競技者から表現者へ

ここで、坂本豪大の競技者としての戦歴を辿ってみよう。
1995~2001年 モ-グルナショナルチーム在籍
1996年 FISワールドカップ最終戦マイリンゲン大会 優勝(W杯 初出場初優勝 日本人初の快挙)
1997年 FISワールドカップ第2戦で前十字靭帯断裂
1998年 長野オリンピック出場
1999年 全日本選手権 優勝(翌日デュアルレース時、再度前十字靭帯断裂)
2001年 シーズン途中右膝半月板損傷、摘出手術後モ−グル競技引退を決意
2001年春プロ宣言 モーグル競技~SKI-X競技へ
2002年 US SKI OPEN SKI-X 出場(Semi Final進出)
SKI JAM SKI SNOWBOARD OPEN SKI-X 2位
2003年 FISワールドカップ SKI-X 日本代表選手として転戦
驚くほど速くそのときはやってきた。
96季、初めてのFISワールドカップの最終戦マイリンゲン大会 でなんと優勝。世界を驚愕させた。ワールドカップ初出場初優勝 というのは、日本人初の快挙。日本人選手が世界を制したのも初めて。「モーグル史を前代未聞の形で塗り替えた新星〝TAKE″。そのスケールは計り知れない」そんなインパクトを世界に与えた勝利だった。
しかし、翌年は前十字靭帯断裂という怪我に見舞われ、復帰した98季の長野オリンピックでは転倒してしまう。優勝したのはUSAのジョニー・モズリーだったが、これには悔しい思いもあった。
「当時はモーグルの大会では申請しないとグラブトリックはできなかった。でも僕は面倒くさいから申請なんてやってなくて。それが長野でジョニー・モズリーが全パクリしてくれたおかげで、グラブヘリはジョニーの技みたいになっちゃったけど、一番最初にやったのは、僕なんですけどね(笑)。

その頃、スキークロスっていう新しい種目も出てきて、そっちにもすごく興味があった。自分のスキー人生はモーグルだけじゃないって、最初から決めていたから。2001年プロになってスキークロスに転向、ワールドカップもちょっと転戦したし、エクストリームスキーもやりたくて、カナダで5シーズンを過ごしました」
競技者から表現者へ。坂本豪大のスキーは勝負の枠を越えて、“上手さ”と“自由”を求めるスキーへと変わっていった。
教えることで見えた滑りの本質

日本に戻ると、転機が訪れる。
「当時のデモンストレーターだった粟野さんに「スクールをやってみないか」と声をかけられたんです。かぐらで指導を始めて、粟野さんと一緒にキロロへ移って、そこから本気でレッスンをするようになった感じです。というのも、常連客が上達していく過程を見ているのが面白くなっちゃって。なかなか上達しない人に、どう教えたらいいのかって真剣に考えるようになったら、この世界も面白いなって」
指導に思いや時間をかけるようになると、また違った世界が見えてきた。
「今でこそパウダーやフリーライドが知られるようになったけれど、それでもまだひと握り。そこに焦点を合わせるより、ジャンルを問わずにスキーの本質的な技術を教えるレッスンをやるほうが、多くのニーズに応えられるし、将来にも繋がると思って。

いまの日本人のスキーヤーに足りないのは、多様な地形への対応力。コブや斜面変化に弱いんですよね。だからコブのレッスンを頼まれても、「この人、乗れてないな」と思えば、パウダーや荒れた斜面に連れ出します。多様な状況で、どういうポジションに乗っていないと滑れないよってことを身体で感じてもらうんです」
現在は、坂本豪大のFacebookやInstagram経由でプライベートのレッスンのみ受け付け、指導にあたっている。北米やアジア圏のゲストも多く、1月から2月は海外ゲストへのレッスンでスケジュールはいっぱいだ。
