世界から愛される河瀨直美監督最新作であり、第78回ロカルノ国際映画祭インターナショナル・コンペティション部門正式招待となった『たしかにあった幻』。本作は日本にやってきた臓器移植のコーディネーター【コリー】が、ひとりの日本人男性【迅】と恋に落ち暮らす中で、日本における小児臓器移植の難しさに気づいていく愛と喪失、そして希望を綴る完全オリジナル脚本によるヒューマンドラマです。『ファントム・スレッド』のヴィッキー・クリープスが主人公【コリー】を演じ、屋久島で彼女と出会い、やがて恋人となる【迅】には、ドラマや映画で活躍する寛一郎が扮しています。今回は、屋久島と神戸で長期ロケを経験した寛一郎さんに初の河瀨組での思い出や、役者としての今の思いを伺いました。
――河瀨監督が書き上げた脚本を読んだ時、どんな印象を持たれましたか。
そうですね。河瀨監督が描きたい諸行無常というか、命の繋がりを感じました。それと河瀨監督ご自身のコンプレックスも感じ取ったというか、とにかくとても内容の濃い作品だと思いました。台本の内容というよりも、【迅】という役柄が凄く魅力的だったので、“この役を演じてみたい”と純粋に思えたんです。だからやらせて頂きました。
――【迅】という役は決め込みだったんですか?それともオーディションだったのですか?
お声がけして貰い、面談という形でした。【迅】を演じる俳優を決めかねていらっしゃったようで、色々な俳優さんと会っていたみたいです。そんな時にマネージャーさんに「会ってみますか?」と聞かれて「是非、お会いしたいです。会ってみたいです」と答えたんです。それでお会いすることになりました。河瀨監督と色々とお話をしたんですけど、その時の僕自身のメンタル的にも【迅】とリンクするようなところがあったようです。僕のプライベートの話も聞いた河瀨監督が「【迅】役で行きましょう」となったのだと思います。
――私は【迅】という役は、演じるのがとても難しいと思いました。凄く魅力的で、距離感も近いのだけど、本音を出さない人。相手に合わせて生きている印象で、自分の本心を出さない選択をした人に見えたんです。
そうですね、臆病ですよね。凄く臆病で、ずるいと思います。でも、そういうところ“わかる”と思って (笑)。僕もそっちタイプだと思うので‥‥。僕も人の話を聞くけど、基本自分のことはあまり話さないです。それは一種の防衛本能というか、人との距離が近くなり過ぎることを恐れているのだと思います。まぁ、インタビューの時は、頑張って話すようにしていますけど (笑)。
――【迅】のようにサラリと、話しかけることは出来るのですか。
そうですね。そこも理解は出来るんです。仲が良くなった人を失うことって怖いですよね。諸行無常の話に戻りますが、人って何かが変わっていきますよね。関係性も絶対に変わっていく中で、【迅】は「失う」ということを理解している前提で人と接しているから、ある程度の距離感というか、「自分は居なくなるから大丈夫だよ」みたいな、そんな予防線を引いた上で人と気楽に話せるんだと思います。
――映画を観ながら“確かに【迅】のような人は居る”と思いながらも、私はどちらかというと【コリー】タイプなので、部屋での誕生日のシーンで感情が露わになっていく様子は辛くって。あのシーンはどうやって撮影していったのでしょうか。
あそこは確かに辛いですよね。テイクを重ねたのもありましたけど、基本「よーい、スタート」がないんです。だからあのシーンの撮影でも、気づいたらカメラが回っている感じでした。河瀨監督の理論で言うと「カメラが回っていない時でも役にならないと駄目だから」ということなんです。だから役は積み重ねなんです。いつカメラが回されてもいいように、僕と彼女 (【コリー】役ヴィッキー・クリープス) は、常に準備をしている感じでした。
――河瀨組常連の永瀬 (正敏) さんからもお聞きしたことがあります。つまり、撮影に入る前からずっと役に入り込まないといけないということですよね。
そうです。メイクが終わった時点で役にならないと駄目らしく‥‥、スタッフさん達もメイク後は、俳優の周りから誰も居なくなる感じです。
――つまり撮影期間中は、役者はずっと演じる役で居るという感じですか。
