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【豊臣兄弟!トリビア】住宅メーカーもあ然! 伝説の「墨俣一夜城」築城に秀長が持ち込んだ“驚愕の建築革命”

【豊臣兄弟!トリビア】住宅メーカーもあ然! 伝説の「墨俣一夜城」築城に秀長が持ち込んだ“驚愕の建築革命”

仲野太賀(C)週刊実話Web

大河ドラマ『豊臣兄弟!』が好評を博している。秀吉と秀長の兄弟コンビが、戦国の世を「知恵」と「結束」で乗り越えていく姿が脚光を浴びているのだが、物語序盤のハイライトとなりそうなのが、戦国最大の謎の一つと称される「墨俣一夜城建設」(1566年)のエピソードだ。

信長が喉から手が出るほど欲した美濃攻略の拠点は、いかにして築かれたのか。その驚くべき「工法」の正体がこのドラマの人気ぶりもあって再び注目を集めているのである。

美濃・斎藤龍興勢の猛攻を前に、柴田勝家や佐久間信盛ら歴戦の猛者たちが築城に失敗した墨俣の地。そこに秀吉が、わずか数日のうちに城を完成させたという伝説は、かつては「後世の創作」との声も強かった。

ところが、1959年に愛知県江南市の旧家に伝わる『武功夜話』などの史料が発見されて以降、その驚異的な建設スピードを実現させたリアリティのある手法が浮かび上がったのだ。

「一夜城といっても、魔法のように建物が湧き出したわけではない。そこには現代の土木・建築関係者も驚くような、緻密な計算に基づいた『ユニット工法』が存在したのです」

そう語るのは、城郭に詳しい考古学者だが、当時、秀吉らが採用したとされるのが、現代でいうところの「プレハブ工法」だったのだ。

現在、墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)が公式に解説している史料によれば、あらかじめ木曽川の上流で、柱や梁といった城のパーツを加工。それらを筏(いかだ)にして川に流し、現地でプラモデルのように一気に組み上げたという説が有力だ。

「墨俣は現在の岐阜県大垣市に位置し、長良川、犀川、五六川が合流する交通・軍事の要衝。そのため、信長はなんとしても奪取したがったが、その命を受けた秀吉は部材をすべて規格化。築城現場での作業を最小限にするため、一説には事前に接合部の『ホゾ』まで彫り込ませたと言われる。これは現代の住宅メーカーが工場で行う『プレカット』(あらかじめ切断や接合部の加工を施しておく工法)そのもの。また、防壁には、板を並べた間に土を詰める工法が用いられ、短時間で防御力を高めたとみられています」(同)

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一夜城が放った戦意を喪失させる“凄み”

ちなみに、この「プレハブ工法」が近代史に登場するのは1920年以降のこと。それより350年以上も前に、この驚異的なプロジェクトを兵站と工兵的な視点から支えたのが、管理・遂行能力に秀でた弟の豊臣秀長(当時は木下小一郎)だった。

歴史ファンからは今も「彼がいなければ、上流での資材調達も大量の材木を滞りなく現地へ届ける輸送作戦も成立しなかったはず」との声が絶えないが、秀吉が現場の士気を高めるプロデューサーなら、秀長は資材調達から工程管理までを完璧にこなす最高執行責任者(COO)だったのだ。

実際、この築城が功を奏し、織田家臣団内での秀吉の評価を決定づけることとなった。同時に力攻めではなく、技術と物流で敵を圧倒するスタイルが「豊臣戦術」の原点となったのである。

軍事ジャーナリストが言う。

「しかも、この一夜城の真の“凄み”は、敵に『もはや勝ち目はない』と錯覚させた心理戦にある。建築技術がそのまま強力な兵器となった稀有な例でもあるのです」

一夜にして姿を現した城壁を前に、斎藤勢は戦意を喪失したというが、その裏には泥にまみれて図面を引き、川の流れを読み、膨大な木材を管理した秀長の献身があった。

ドラマで描かれる兄弟の絆は、戦国に登場した「プレハブ工法」という革命的なイノベーションによって、より強固なものとなっていくのである。

配信元: 週刊実話WEB

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