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生誕90年 立川談志と最後の弟子〈初めて書く「イリュージョン」な日々〉(4)将軍立川談志様御尊顔を拝する

生誕90年 立川談志と最後の弟子〈初めて書く「イリュージョン」な日々〉(4)将軍立川談志様御尊顔を拝する

 アポなしで談志邸を突撃した談吉は、父とともに“三者面談”を受けることになった。すっかり委縮している父を前に「ハッキリ言って食えません」と開口一番言われようとも、談志の弟子になるとの覚悟は微塵も揺らがない。しかし、その場所にはなぜかNHKのテレビカメラによる撮影が入っていて‥‥。

 2008年3月、父が談志と対面した。

「ハッキリ言って食えませんよ、やりたいって言うもんですからね、やらせてみてもいいとは思ってます、はい、どうなるかは全くわかりません、何度も言うようですが食えません、でもね、落語って面白いんですよ」

 平板に言葉を連ねてゆく談志を前にして、父の背中が猫のように丸くなっていた。

 談志の弟子になるには、正しい手順を踏む必要がある。まずアポイントを取る。メールや電話などを使い、嘆願書を“幕府”に奉らなければならない。哀願の思いが届いたならば、幕府に履歴書を送らせていただける。ここで、この下賤な者の前科の有無を吟味するのだ。

 犯罪歴も見当たらず生い立ちも明らかになれば、将軍立川談志様へお手紙を御献上する。この卑しき者がどのような言葉を紡ぐのかを、将軍様自らお取り調べなさる。

 そしてこの者は愚かなれど危険人物ではないと判断されれば、将軍様の御尊顔を拝し面談と相成る。この時、上様への面談料として金子を上納する。御目通りが無事に終わり入門が許されれば、感謝の気持ちを込めて入門料の金子を上納させていただく。その際必ず「入門出来る上に上納させていただけるとはなんてありがたいのだろう」と、ジョホールバル並みの歓喜に震えるのを忘れてはならない。

 ほどなくして見習い期間が始まり、滝行や断食、毎朝ニワトリを頭の上に乗せてキムジョンイルマンセーと謎の呪文を唱え続けた後、前座修行が始まる──以上が正しい手順である。

 ちなみに私はアポイントを取らず、将軍様のお屋敷へ直訴した不届き者なので、面談料と入門金をお渡しせずに対面が叶っている。つまり面談料と入門金の金子を払っていないのだ、エッヘン。これは弟子としては異例の厚待遇で、一門の兄弟子達が嫉妬に狂うので内緒にしたい話だが、後日入門金と面談料の両方を兼ね備えた“入談料”という謎のお金を上納している。ありがたいことだ。

 私の場合、弟子入りする際に親を呼んでの三者面談を執り行ったが、これが弟子入り必須条件となっているのかは、全ての兄弟子に確かめていないのでわからない。ひょっとすると私が当時26歳だったにもかかわらず、社会不適合者系社会人だったからかもしれない。ともあれ北海道の大自然の中から、父親を召喚することとなった。

 三者面談当日の午前、父を羽田空港まで迎えに行った。その頃、父は自衛官を定年退官して間もなかった頃で、荒武者のような骨太い体軀をしていた。


「来てくれてありがとう」

「ん」

 酒乱でアルコールが入らないとほとんど喋らない人なので、羽田から根津まで何も話さなかったように記憶している。

 面談場所は根津にある談志御用達の「けい」というお店で、入ると入り口ドア裏の貼り紙にこう記してある。

『昼食800円でチョイとしたぜいたくをしてみませんか、旨いヨォー 立川談志』

 店に入るとテレビカメラが撮影準備をしていた。この時、ちょうどNHKで「立川談志 きょうはまるごと10時間」というドキュメントを撮っていて、いつの間にか親子が談志に初対面する弟子入りのシーンを入れようという運びとなっていた。

「じゃあ師匠お連れして」

「はい」

 番組のディレクターさんに「これから初対面するはずの人と初対面する準備をして」と頼まれた。この頃にはもう何度か談志宅に通い、入門前にもかかわらず見習いに近いようなこともしていた。見知らぬ土地の定食屋に父を残して談志を迎えに行った。

「おはようございます」

「おう、お父さん来てるのか」

「はい、お店で待たせてあります」

「わかった、仕事何やってんだ」

「元自衛官でもう定年してます」

「そうか」

 なんてことない会話をしながら、天才もなんてことない会話をするのだと思うと同時に、父ともこんな風に普通にお話をするのだろうと軽く考えていた。

 甘かった。角砂糖のごとく、蜂蜜のごとく、カントリーマアムのごとく甘い考えだった。店に入りカメラを前にするとギラリとした目つきになり、オフの談志から一瞬にしてオンの立川談志に切り替わった。

「まあそういうことなんですよ、驚いたでしょうね、お父さんとしてはどう思ってますか」

「息子のやりたいように任せてますんで、どうぞお願いします」

 テレビカメラを前に初めての立川談志体験。アンビリーバボーすぎたのだろう、父は終始恐縮していた。

 子供の頃から酒を飲んで暴れる姿しか見ていなかったので、少なからず驚いたが、「任せてますんで、お願いします」と壊れたおもちゃのように頭を下げるのを見て、よい父親を持ったと感謝した。昔から酒さえ飲まなきゃ底抜けに優しいのだ。談志と父との数分の話し合いが終わった。

「お前も何か喋れるんだろう、やってみな」

 “撮れ高”を気にしたのか、見せ場を少し作ろうと思ったのか。オンの立川談志が私に話を振った。

「はい」

「何やるんだ」

「道灌を」

 落語立川流で一番初めに教わるのが「道灌」。

「こんちはぁ」

「なんだい八っつぁんかい、まあまあお上がりよ」

「どうもご馳走様です」

「なんだいご馳走様ってのは」

「まんまおあがりってんでしょ」

「そうじゃない、まあまあお上がりと言ったんだ」

「あ、まあまあ、まんまじゃねえんですか、ハァァア」

「なんだいガッカリするやつがあるか」

 このように隠居さんと八五郎、すなわち八っつぁんが、なんでもないようなことで掛け合いをしていく基本の噺だ。

 談志という人は電車の中だろうが車の中だろうが、弟子に不意打ちで落語をやらせるということは勉強済みだった。こんなこともあろうかと立川談志のCDでしっかり予習をし、「道灌」を一語一句しっかりと覚えていた。「待ってました! ここで会ったが百年目!」とばかりに声を発したが、極度の緊張のあまり思いっきり舌がもつれた。

「こんちはぁ」

「なんだいハッタン」

 よりによってハッタン。一体どこの生まれの名前だ。間違いなく呆れられたと思ったが、談志は思いのほか嬉しそうに笑った。

「ハッタンだってやがる、アラブ人か、もういいよ、ま、そういうことですから、やらしてみます。お父さん、今日は遠いところありがとうございます」

 カメラを前に盛大に恥をかいたが、なんとか面談は終わった。談志を笑わせるのは難しい。本意ではないが舌がもつれてよかったのかもしれない。何より初めから上手く喋れるような人間は談志好みではないはずだと、今は勝手にそう解釈することで傷口を塞いでいる。

立川談吉(たてかわ・だんきち)1981年12月14日生まれ。北海道帯広市出身。2008年3月に立川談志に入門。11年6月に二ツ目昇進。12年4月に立川左談次門下へ。18年7月に立川談修門下へ。26年3月1日に真打昇進「立川談寛」襲名予定。

写真/産経ビジュアル

配信元: アサ芸プラス

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