
中国の中国科学院大学(UCAS)を中心とした研究チームは2019年に観測された異常な重力波「GW190521」はワームホールを通じて届いたエコーの可能性があると発表。
まるでSF映画に出てくるような話ですが、研究では重力波の詳細な分析結果によって、このワームホール仮説で計算した波形も、通常のブラックホール合体モデルとほぼ同じくらいの精度で観測結果を説明したことが示されています。
研究者たちは論文にて「別の宇宙でブラックホール同士が合体した後に生じた重力波の余鳴り(リングダウン信号)が、ワームホールのトンネル部分を通って私たちの宇宙に届き、短時間のエコーとして検出される可能性がある」と述べています。
果たして、この重力波は本当に別の宇宙から届いたワームホールのエコーなのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年9月9日に『arXiv』にて発表されました。
目次
- なぜ科学者は“ワームホール説”を真剣に検証したのか?
- 重力波がワームホール仮説と一致するパターンを示した
- 科学の常識を超えるかもしれない重力波
なぜ科学者は“ワームホール説”を真剣に検証したのか?

「別の宇宙と繋がるワームホールなんて本当にあるわけがない」——普通の感覚では、そう感じる人が多いでしょう。
ワームホールとはSF映画や小説に出てくるような話で、宇宙のある場所から遠く離れた別の場所や別の宇宙へ、一瞬で移動できるトンネルのようなものです。
現実世界にそんなものがあるとはとても信じられませんが、実は科学者の間では必ずしも否定されていない仮説なのです。
特に、最近の重力波観測がそのような可能性を考えるきっかけとなりました。
そもそも重力波とは、ブラックホールや中性子星という超高密度な天体が激しくぶつかった時になどに放たれる、時空そのものが揺れる波動として観測されます。
この現象が初めて観測されたのは2015年のことで、それ以来、世界中の研究チームが多くの重力波を検出してきました。
その結果、観測結果には一定のパターンがあることが判明します。
これまでに観測されてきた重力波の多くは、二つのブラックホールなどが螺旋状にぐるぐる回りながら徐々に近づき(インスパイラル)、やがて激しく衝突(マージャー)し、その後、合体したブラックホールが徐々に落ち着いていく(リングダウン)という、一連の過程を見せてきました。
このパターンは、鳥がさえずるように波形がだんだん強くなってピークを迎え、その後穏やかに静まることから、「チャープ(さえずり)パターン」と呼ばれています。
ところが、2019年5月21日に記録された「GW190521」という重力波は、これまでのチャープパターンとは明らかに違いました。
重力波「GW190521」ではその前触れ部分が非常に不明瞭で、突然、最大のピークだけが約0.1秒未満という極めて短い時間で「ドーン」と現れて終わったのです。
これはまるで、オーケストラの演奏を聞こうとしたら、演奏開始からのゆったりした序盤や徐々に盛り上がる中盤を飛ばして、いきなり一番激しいクライマックスの部分だけが一瞬だけ耳に入ったような、非常に奇妙な出来事だったのです。
さらに研究者たちを悩ませたのは、この重力波を出したブラックホールの質量でした。
通常の恒星が一生を終えたあとにできるブラックホールには、理論的に「質量がこれ以上にはならない」と考えられている特定の範囲(ペア不安定質量ギャップ)があります。
しかし、このGW190521では、合体前の二つのブラックホールの質量が約85太陽質量と約66太陽質量という、このギャップの中に含まれる奇妙な値を示していました。
さらに、合体してできた新しいブラックホールは約142太陽質量で、これも通常の理論から外れている不思議な数値だったのです。
これらの不可解な数値を説明するために、研究者たちはさまざまな仮説を考えました。
宇宙が誕生した直後にできたとされる「原始ブラックホール」や、宇宙に存在すると仮定される極細のエネルギーのひも状構造である「宇宙ひも」なども候補として挙げられましたが、どれも決定的な証拠はなく、GW190521は重力波天文学において前例のない謎として注目され続けていました。
そこで研究チームが新たに考えたのが、「ワームホール由来のエコー」という仮説です。
もしブラックホールが合体したあと、一瞬だけワームホールのような特殊なトンネルが形成されたら、そのトンネルを通じて、合体時に生じた重力波の一部が別の宇宙や離れた空間へ漏れ出し、時間差で再び私たちの宇宙に戻ってくる「エコー(残響)」が生じるのではないか、という考えです。
研究チームは、GW190521で観測された奇妙に短い重力波が、実はこのようなワームホールを通ったエコーの最初の一回目の波(ファーストエコー)であり、その後ワームホールが短時間で崩壊してしまったために、一度しか観測できなかったのではないかと考えました。
果たして、この奇妙な重力波は、本当にワームホールを通った「別宇宙からのエコー」なのでしょうか?