そういうことだと思います。ただ僕はそういうタイプではなかったので、結構難しくて。僕は自分の中にあることしか演じることが出来ないんですよね。「役をゼロから作って、演じています」ということもあまり出来ないタイプで。自分の中にある感情から役を演じているので、僕の解釈では僕がそこに普通に居ても【迅】ではあるんです。だから河瀨監督がやって欲しい俳優の在り方と、僕の現場での居方が完全に一致はしませんでした。でも後半からコツを掴んできたというか、“こうすればいいんだ”と思いながら演じていました。
――河瀨組を経験したことで、新しく生まれた演技のアプローチはありますか。
河瀨監督自身がとてもクレバーな人なので、現場で悩んで「待つ」という言葉がないんです。河瀨監督は掴み取りに行く、全部前のめりに掴み取りに行く人なので、その姿勢を含め、自分が欲しい部分だと思いました。役作りに対してもそうです。撮影時、僕の方がヴィッキーより先に屋久島に居たんです。何故なら【迅】は屋久島に住んでいたので、それは当たり前のことですし、【コリー】役のヴィッキーと僕が同じタイミングで屋久島を訪れるのはあり得ないことだからです。それに僕はヴィッキーと森の中で出会うまで、一度も会わなかったんです。だって映画の中では、【迅】と【コリー】は森の中で出会うから。だから撮影の準備でも同じ空間に居るけど、お互いを見せないように周囲も心がける。その中で (撮影前の) お祓いもするみたいな感じでした。
――え!? 撮影が始まる前の映画撮影の安全を祈願するお祓いでもですか!?
はい、お祓いの時もヴィッキーは斜め横に居るんですけど、僕が目を合わせようとすると遮られる感じでした。
―― (クランク) イン前の顔合わせにもなる (脚) 本読みもしていないということですか。
まったくしてないです。ぶっつけ本番です。最初に森で出会うシーンが「初めまして」でした。そこから半分ドキュメンタリーのような撮り方になりました。撮影が進んである程度、物語の2人が仲良くなって、それからちょっと時間が経過して、屋久島で2人でデートをするみたいな感じのシーンを撮影することになったのですが、その間、移動時間があったんです。その時、河瀨監督から「何でヴィッキーに話しかけに行かないの? あなたは【迅】でしょ」と言われて、“確かにな”と思いました (笑)。
――すごいですね。脚本にも英語が書かれていたんですよね。
はい。英語でしたね、途中から半分、フランス語になりました。
――普段から英語やフランス語を勉強されていたのですか。
英語は今回の撮影の為に、ちょっと前から勉強していました。でも2日前ぐらいに僕の台詞の半分以上がフランス語に変更になって、それで急遽、簡易的にしたフランス語を覚えていきました。特にフランス語が大変でした。英語は何となく言っていることが理解出来るし、アドリブでも喋れるけど、フランス語は何を言っているのか理解出来なかったです。でも面白いことに、演じているうちに後半のシーンで、ヴィッキーが間違えて、英語で言う筈のところをフランス語で話したことがあったんですけど、それは何故か分かったんです。もちろん台本を読んでいるからというのもあると思いますが、そこが分かって、ちょっとずつですがフランス語を理解していけたというのが、凄く面白い感覚でした。
――寛一郎さんは茨の道というか、そういう作品の映画を選ばれますよね。ここ最近は特に山に入る『プロミスト・ランド』(2024) や『シサム』(2024) もありましたし。
「茨の道に行け」と言われていたんだと思います。最近はそんなことないですよ (笑)。
――ご自身では「こんな作品に出演してみたい」とかあるんですか。
本当に全然、山は好きじゃないですけど、あの頃も含めて滅茶苦茶、山に行かされていたんです (笑)。まるで「山に行け! 」と言われているように‥‥。でも分かる気もするんです。僕は東京生れの東京育ちですし、本当にコンクリートジャングルの中で育ってきたので、ここまで自然と触れ合う機会ってなかったんです。本当に誰も居ない森で、電波も繋がらない中で、2、3日、普通に1人で過ごして、特に何をするわけでもなく、歩き回って、食事をして、水を汲んで、寝るだけの生活なんですけど、その時間が凄く良かったんです。『プロミスト・ランド』では雪山に行ったりしました。そんな体験は、それまでの僕の人生の中にあんまりなかったんです。「1回、山に行ってこい」と言われていたんでしょうね。でも今はそういうのは抜けましたから、最近は山に行っていないです (笑)。
