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【W杯回顧録】第1回大会(1930年)|参加国ゼロから始まった“祭典”の誕生。初代王者ウルグアイと9万人が揺れた隣国決戦

【W杯回顧録】第1回大会(1930年)|参加国ゼロから始まった“祭典”の誕生。初代王者ウルグアイと9万人が揺れた隣国決戦


 北中米ワールドカップが6月11日に開幕を迎える。4年に一度、これまでも世界中のサッカーファンを魅了してきた祭典は、常に時代を映す鏡だった。本稿では順位や記録の先にある物語に光を当て、その大会を彩ったスター、名勝負、そして時代背景などをひも解いていく。初回は第1回大会(1930年)だ。

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〇第1回大会(1930年)/ウルグアイ開催
優勝:ウルグアイ
準優勝:アルゼンチン
【得点王】ギジェルモ・スタービレ(アルゼンチン):8得点
 
 今では世界中が出場をかけて大陸予選から熱狂を見せるワールドカップだが、当初は参加国を募るのも難しかった。

 1904年、国際サッカー連盟(FIFA)が欧州7か国参加で創設され、翌年の総会ではW杯の開催を決めて参加国を募った。だが期限を過ぎてもエントリーする国がひとつもなく、1度は頓挫している。

 結局、第一次世界大戦などの影響もあり、W杯開催が本決まりになるまでは四半世紀近くを要した。

 1928年にFIFAが再度開催を決め、翌年には大会規定を定めると、欧州から5か国、南米からは唯一ウルグアイが立候補。ウルグアイは、当時世界一を決める大会として認知されていた五輪を連覇(24年パリ大会、28年アムステルダム大会)し、ちょうど開催年には建国百周年を迎え、出場国の旅費、滞在費を持つ条件を提示した。これが決め手となり、栄えある第一回の開催国に選ばれたのだった。

 ところが南米開催が決まると欧州側が渋り始める。まだ移動手段が船に限られた時代である。もし出場すれば選手たちは約2か月間も母国から離れる。アマチュア選手はそんな長期休暇は許されないし、プロ選手についてはチーム側が難色を示した。

 そこで重要な役割を演じたのが、FIFA3代目会長のジュール・リメだった。粘り強い交渉でフランス、ベルギー、ユーゴスラビア、ルーマニアを説得し、4か国の一団とともに純金製の優勝カップ(後のジュール・リメ・トロフィー)を持参してモンテビデオ(開催都市)に到着する。最初の参加国は、他に南米7か国に米国、メキシコを加えた13か国だった。

 開催国のウルグアイが開幕戦を迎えたのは、同国建国記念日の7月18日だった。だが、すでにグループ1のアルゼンチン、グループ2のユーゴスラビアは準決勝への進出を決めていた。実はウルグアイが戦うエスタディオ・センテナリオは着工が開催年までずれ込み、昼夜を徹した工事で辛うじて開幕戦に間に合わせた。それでも新設のスタジアムでは開会式を行なったため、すでに敗退が決まっている国まで行進に参加する羽目になった。
 
 優勝が宿命づけられた地元ウルグアイの初戦の相手は、初戦でルーマニアに敗れているペルー。楽勝が予想されたが、なかなか均衡を破ることが出来ず、65分にエクトル・カストロが挙げたゴールが決勝点となる。

 だがこの苦戦が逆に良薬となり、次戦からは真価を発揮。ルーマニアを4-0で退けグループリーグを通過すると、準決勝ではユーゴスラビアに開始4分に先制を許すが、その後は五輪連覇にも貢献したホセ・ペドロ・セアのハットトリックなどで6ゴールをラッシュ。前日の準決勝では、同じ6-1のスコアで米国を下したアルゼンチンとの隣国同士の決戦を迎えることになった。

 7月30日、モンテビデオには、アルゼンチンからも続々とファンが訪れた。大会組織委員会は、アルゼンチン協会に1万枚しかチケットを渡さなかったそうだが、3万人も押し寄せたと言われている。本来8万人収容のスタジアムには9万人を超える観衆が詰め込まれた。

 ライバル意識はキックオフの前から顕著で、両国が互いに自国製ボールの使用を主張し合ったため、前半はアルゼンチン、後半はウルグアイ製のボールを使用することになった。
 試合は12分にウルグアイが先制するが、徐々に自国製ボールを使用するアルゼンチンが支配し始める。20分にはカルロス・ペウチェレが追いつくと、37分にはギジェルモ・スタービレが得点王を決定的にする大会8ゴール目を決めて逆転。スタジアムは重苦しい空気に包まれて前半を終えた。

 ウルグアイ代表の重責を担い指揮を執っていたのは、まだ31歳のアルベルト・スピーシだった。若い監督はハーフタイムにロングボールを増やすように指示。これで後半流れが変わった。

 57分にペドロ・セアが同点ゴールを決めると場内は熱狂の坩堝と化す。そして68分にはビクトリアーノ・イルアルテが鮮やかにミドルレンジから逆転弾を叩き込む。ウルグアイは終了1分前にも、カストロが右からのクロスに頭で合わせたダメ押し弾を挙げ、4-2で勝利。初代チャンピオンが決まった。

 そのままモンテビデオの街は祝祭に移行し、人々は爆竹を鳴らしながら「我々は3度も世界を制した」とチャントを繰り返す。ウルグアイでは決勝戦の翌日が祝日になり、スピーシ監督は今でも大会史上最年少優勝監督であり続けている。

文●加部究(スポーツライター)

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配信元: SOCCER DIGEST Web

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