10月1日で亡くなってから3年を迎えるアントニオ猪木さん。プロレス界が生んだ不世出のスーパースターであったが、同時に政治家としても活躍。90年の湾岸戦争の際、クウェートで141人の在留邦人が人質となった際には単身イラクに乗り込み、当時のフセイン政権と交渉の末に全員解放という日本の外交史上における大偉業をやってのけた。
そんな彼は生前、ほぼ毎年のように北朝鮮に訪問。その回数は94年の初訪朝以来、33回に及び、北朝鮮との間に強固なネットワークを築いている。同国の内部事情に精通し、「永田町では『北朝鮮について分らない事があったら猪木さんに聞け』と言われていたほどです」と語るのは大手紙の政治記者。
実際、教えを乞うために猪木さんのもとを訪ねる外務官僚は後を絶たず、国会議員からもたびたび助言などを求められていたという。
「しかも、猪木さんがスゴいのは、北朝鮮やフセイン時代のイラクはもちろん、ロシアやキューバ、自身が生まれたブラジルなど国際情勢で一癖二癖ある国々との間に太いネットワークを持っていたことです。歴代政権もその価値が分かっていたため、本人は固辞しましたが自民党からの出馬オファーがあったことは関係者の間では有名な話です」(同)
晩年はトランスサイレチン型心アミロイドーシスという難病に苦しんだが、「もし今も元気だったら政治の第一線で活躍できた」と話す関係者は少なくない。
「あれほどの方ですから体力は人一倍どころか何倍もある。凶弾に倒れた安倍元総理以外では、“トランプ大統領と唯一マブダチでなれた可能性がある人物”とも言われています。猪木さんはコミュ力お化け。自身の知名度を生かして相手の懐に潜り込み、相手の信頼を得るのは本当に上手い。日本の歴代外相ですら足元に及ばないほどの外交スキルです」(同)
“燃える闘魂”が今も健在だったら、日本を取り巻く外交情勢はもう少しマシなものになっていたのかもしれない。
(滝川与一)

