
ドラマやアニメを観ていて、「さすがにこの展開は無理があるだろう」と冷めてしまったのに、インターネット上の評価を見ると気にしておらず、高評価を受けている。
そんな出来事にモヤモヤした覚えのある人は多いかも知れません。
また、展開に無理があるなと思っているのに、自分自身もなぜか最後まで夢中で観てしまった、という作品も少なからず存在するはずです。
これまでの物語の研究は、「いかに優れたストーリーを書くか」という書き手の技能に注目が集まってきました。
しかし、実際は完璧な物語だけが高く評価されるわけではありません。そのため心理学やメディア研究では、読み手が物語に何を求めているかという「目的」や「心の仕組み」に目が向けられるものも増えてきました。
なぜ私たちは、物語の整合性が失われていても「面白い」と感じてしまうことがあるのでしょうか。私たちが物語をどう処理し、どのような欲求を満たそうとしているのかを探ってみましょう。
目次
- 「没入感」が高いほど物語の破綻が気にならない
- 物語のパーツを楽しむ人々
「没入感」が高いほど物語の破綻が気にならない
何かに夢中になっているとき、私たちは周囲の音が聞こえなくなったり、時間が経つのを忘れたりすることがあります。
心理学ではこの状態を「没入」と呼びます。
物語に触れている際、この没入が起きると、読み手の精神はあたかも現実を離れて物語の世界へと旅をしているような状態(物語への没入:Narrative Transportation)になります 。
心理学者のメラニー・グリーン(Melanie C. Green)氏らの研究によれば、この「没入」が起きているとき、私たちの脳内では論理的な判断に関わる興味深い変化が起きているのだといいます 。
彼らは、読者がどれだけ物語の世界に引き込まれたかを客観的に数値化する質問票を用いて、物語への没入度合いを調べると同時に、被験者に物語を読んでいる最中に「論理的におかしい」「現実的にあり得ない」と感じた箇所に丸をつけてもらうという実験を行いました。
その結果、物語の世界に深く没入している読者は、そうでない読者に比べて、「おかしな点(False notes)」を指摘する数が劇的に少なくなることを発見したのです。
没入感で物語の破綻に対する許容度が変化するというこの報告は、どのメディアを用いてどのように鑑賞したかで、物語の評価は変化する可能性があることを示唆しています。
これは私たちの実感としてもわかりやすい結果かもしれません。
映画館で見たときは気にならなかったのに、家でじっくり見返したらストーリーの粗が気になった、なんて経験は思い当たる人も多いでしょう。
アクションゲームのような没入感が強いコンテンツでは、物語の矛盾や破綻が気になりにくいという傾向もあるかもしれません。
一気見などでもこの影響はあるかもしれません。ドラマなどをサブスクで一気見した人と、1話ごと週をあけて追っていたという人では、ストーリーへの評価は変わるかも知れません。
また、この研究では読みづらい文章やわかりづらく修正するべき点がないかチェックしてください、という指示を与えて作品を読んでもらうという実験も行っており、その場合は作品の評価が下がることも報告しています。
これも作業によって没入感が下がることが原因とされますが、批評する目的で作品を見た場合は、物語の粗が目立ちやすくなることを示唆しています。
そのため話題だからどのくらいすごいのか見てやろう、という気持ちで作品をチェックしていると、他の人より物語の問題点が気になりやすくなるのかもしれません。
またもともと物事に深く没頭しやすい「吸収(Absorption)」という性格特性を持つ人ほど、より深く物語の世界へ入り込みやすい傾向があると言われています。
そのため、完成度があまり高いとは言えない物語でも、人によって意外なほど評価が割れることがあるのです。
ただ、物語の破綻を見過ごせるか? という問題は没入感だけでは説明しきれません。ここには読者の目的も関係していると考えられます。
物語のパーツを楽しむ人々
物語の破綻が気にならない理由は、どんな環境で楽しんだかという問題だけではありません。
そもそも読者が「物語の楽しみ方」そのものを変化させているという指摘もあります。
メディア研究者のヘンリー・ジェンキンズ(Henry Jenkins)氏は、熱心なファンたちの行動を「テキストの密猟(Textual Poaching)」という言葉で表現しました。
