」が、良い結果を思い浮かべたときと、悪い結果を思い浮かべたとき、同じ強さではない可能性を検討しました。
調査では、英国で約1万4000人の人々から17年間にわたって集められたデータが分析されました。
このデータからは、「来年の自分の経済状況(家計)がどうなると思うか」という期待と、その人の現在の「心の幸福度」がどのように連動しているかを統計的に解析されています。
分析の結果、非常に興味深い人間の心の性質が見えてきました。
私たちは将来の成功を想像する「楽しみ(Savoring)」よりも、将来の損失を想像する「不安(Dread)」に対して、はるかに敏感に反応していたのです。
数値で見ると、同程度の利益(損失)について考える時、不安が今の気分に与えるマイナスの影響は、楽しみが今の気分に与えるプラスの影響の約6倍にも達していたのです。
私たちの心の中では、将来のわくわく感よりも、嫌な予感の方が圧倒的なパワーを持って居座っているようです。
そして、この研究の興味深い点は、この不安の方が強く感じやすいという性質が、私たちにリスク回避を促すのではなく、決断を焦らせるという形で働いていたということでした。
「不安」が強い人ほど、せっかちになる
この研究の最も興味深いポイントは、不安の強さが「リスクの避け方」だけでなく、「時間の捉え方」までも変えてしまうことを示した点にあります。
将来の損失を想像して苦痛を感じる度合いが、実際に損失を経験したときの痛み(損失回避)以上に大きい状態を、研究者は「不安回避(Dread Aversion)」と呼んでいます。
この不安回避が強い人ほど、二つの特徴的な行動をとる傾向があることが分かりました。
一つ目は、当然ながら「リスクを極端に避ける(Risk-avoidant)」ことです。
悪い結果が起こる可能性を想像するだけで大きな心のダメージを受けるため、その想像の種となるような不確実な選択肢を、無意識のうちに排除しようとするのです。
これは既存の研究でも、不安を感じやすい人においてよく指摘されていた影響です。
二つ目は、意外なことに「せっかちになる(Impatient)」ことでした。
通常、慎重な人ほど時間をかけて物事を決めたり、優柔不断になるイメージがありますが、予期的な不安が強い人の場合は逆の結果になりました。
不確実な状態が続けば続くほど、「いつか悪いことが起きるかもしれない」という不安による心のダメージが蓄積され続けます。
そのため、たとえ少し損をしたとしても、一刻も早く結果を確定させてその苦痛から逃れたいという心理が働き、損得に関わらず決着を急いでしまう傾向が見られたのです。
つまり、投資や人生の大きな決断で「せっかち」になってしまうのは、意志の弱さのせいではなく、その人の脳が持つ「将来への敏感さ」が原因である可能性が示されたのです。
これは将来的に得できるかもという感覚より、同程度の損をするかもという感覚の方が非常に強力であることを示しています。
例えば、「今契約してくれれば2割引きしますよ」という勧誘よりも、「今契約しないと他の人に取られちゃいますよ」という勧誘の方が強力な理由を説明しています。
後者は迷っている時間すべてが不安と戦う苦痛の時間になるため、早く決めて楽になりたいという気持ちが損得の感情を上回りやすいのです。
ただし、この研究はあくまで統計的な「傾向」を明らかにしたものであり、すべての人に当てはまる絶対的な法則について語っているわけではありません。
また、データの性質上、感情が先か行動が先かという完全な因果関係までは断定できないという点には注意が必要です。
とはいえ、損するか得するかという勘定以上に「待つことの苦痛」が私たちの経済的な選択を歪めているという視点は、非常に興味深いものです。
もしあなたが今、重要な決断を前にして「早く終わらせたい」と焦っているなら、それは心が将来の不安を先取りしすぎて、オーバーヒートしているサインかもしれません。
私たちがより良い選択をするためには、まずは自分の中にある「想像の力」の大きさを正しく理解することが、最初の一歩になるでしょう。
参考文献
New research reveals how dread shapes decision-making
https://www.eurekalert.org/news-releases/1113672
元論文
Asymmetric Anticipatory Emotions and Economic Preferences: Dread, Savoring, Risk, and Time
https://doi.org/10.1111/cogs.70160
ライター
相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。
編集者
ナゾロジー 編集部

