人生を変えたベリーダンス
子どものころから海外の文化や音楽に興味があり、大学では教員を目指して学んでいました。順風満帆に思えた人生でしたが、突然の愛犬との死別や教育実習の過密スケジュールなどで精神的に追い込まれ、摂食障害を発症してしまいます。
卒業後は入学したときから目標にしていた特別支援学校の教員として採用されたものの、通院しながら職場に通う日々。楽しみにしていた新生活を送ることはかないませんでした。
そんな時、当時はやっていたベリーダンス教室にふらっと飛び込み、ダンスを見て、音楽を浴びて「自分の人生を変えるのはこれしかない!」。ただ直感で、そう感じたといいます。
それが、セシリアさんとベリーダンスとの出会いでした。
2023年、トルコ・イスタンブール(本人提供)
露出度の高い衣装を見て最初は、「おなかを見せて踊るのは恥ずかしい」と思ったそうですが、骨盤周りを大きく動かすベリーダンスはおなかの動きを自分で見ないと上達できません。
「恥ずかしいなんて言ってられない」と序盤で腹をくくり、ひたすら練習に熱中しました。
イスタンブールの景色(本人提供)
イスタンブールの景色(本人提供)
ベリーダンスへの情熱はいつしか本場トルコへの憧れになり、思い切って教員を1年で辞め、23歳のときにトルコへ単身での旅立ちを決意します。
イスタンブールでも有名な先生のレッスンに通えることになり、予定していた3カ月を過ぎたころには、ヨーロッパとアジアの文化が融合した刺激的な街並みや人たち、思わず体を動かしたくなるエキゾチックな音楽に癒やされ、体調も安定するようになっていました。
「もっと、トルコで暮らしたい」と思い始めたタイミングで、ホテルスタッフの求人を見つけ、就労ビザを取得して働き始めました。1日12時間を週4日働いて3日休みという、厳しい労働環境に耐えながら、自宅での自主練とレッスンに通う濃密な日々を過ごしました。
「モスクがあって、海があるイスタンブールの街並みが好き。何より、人がすごく温かいことが滞在を決めた理由です」と話すセシリアさん。
「困ったときに隣の家のおばちゃんがおかずを家に持ってきてくれるとか。人と人のつながりが濃く、その分けんかも激しかったですけど(笑)。自分をさらけ出して、丸裸で生きているような感じが自分に合っていましたね」
2024年、トルコ・イスタンブール(本人提供)
トルコで暮らし、文化や語学を習得してさらにベリーダンスへのめり込む一方で、現地にはベリーダンスに対する差別的な考えが残っていることを知ったといいます。肌を見せるベリーダンスは、貧しい女性やジプシーの人たちのお金稼ぎというイメージが根深く残っていて、ダンサーたちも外では話さず、引け目を感じているようでした。
「私が好きになったベリーダンスをここでは踊れない」。日本で新たな芸術としてのベリーダンスを追求すると決め、帰国を決意しました。
トルコの大会で日本人初優勝の快挙
2025年 「Studio PIRIL」の発表会にて踊るセシリアさん
帰国後は、アルバイトをしながらトルコ料理レストランのショーで踊る機会を得て、徐々にインストラクターの仕事も増え始めました。
トルコへは、日本に戻ってからも数カ月の滞在を約4年間繰り返しました。ベリーダンスを表現する上でトルコの雰囲気を肌で感じること、現地の先生から教わることは自身の目指す"芸術的なベリーダンス"を見失わないために何よりも大切なことでした。
トルコで買ったアルコールスプレー。スタジオ内にはお土産がいくつか飾られています
2015年、ベリーダンスを始めるきっかけとなった先生が出場していた、トルコのベリーダンス大会「Rakkas Istanbul Festival」に初めてエントリー。技術面はもちろん、ベリーダンスとトルコへの深い愛や、熱心にダンスを勉強する姿勢など常に努力を怠らないセシリアさんの内面が審査員から評価され、日本人として初めて優勝する快挙を達成しました。
その2年後には、憧れのトルコ人ダンサーが審査員をしているメキシコの大会にも出場し、惜しくも準優勝に終わりましたが、国際大会での実績を確実に残していきます。

