冷たい雨が降りしきる永田町。2026年2月11日、議員会館や宿舎では、衆議院選に大敗し、退居しなくてはいけない元議員たちによる「お片付け」が淡々と、しかし残酷なほどのスピードで進められていた。今回の選挙で特に大きな打撃を受けたのが、立憲民主党の流れを汲み、鳴り物入りで結成されたはずの「中道改革連合(中道)」だ。かつての勢いはどこへやら。雨に打たれる段ボール箱の山は、野党第一党の座を争った勢力の凋落を象徴しているかのようだった。
「4年後に立ち上がってこいと言うなら…」
議員会館の一室に、黙々と荷物をまとめる元衆院議員のA氏(当選1回)の姿があった。補欠選挙での当選からわずか1年半。部屋に運び込まれた荷物は、段ボールにして10箱にも満たない。
「もともと在職期間が短いですから、荷物はそんなに多くないんですよ。今日の夕方には地元へ戻ります」
淡々と語るA氏だが、その言葉のはしばしには、党の戦略に対する複雑な思いが滲む。今回の選挙で、中道は「旧立憲と旧公明の合流」による相乗効果を狙ったが、有権者の反応は冷ややかだった。
「結局は『結果論』ですよね。勝っていれば合流の是非も違って見えたんでしょう。私の選挙区には公明党の幹部がいて、選挙協力の兼ね合いで比例重複すら許されなかった。小選挙区一本での勝負、自分では競り合えると思っていたんですが……フタを開けてみれば惨敗でした」
A氏が今、最も懸念しているのは「金」の問題だ。議席を大幅に減らしたことで政党交付金は激減する。次の解散までおそらく4年。その間、優秀な人材を繋ぎ止める資金が党に残されているのか。
「4年後に立ち上がってこいと言うなら、資金は必要不可欠です。今は今後の身の振り方を考える余裕もありません。ただ、支えてくれた秘書が『次の食い扶持を探します』と言っているのが、本当に申し訳なくて……」
A氏はキャリーケースを押しながら宿舎を後にした。数時間後の夕方。地元である関西地方へ新幹線で帰るという。
「公明党にいいように使われただけではないでしょうか…」
悔しさを隠しきれない様子で作業を進めているという若手元議員・B氏。実名を伏せることを条件に、堰を切ったように不満を口にした。
「今回の結果は、本当にひどい。新党結成、不自然な党名、キャッチコピー。戦略のすべてが間違っていました」
B氏の言葉は、現場で泥をすすりながら活動してきた若手世代の絶望を象徴していた。今回の選挙で最も過酷な運命をたどったのは、朝から晩まで街頭に立ち、有権者一人ひとりに浸透を図ってきた30代、40代の1期生たちだ。
党の刷新を象徴するはずだった彼らの多くが、文字通り「全滅」の憂き目に遭った事実は、今後の党再生に暗い影を落としている。
その一方で、皮肉な対比となって浮かび上がるのは、当選を果たした顔ぶれだ。現場で汗をかいた若手が次々と討ち死にする一方で、比例名簿の上位に名を連ねただけで、選挙戦の最中にその姿をほとんど見せなかった高齢の候補者や、公明党の60代のベテラン勢が次々と議席を確保していく。
B氏は「前線で戦った『兵隊』の視点から見れば、あまりにおかしく、耐えがたい理不尽だ」と、涙ながらにこの構造的な不条理を批判した。
また、戦略の柱であったはずの「中道改革連合」という党名そのものが、現場の足枷となっていたことも見逃せない。「中道」という、仏教用語や教科書の中の概念を思わせる言葉は、政治的なメッセージとしての熱量を欠き、有権者の心には最後まで響かなかった。
むしろ、現場の候補者たちは「なぜ立憲民主党として出ないのか」「中道とは何なのか」という説明に、選挙戦の貴重な時間を最後まで奪われ続けることとなった。
「支援者から『なぜ中道に入ったのか』と最初から最後まで説明を求められ続けました。立憲として出ていれば、そんな手間はいらなかった。結局、公明党にいいように使われただけではないでしょうか。落選したといはいえ安住さんをはじめ幹部は責任を取っているとは到底言えません」

