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やなせたかしの人生プランは「65歳まで」だった? 『あんぱん』暢さんの死後20年、多数の病気や巻き込まれかけた「大事件」とは

やなせたかしの人生プランは「65歳まで」だった? 『あんぱん』暢さんの死後20年、多数の病気や巻き込まれかけた「大事件」とは


柳井嵩役の北村匠海さん(2020年11月、時事通信フォト)

【画像】え、「危ない…」「強運」 こちらがやなせたかしさんが暢さんの死後、「危うく巻き込まれていた」大事件です

病気多数だった晩年のやなせたかしさん

『アンパンマン』の作者、やなせたかしさんとその妻の暢(のぶ)さんをモデルにしたNHK連続テレビ小説『あんぱん』は、130話で堂々の完結を迎えました。1993年11月にがんで亡くなったモデルの暢さんのように、主人公「柳井のぶ(演:今田美桜)」の死が描かれるのではないか、という心配の声もありましたが、暢さんが1988年に余命宣告されながらも奇跡的に回復しそこから5年間も生きた、という実話をもとに『あんぱん』最終話はのぶが元気に生きている状態で終わっています。

 やなせたかしさんは暢さんの死から20年後、2013年10月に94年の生涯を閉じました。『あんぱん』ではのぶの病気が完治した、とは語られていないため、のぶもどこかのタイミングで「柳井嵩(演:北村匠海)」よりも先に、この世を去っていると思われます。高視聴率の人気ドラマとなったため、今後続編のSPドラマが作られることもあるでしょうが、その際は老齢の嵩が主人公で、のぶは幽霊のような存在として彼を見守っている、という形になるかもしれません。

 やなせさんは自分が長生きするとは思っていなかったようで、暢さんの死後2年の1995年に書いた自伝『アンパンマンの遺書』(岩波書店)では、「ぼくの(人生の)プランは六十五歳までだった」と語っていました。もともとは、60代半ばで引退して暢さんと余生を過ごす予定で、自分の死後残される暢さんの人生の方を心配していたといいます。やなせさんの父、清さんは31歳で亡くなり、育ての父でもある伯父の寛さんも享年50歳、弟の千尋さんも22歳で戦死していたため、柳瀬家の男性らしく自分も短命だと考えていたそうです。

 自分の予想より30年近く長く生きたやなせさんですが、決して万全の健康体だったわけではなく、生涯で何度も病気になっていました。

 2005年2月6日、やなせさんの86歳の誕生日に出版された自伝『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)では、膵炎の手術を受けたこと、胆のうと脾臓を切除したことのほか、難聴や狭心症、肝炎、腸閉そく、脱腸ヘルニア、糖尿病、爪白癬、坐骨神経痛、白内障、尿管結石と、それまで発症したさまざまな病気について語られています。やなせさんはそれだけの病気と闘いながら生涯現役を貫き、『アンパンマン』関連の仕事だけでなく、書籍の執筆、講演会、作詞、古巣の高知新聞でのエッセイ連載、『詩とメルヘン』(サンリオ)の編集長業務など、精力的に仕事を続けました。

 また、やなせさんは『人生なんて夢だけど』で暢さんの死後、ある事件に巻き込まれかけていたことも語っています。やなせさんは当時、歌手の大和田りつこさん、岡崎裕美さん、ピアニストの篠崎仁美さんと、解説を加えながら有名な童謡と新しい創作曲を披露する「知的童謡コンサート」を定期的に行っていました。

 1995年3月20日、やなせさんたちが銀座で14時からいつものようにコンサートをしたところ、普段は超満員のはずが、会場のキャパシティの70%ほどしかお客さんが来ていなかったそうです。それもそのはずで、その日は午前8時頃に、オウム真理教の幹部構成員が営団地下鉄霞ケ関駅に向かう3路線5方面の電車内において化学兵器サリンを散布し、14人の死者と6300人の負傷者が出た「地下鉄サリン事件」が起きていました。

 やなせさんはその日朝早くに地下鉄を使って会場入りしていたため、「まかり間違えば被害者のひとりになっていたかもしれないと戦慄」したことを振り返っています。

 やなせさんの「プラン」になかった65歳以降の人生は、1988年の『アンパンマン』アニメ化や暢さんとの別れ、病気や事件のほか、私財を投げ打つ覚悟だった1996年の「香北町立やなせたかし記念館 アンパンマンミュージアム」(現:香美市立やなせたかし記念館)を開館したこと、2003年のCD「ノスタル爺さん」で84歳で歌手デビューしたこと、2011年の東日本大震災後に引退を撤回して被災地を支える活動を続けたことなど、かなり波乱万丈でした。

 続編のドラマを作る余地は大いにありそうです。

配信元: マグミクス

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