密猟という表現は、読者が作者(所有者)の意図に従うだけの存在ではなく、自分の楽しみのために、お気に入りのキャラや設定という「獲物」を作品から奪い取って楽しむ姿を例えたものです。
密猟者としての読者は、作者が用意した一本道のストーリーに受動的に従うのではなく、自分の社会経験や願望に合わせて、物語の一部を自分なりに解釈し直して楽しみます。
たとえば、物語全体のつじつまが合っていなくても、お気に入りのキャラクター同士の関係性や会話が魅力的ならば、それだけで満足する場合があるというのです。
このような読者は、物語の整合性や完成度はさほど重要視せず、自分の想像力を広げるための「素材の宝庫」としてどれだけ価値があったかで作品を評価します。
また、日本のサブカルチャーにおける評論でも似たような議論があり、この傾向は「データベース消費」という表現で説明されています。
読者は一貫したプロット(小さな物語)を消費するのではなく、設定やキャラクターの属性といった「データベース(大きな物語)」から、好みの要素を引き出して楽しんでいるというのです。
この場合、個別のエピソードに論理的な飛躍があっても、背後にある一貫した世界設定(サーガ / Saga)やキャラクターの魅力さえ守られていれば、読者の満足度は損なわれません。
キャラクターをどう見ているか:整合性の優先順位
さらに、読み手がキャラクターをどのような存在として捉えているかも、破綻への許容度に影響を与えていると考えられます。
ナラティブ理論の研究者であるジェームズ・フェラン(James Phelan)氏は、読者がキャラクターを捉える際の側面を3つに分類しました。
1つ目は、キャラクターを実在の人間のように捉える「擬人的(Mimetic)側面」です。
この側面を重視する読者は、心理的なリアリティや行動のつじつまを重んじるため、物語の「破綻」に対して非常に厳しく、些細な矛盾でも没入が妨げられてしまいます。
2つ目は、キャラクターを物語を動かすための「部品や記号」として捉える「構成的(Synthetic)側面」です。
読者がキャラクターを「特定の役割を果たすためのパーツ」として意識している場合、プロットの整合性よりも「期待通りの活躍をしたか」が重要視されるため、物語の破綻に対しても高い許容度を持ちます。
3つ目は、キャラクターをある思想やメッセージを代表する象徴として捉える「主題的(Thematic)側面」です。
例えば、寓話に登場する「あり得ないお人好し」のように、読者がそのキャラを通じて「何を表現しようとしているか」というテーマ性に注目している場合、メッセージを強調するための矛盾は「必要な演出」として受け入れられます。
絵本や童話はかなり突飛な展開が多いですが、それが気になって冷めるということがないのは、主題的側面でキャラクターを見ているためと考えられるかも知れません。
このため、物語の破綻が気になる人と気にならない人の違いには、「物語に何を期待しているか」という優先順位が関係してきます。
論理的な一貫性を求める読者にとって整合性の欠如は致命的ですが、キャラクターの魅力や世界観の設定に没入したい読者にとって、矛盾は楽しみを損なうほどの問題にはならない場合が多いのです。
物語はもはや書き手が提供する完璧な展開だけで成立するものではなくなっているのかもしれません。
高く評価される作品は、読み手が願望を織り交ぜて自由に楽しめるような、優れたパーツとしての側面も重要になっているのでしょう。
参考文献
Reading people, reading plots : character, progression, and the interpretation of narrative
https://archive.org/details/readingpeoplerea00phel/page/n5/mode/2up
Textual Poachers: Television Fans and Participatory Culture
https://archive.org/details/textualpoacherst0000jenk
元論文
The role of transportation in the persuasiveness of public narratives.
https://psycnet.apa.org/doi/10.1037/0022-3514.79.5.701
ライター
相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。
編集者
ナゾロジー 編集部

