1月30日よりフランス製のアニメ映画『マーズ・エクスプレス』が劇場公開中だ。結論から言えば、本作は「硬派な大人向けアニメ」を求める方に大推薦できる。日本のアニメ、特に『攻殻機動隊』のようなメカニックや哲学的な思想、今 敏監督の『パプリカ』に近い描写にも痺れる、「ジャパニメーション」への敬愛をたっぷりと感じられたのだから。
なお、レーティングはG(全年齢)であるが、わずかに性的な話題がある他、アンドロイド(人間型のロボット)や猫型のロボットが無惨に破壊される(殺される)場面もあり、物語に後述する通り「意図的なわかりにくさ」があるので、小さなお子さんにはおすすめはしない。中学生以上なら、問題なく楽しめるだろう。
人間とロボットが共存する世界観や、退廃的な物語にマッチした音楽も魅力的なので、ぜひ没入観がある劇場でこそ見てほしい。佐古真弓、安元洋貴、内田夕夜、三瓶由布子というベテランの声優陣による日本語吹き替え版も素晴らしいクオリティーだったのでおすすめだ。
そして、本作は「ある程度の前知識があったほうがいい」タイプの作品でもある。大きく3つに分けて、本編の魅力と共に解説しよう。
1:「コンビで真相究明に乗り出す探偵もの」にして「迷宮に迷い込むフィルム・ノワールもの」である
本作のあらすじを簡単に言えば「私立探偵の女性が、アンドロイドの相棒と共に、行方不明の大学生の捜査に乗り出す」というもの。これだけを取り出せばシンプルな「探偵もの」かつ「バディもの」で、あっと驚くアクションの見せ場もあるため、わかりやすいエンターテインとしての軸がある。
しかしながら、立て続けに起こる出来事には「不可解さ」があり、「どういうこと?」と困惑する人は多いはずだ。衝撃的なオープニングシークエンスから「!?」となるだろうし、捜査をしていくと「行方不明の大学生は両親に大金を振り込んでいて売春の疑いもある」「アンドロイドが破壊される別の事件が起きている」といった、「ただの人探しというだけではない」事態に遭遇し続けるのだ。
そうした特徴から、本作のジャンルは「フィルム・ノワール」でもある。フィルム・ノワールの定義は幅広いが、概ね「虚無的または退廃的なテイストの犯罪映画」であり、「ハードボイルドな探偵が社会の暗部を目にする」「ファム・ファタール(主人公を破滅へ導く蠱惑的な女性)が登場して男性を惑わせる」といった展開が多い。
筆者個人としては、「出口のない迷宮に迷い込むような感覚」こそがフィルム・ノワールの「らしさ」であり、この『マーズ・エクスプレス』も「捜査はストレートには進まず、裏にある陰謀や誰かの思惑のために、どんどん混沌とした事態になっていく」特徴がある。そうした「事件の全体像がなかなか把握できない」部分、もっといえば「わけのわからなさ」をマイナスに捉えると退屈に感じてしまうのかもしれないが、その「翻弄される」感覚が魅力になるタイプの作品なのだ。
そして、辿り着く真相はとっぴなようでいて、「これまでの不可解さに(全てがスッキリするものではないものの)確かな意味があった」と思えるものだった。ある種の不条理さや理不尽さも含む結末ではあるが、それもまたフィルム・ノワールの「らしさ」だろう。
実際にジェレミー・ペラン監督は、インスピレーションを得た映画として、『チャイナタウン』『ロング・グッドバイ』『殺しの分け前/ポイント・ブランク』『アンダー・ザ・シルバーレイク』という、やはりフィルム・ノワールまたはネオ・ノワール(1940〜50年代に流行したフィルム・ノワールを現代的な感覚で復興した作品)をあげている。他にも、『大統領の陰謀』『ミッドナイトクロス』『カンバセーション…盗聴…』という「陰謀に巻き込まれる」形式の映画にも影響を受けたのだそうだ。
その上で、ぺラン監督は「フィルム・ノワールの主人公はいつも男性ばかり」ということに気づき「女性を主人公にする」ことを思いついたのだという。そのため前述したファム・ファタールに当たる人物はいなかったりもするが、探偵の主人公はアルコール依存症で決して「正しい人間ではない」し、彼女も相棒のアンドロイドも、事件に翻弄され続けた結果として「心の闇」に囚われていくような場面もある。そこでもフィルム・ノワールらしい特徴が押し出されていた。
2:「ロボット工学三原則」に基づく法律と「脱獄」という独特の概念
本作の日本版ポスターのキャッチコピーには「絶望的に平凡な23世紀の火星で、ロボットが脱獄(ダツゴク)する」とあるが、本作における「脱獄」とは、牢屋から物理的に脱出する、という意味ではまったくない。
たとえば、オープニングではこの「脱獄」の知識を問われた主人公の相棒が「サイバー法から解放され、盗み、殺し、悪態も好き放題。バレれば即解体される」とはっきり言う場面がある。そのサイバー法とは、SF作家のアイザック・アシモフが考案した「ロボット工学三原則」に基づく、ロボットが破ることのできない根本原則のことだ。
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【ロボット工学三原則】第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。第二条:ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。第三条:ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。――アイザック・アシモフ「われはロボット」(早川書房)より
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その上で、劇中の脱獄とは「ソフトウェアのセキュリティや保護機能を解除し、本来とは異なる用途に転用すること(つまりは「ハッキング(クラッキング)」と同義)」であると同時に、「サイバー法に則った絶対服従を保証するシステムを無効化すること」も指す。つまり、脱獄とは「ロボットを自由にさせると同時に、人間に危害を加える可能性のある存在へと変える」という、人間にとっての脅威となる概念なのだ。
そして、劇中では「ロボットをぶっ潰せ」「人間優位の社会を」という言葉を掲げての暴動の様子も描かれているほか、生前の姿と記憶を宿したアンドロイドの相棒が元妻から娘に会うことを拒否される、という場面がある。『鉄腕アトム』などで描かれてきたロボットへの迫害と差別、あるいは排外主義的な描写が、物語および結末に大きく絡んでいるのだ。
その他、劇中では以下の用語も特に説明なく登場するので、軽く頭に入れておいたほうがいいだろう。プレス資料から引用する。
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サイバネティックス:生物および機械における通信工学、機械工学を融合させ総合的に扱うことを意図した学問体系。第二次世界大戦後、米マサチューセッツ工科大学のノーバート・ウィーナー教授によって提唱された理論であり、「サイボーグ」や「サイバー攻撃」といった現代語の語源でもある。
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有機体:新世代の知能機械。従来のロボットのように機械や電子回路で構成されるのではなく、人工合成細胞から成る。
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強化人間:外科手術、遺伝子操作、人工移植によって身体能力と頭脳を強化された人間。
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また、タイトルの「マーズ・エクスプレス」とは、20年以上にわたり宇宙で活動を続けている実在の火星探査機の名前である。荒唐無稽なSFのようでいて、思想や設定は現実の科学や歴史に紐付いていることを鑑みれば、さらに面白く見られるだろう。