―― (笑)たくさんのドラマや映画に出演され、色々な人と触れ合っていく中で「どういう人間になっていきたい」とかありますか。
山の修行の期間を含め、何といえばいいのか‥‥。僕はもっと排他的でニッチで狭いタイプの人間だったんですけど、それが修行の期間を経て、段々と広がっていっている感じがあります。
――映画『グランメゾン・パリ』にも出演されていますし。
『グランメゾン・パリ』は3秒ぐらいしか出ていないですが (笑)。
――いやいや。出演ジャンルがインディーズからメジャーまで振り切れていますよね。
そうですね。映画『爆弾』、映画『ラストマン-FIRST LOVE‐』にしても、段々と広げられるように自分的にもなっているのではないかというのがあります。
――今後は「エンタメもアート系もやっていける人になりたい」ということですか。
「なりたい」と思えるようになりましたね。
――それは何故ですか?「山」とは言わないで下さいね (笑)。
でもその聞き方は「山」って言わせるためのフリではないですか (笑)。まぁ、何故でしょうね?もちろん前提として自分が好きなジャンルの映画はありますし、そういう映画に出演したいというのはあります。でもそうではない面白さだったり、その必要性みたいなものを経験していくと、肌で感じる部分もやっぱりあるので、そういうジャンルのところに行って、また映画に帰って来ると「やっぱり映画の現場っていいな」と思えたりもするんです。1つをずっとやっていたら多分飽きてしまうのではないかという気もします。飽きるというか、より自分は何が好きなのか、自分は何が得意で、何が不得意なのかも分かってくるので、それを改善したいと思っています。
――改善したい不得意なものとは何ですか。
不得意なところは、やっぱり沢山の人みたいなものですかね。沢山の人が苦手なので、得意になるとまでは言えませんが、慣れていきたいと思っています。それは沢山の人に向けた作品でもあるし、もちろん沢山人が居る場所でもあります。ニッチな映画(インディーズ映画やアート系映画)をやっている時、舞台挨拶に行ったらその人、1人、1人と僕は喋ることが出来るんです。時間があれば、1人、1人と喋って質疑応答もしたいです。ですが、そうは出来ないものもありますよね。その塩梅というか、自分の中での切り替え、メリハリみたいなものは学んでいかないと駄目だと思っています。
――丁寧なんですね。
丁寧というか。僕は脚本を描いて、監督をしたわけではありませんが、俳優として演じた側として「それが出来ないと駄目だろう」と思ってしまうんです。そういう心意気でやっています。
アート系映画からエンタメ映画までを行き来する俳優・寛一郎さん。持ち前の独特な存在感で多くの人を魅了し、映画やドラマにスパイスを効かせ、その人物も内面を探りたくなる演技をする俳優でもあります。そんな寛一郎さんが少し自分と似ていると言った本作のキャラクター。近づき過ぎると離れてしまいそうな危うげな青年が劇中魅力的に見えるのも、彼を理解している寛一郎さんだから成し得た愛すべきダメ男な気がしたのでした。だからこの映画が切なくもあり、人との出会いと別れを描きながら、愛を繋げる映画になっているんだと思いました。
取材・文 / 伊藤さとり
撮影 / 奥野和彦
映画『たしかにあった幻』
フランスから来日したコリーは、日本における臓器移植への理解と移植手術の普及に尽力するが、西欧とは異なる死生観や倫理観の壁は厚く、医療現場の体制の改善や意識改革は困難で無力感や所在のなさに苛まれる。また、プライベートにおいても屋久島で知り合った迅と同棲を始めるが、お互いが使う時間のズレからくるコミュニケーションの問題に心を痛めていた。そんな中、心臓疾患を抱えながら入院していた少女・瞳の病状が急変するが‥‥。
監督・脚本・編集:河瀨直美
出演:ヴィッキー・クリープス、寛一郎、尾野真千子、北村一輝、永瀬正敏、中野翠咲、中村旺士郎、土屋陽翔、吉年羽響、山村憲之介、亀田佳明、光祈、林泰文、中川龍太郎、岡本玲、松尾翠、早織、小島聖、平原テツ、利重剛、中嶋朋子
配給:ハピネットファントム・スタジオ
© CINÉFRANCE STUDIOS – KUMIE INC – TARANTULA – VIKTORIA PRODUCTIONS – PIO&CO – PROD LAB – MARIGNAN FILMS – 2025
2026年2月6日(金) ロードショー
公式サイト maboroshi-movie
