「茶々、初、江」は、とても仲のいい「きょうだい」だった。浅井長政と、信長の妹であるお市の方との間に生まれた三姉妹である。信長を裏切った夫・長政が自害した小谷城から三姉妹と脱出したお市の方は、その後、柴田勝家の妻となる。勝家が秀吉との戦い(賤ヶ岳の戦い)に敗れると、勝家と共に越前北ノ庄城で自害するが、その前に三姉妹を秀吉の陣中に送り、三姉妹は生き残り、織田、豊臣、徳川を繋ぐ役割を果たしていくことになる。この時、茶々は15歳、初は14歳、江は11歳だった。
三姉妹は養女として秀吉の保護下に入るが、長女の茶々(淀殿)は、秀吉に側室となることを求められ、その条件として、妹の初、江たちの嫁ぎ先を世話するように求めたという。秀吉は、戦国一の美女といわれたお市の方の面影を残した、これまた美女の誉高い茶々をなんとしても側室にしたかったに違いない。やがて茶々は秀吉の嫡男を産み、その後再び懐妊して秀頼を産むことになる。
秀吉は約束通り、三女の江は12歳で尾張の大野城主・佐治一成と結婚させ、翌年には二女の初も名門の京極高次と結婚させる。しかし江は、結婚した佐治が家康に接近したことに腹を立てた秀吉にすぐに離婚させられ、小牧・長久手合戦の後に秀吉の甥・小吉秀勝と再婚、一子(完子)を産むが、秀勝もまた朝鮮出兵で病死してしまう。最終的に家康の息子の秀忠と結婚、後の3代将軍・家光を産むのである。江はすでに3度目の結婚で6歳年上だった。そのため秀忠は生涯、奥方の江に頭が上がらず恐妻家だったと言われている。江は家光、忠長兄弟のほかに、豊臣秀頼と結婚した千姫、後水尾天皇に入内した和子など、2男5女をもうけた子だくさんだ。戦国時代に政略結婚に使い回された女性だとも言えるが、最終的には将軍の生母となって君臨した。ただ、大坂の陣では、姉・淀殿とは、敵味方に引き裂かれた。
二女の初は、豊臣・徳川両家の仲介役として力を尽くし、大坂城落城の寸前まで姉の淀殿に城の明け渡しを説得し続けたという。初は、子供が生まれなかったため、側室の子・忠高をわが子のように育てた。権力の頂点に上り詰めた姉と妹の間にあって、優しく聡明な女性として、夫・京極高次の死後、出家して64歳まで生き、忠高の江戸屋敷で亡くなる。
三者三様の女の生き様が見て取れるが、これもまた戦国の「きょうだい」の実相なのである。

