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江夏豊の伝説、江川卓の「禁断トレード」…球界を震撼させた衝撃の“3大移籍劇”の内幕

江夏豊の伝説、江川卓の「禁断トレード」…球界を震撼させた衝撃の“3大移籍劇”の内幕

江川卓(C)週刊実話Web

【球界伝説のトレード1】
1993年オフにFA制度が導入されてからというもの、トレードが少なくなった。だが、プロ野球史を振り返ってみると、ストーブリーグを沸かせる大物選手のトレードがたくさんあったのだ。そこで、熱烈なプロ野球ファンのために、球史に残る大型トレードとそれにまつわるエピソードを振り返ってみよう(全2回中の1回目)。

リーグを代表するスター選手同士の移籍劇

◆山内一弘(大毎)⇔ 小山正明(阪神)/1964年
「世紀の大トレード」と呼ばれたこのトレードこそ、プロ野球史上における最初の衝撃トレードといえるだろう。小山は阪神で8年連続2ケタ勝利を挙げ、1962年には沢村賞も獲得。当時すでに通算176勝を挙げていた阪神の大エースだ。

一方、山内はこの年までに本塁打王2回、打点王4回、首位打者1回、そしてMVPも1回獲得し“パ・リーグ最強打者”とも呼ばれていた大毎オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズの源流)不動の4番。

阪神にはこの時期、小山のほかに村山実というエースがおり、「両雄並び立たず」の状態だった。大毎の永田雅一オーナーは、「阪神の小山が球団に嫌気」という噂をキャッチ。打撃重視から守り重視へ変革を模索していたことから、小山の譲渡を阪神側に申し入れた。

阪神としても、当時の課題はチーム打率が2割台前半だった貧打線。巨人、中日に対抗するために打線の強化を目論んでいたため「榎本喜八か山内との交換なら」と返したという。そこで永田オーナーは山内をトレードに出すことを決めた。

山内は阪神に移籍した’64年、31本塁打・94打点でセ・リーグ優勝に大いに貢献、一方の小山も移籍の同年は、いきなり30勝を挙げ自身初となるパ・リーグ最多勝に輝いた。

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「野村再生工場」に再生された2人の名選手

◆江夏豊(阪神)⇔ 江本孟紀(南海)/1976年
阪神のエースとして君臨していた江夏。そんな江夏を持て余していた阪神・吉田義男監督から懇願される形で南海・野村克也監督がトレードを受諾。

阪神からは江夏に加え外野の望月充、南海からは投手の江本と長谷川勉、池内豊、外野手の島野育夫による「2対4」のトレードが成立した。江夏、江本という両球団のエース同士を含む大型トレードは、ファンにも衝撃を与えた。

江夏は野村克也監督の下でリリーフに転向。南海移籍2年目の1977年に制定された「最優秀救援投手(パ・リーグ)」のタイトル第1号となり、以後「ストッパー」の地位を確立させた。

以後、広島、日本ハム、西武で「優勝請負人」として活躍し、野村監督は「野村再生工場」と呼ばれるようになった。

江本も阪神のエースとなるが、1981年に「ベンチがあほやから」発言で首脳陣を批判し、突如引退した。

配信元: 週刊実話WEB

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