
肉を食う空中海賊、ドーラ。画像は『天空の城ラピュタ』静止画より (C)1986 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli
【画像】え、「本当にシータ似てるかも」「スタイルよすぎ」 コチラが公式に発表されたドーラの「18歳の頃」の姿です
「ドーラ=母親」説を裏付ける実弟の証言
映画『天空の城ラピュタ』(監督:宮崎駿)には、魅力的なキャラクターがたくさん登場します。なかでも海賊の女親分であり、息子たちや手下どもを引き連れ、豪快に暴れ回ってくれた「ドーラ」は、強烈なインパクトを与えました。日本のフィクション史においても、あのような描かれ方をする女性キャラクターは珍しいといえます。
そのドーラのイメージは、どこからやってきたのでしょうか。ファンの間で定説のように囁かれているのが、宮崎駿監督のお母さんがモデル、というものです。これは実際、どこまで本当なのでしょうか。
宮崎監督の母親・美子(よしこ)さんは、1983年に亡くなっています。前作『風の谷のナウシカ』が公開される1年前の出来事でした。『ラピュタ』制作時期はまだ美子さんが亡くなって間もない頃であり、その面影を海賊の女親分に投影していてもおかしくありません。
ただ、プロデューサーの鈴木敏夫さんは、のちにドーラのモデルが美子さんだと述懐しているものの、他の証言も参考にしたいところです。
ここで、大いに役立ったのが宮崎氏の実弟で、博報堂に勤めていた宮崎至朗さんの証言でした。至朗さんは『ナウシカ』制作時に、大いに尽力してくれたひとりでもあります。
そんな至朗さんは後年、『映画天空の城ラピュタGUIDE BOOK』に寄せた文章で、母・美子さんについて次のように述べていました。
「『ラピュタ』に登場する女海賊ドーラを連想してくれるといい。」
端的に気持ち良いほど、言い切ってくれています。ただ、その後に「もう少し美人だったと信じたいが」という一言も付け加えられていたのは、強調しておきたい点です。
ビジュアル面はさておき、宮崎兄弟の母は、精神的には全くもって豪放磊落でドーラそのものだったのかもしれません。
ただ、次の事実も重要です。美子さんは、宮崎監督が小学校に入学する頃に、脊椎カリエスを発症し、そこから9年にもわたって寝たきりの闘病生活を送っていました。宮崎監督の思春期時代のお母さんは、病に臥せっていたことになります。
それでもドーラのモデルになっていると考えると、美子さんは相当な覇気の持ち主だったようです。一方で、彼女が置かれていた境遇は『ラピュタ』の次作『となりのトトロ』に登場する、「お母さん」にも通じます。ドーラとあのお母さんは、思わぬところでつながっていたのでした。
ちなみに、至朗さんは『ラピュタ』について、「GUIDE BOOK」で次のようにも書いています。
「あれは駿兄貴が映像を通してオフクロに送った、不器用だが精一杯のはなむけだったのかもしれない」
参考書籍:『ジブリの教科書2 天空の城ラピュタ』
