日本全国で約800店あるとされるソープランドは、かつて「トルコ風呂」と呼ばれていたのをご存知だろうか。その後、名称の変更とともに独自の進化を遂げてきたソープだが、その裏側で欠かせない存在だったのが、エアーマットやバスタブといった“備品”の数々。実はそれらにもまた意外なルーツと知られざる開発秘話がある。
『ルポ 風俗の誕生』より一部抜粋、再構成してお届けする。
ソープランドの備品の歴史
営業する上で欠かせないさまざまな「備品」がソープランドにはある。
ソープ嬢がプレイの際に使う「エアーマット」や「バスタブ」だ。客をマットの上に寝かせ、石鹼の泡をまぶし、カラダを密着させる「泡踊り」をする。浴槽に浸かっている客の尻の下に膝を入れ、浮かせた下半身を刺激する「潜望鏡」などのプレイが売りになっている。
エアーマットが登場したのは1963年だ。当時はソープランド専用につくられたものではなく、海水浴で使う大きなビーチマットが使われていた。東京・上野の「弁天トルコ」でのはじまりは、単にプレイルームを豪華に見せるために置いただけだったというが、それがいつしかプレイで使われるようになったのだ。
『風俗ルポ 昭和末年のトルコロジー』(伊藤裕作著/人間社新書)によると、泡踊りのはじまりは、千葉・栄町の石亭や川崎・堀之内の王流グループ、1969年に川崎・堀之内にオープンした「川崎城」の浜田嬢など諸説あるようだ。エアーマットの快感は評判を呼び、進化を重ねながら全国に普及していったという。
一方、ソープランド用のバスタブは公家(西四辻子爵家)の出身で当時、滋賀プラスチックス代表の西四辻公敬が広めた。雄琴のソープランドのバスタブすべてが滋賀プラスチックス社製であり、全国的に見ても80%のシェア率だったとされる。
はじまりはいつか。西四辻の甥は評論家、翻訳家の川本三郎だとわかり、取材を試みた。だが、残念ながらそれはかなわなかった。
ただ、バスタブメーカー「タケシタ」の代表取締役・武下充宏はネットに掲載された「レジャー・ラブホテルにおける バスタブ・バスルームの歴史を語る」というインタビュー記事のなかで次のように語っている。
1970年には〈「サラダボウル」と「人間洗濯機(三商機器)」というバスタブが登場しています。「サラダボウル」というのは、丸いバスタブで、その名の通り、透明なバスですね。(中略)「人間洗濯機」というのは、形はドラム缶の小型版。初期の洗濯機にこのようなものがありましたが、そこに人間が入れるようにしたわけですが、話題性はあっても継続的なヒット商品にはならなかったようです。〉
西四辻率いる滋賀プラスチックス社は、このころソープランド用のバスタブを開発したと見ていいだろう。加えて西四辻の証言を引用する。
〈当時、サウナバスをつくっているところは、うちしかなかったからね。ホテルオークラのスチームバスが滋賀プラスチックスの製品だとわかって、全国からワッと注文がきた。小佐野賢治や児玉誉士夫、元巨人軍の川上哲治も買いに来た。トルコ風呂にうちの製品を納めるようになったのも、うちの製品がよかったからだ。最初の頃のトルコ風呂は木の不衛生なやつで、およそ健康的とはいえなかった。そこで、業者がうちのプラスチックに目をつけ、全国から注文が殺到したというわけだ〉 (『新 忘れられた日本人』佐野眞一著より)
バスタブがプラスチック製に変わったのは、1970年ごろのことで、それまでトルコ風呂では不衛生な木製浴槽が使用されていたことになる。
廃業前の浅草観音温泉
遊廓の守り神として信仰されてきた歴史がある吉原神社で入手した「吉原現勢譜今昔図」を手に「吉原のいま」を歩いた。周辺には、約120軒のソープランドが現存している。
揚屋町通りの現在「カサノヴァ」が営業している付近は、かつて吉原初のトルコ風呂「東山」があったことで有名だ。
『トルコロジー』(広岡敬一著/晩聲社・ヤゲンブラ選書)には、1958年7月開業とあり、トルコ風呂は東山をきっかけに雨後の筍のように増えたそうだ。
揚屋町通りから仲之町通りに入り、京町通りとの交差点を目指した。この付近に東山と同時期に開業したトルコ風呂「ミッキー」があったという話を聞いたからだ。
現場到着、ミッキーではなく、ソープランド「信長」が京都の町屋風の店構えで佇んでいた。ホームページには「熟女専門」「吉原の伝統を守り続けて創業30年」とある。果たしてミッキーと信長の関係は——。
この地で古くから蕎麦店を営む店主によれば、「ミッキーは約30年前に屋号を信長と変えた」という。吉原現勢譜今昔図にある1958年当時の地図でも同地にミッキーが確認できた。
「古い付き合いだからよく知ってるけど、経営者はそのままだよ」と店主。東山に続くトルコ風呂のひとつと見られる。
「現存する最古のトルコ風呂」を求めて浅草観音温泉に向かう。場所は浅草寺の西隣、浅草花やしきの前。だが、あるのはお祭り商店街・西参道で、浅草観音温泉は跡形もなくなっていた。
近隣で商店を営む店主によると、2016年に閉店し、2018年に解体されたという。賑やかな商店街の入り口の顔としての現在の姿になったのは、2013年ごろのことだ。
表向きは、その名のとおり温泉銭湯。しかし密かにトルコ風呂としても営業するというふたつの顔を持つ。そんな全貌は明らかになることなく潰えてしまったのか——。
実は、廃業前の浅草観音温泉に潜入取材していた。
2008年ごろのことだ。地元が浅草の先輩と、浅草を散歩した。浅草寺に参り、花やしき前を通り抜けたところに、古い3階建てのビルがあった。パッと見は一般的な銭湯のようだが、不思議と入り口が左右にふたつ。その答えは浅草が地元の先輩が知っていた。
「左が1回700円の公衆浴場、右が総額8000円のトルコだ。地元では有名だぞ」
後日、あらためて足を運んだ。まずは受付で初老の男に入浴料の4000円を払い、「入浴券」と書かれた紙切れをもらう。
「時間は60分ね。んじゃ、靴を脱いで2階に行って」
指名はできないらしい。靴も自分で靴箱に入れるらしい。
おそるおそる2階に上がった。てっきり、ソープランドによくある待合室があり、三つ指をついた泡姫が現れるものと思っていた。だが、そこには誰もいなかった。待合室もなかった。まるで廃墟病院のように寂れた廊下の左側に、個室が8つ並んでいるのみだ。
急に寒気が襲ってきた。スリ足で進むと、突然、扉が開いた。