この大胆な仮説を検証するため、中国科学院大学のQi Lai氏らの研究チームは、実際に観測されたデータを使ってこの可能性を丁寧に調べることにしました。
もし本当に別の宇宙からのエコーが存在するとすれば、GW190521は初のワームホール観測となる可能性があります。
重力波がワームホール仮説と一致するパターンを示した

異常な重力波「GW190521」はワームホールを通ってきたのか?
研究チームはまず、ワームホールが実際に存在すると仮定した場合、そこからどのような重力波のエコー(残響)が届くのかを具体的に予測しました。
ここでいう「エコー」とは、谷間で叫んだときに山肌から声が反射して遅れて届くように、宇宙空間にある見えない障壁(ワームホールの両端にある壁)から反射して届く重力波の「こだま」のようなものです。
まずはこのエコーがどんな波形(信号の形)になるかを詳細な物理計算によって予測し、その波形モデルを作成しました。
次に、そのワームホール仮説で作ったモデルの波形と比較するために、従来の「ブラックホール同士の合体」という標準的なモデルでも、最新の手法を用いて改めて計算し直しました。
そうして用意した2つのモデルの波形を、2019年に実際に観測された重力波データ(GW190521)と比較して、どちらのモデルが実際の観測結果によりよく合致するのかを確かめました。
その比較の結果は、研究者たちの想像を超える興味深いものでした。
一般に、観測データに対してモデルがどの程度合っているかを判断する際に「信号対雑音比(SNR)」という指標を使います。
これは信号の強さを背景のノイズ(雑音)の強さと比べて、どれだけ観測が信頼できるかを示したものです。
SNRの値が高いほど、モデルとデータがよく一致していることを意味します。
今回の解析では、従来のブラックホール合体モデルのネットワークSNR(複数の重力波望遠鏡を組み合わせた全体での信号対雑音比)は約15.6でしたが、驚いたことに、ワームホールエコーの仮説モデルでも約14.5というほぼ同じような高い値が得られたのです。
その差はわずか約7%程度で、つまりは従来の定説に対して、ワームホール仮説のモデルも十分に対抗できる精度だったのです。
さらに重要なのは、こうした2つのモデルのどちらがデータにより強く支持されるかを評価するために、「ベイズ統計」という特別な統計手法を用いて比較したことです。
ベイズ統計では、複数の仮説やモデルのうち、どのモデルが観測データを最もよく説明できるかを定量的に判断できます。
具体的には、「対数ベイズ因子」という数値を計算し、この数値が大きければ大きいほど、そのモデルがより確かに支持されていることになります。
今回の解析で得られた対数ベイズ因子はマイナス2.9で、これは従来のブラックホール合体モデルと大きな差はありませんでした。
つまり、現段階では「ブラックホール合体説がわずかに優位」とは言えるものの、「ワームホール由来のエコー説」を否定することは全くできないという、非常に興味深い結果だったのです。
特に、今回観測された重力波が通常の「前触れ(インスパイラル)」部分が明確に見えず、非常に短くて急激な波形しか観測されなかったという特徴は、「ブラックホールが衝突後に一瞬だけワームホールが形成され、その直後に崩壊して、一回だけエコーが届いた」という仮説とうまく整合します。
そして研究チームはさらに深く考えます。
もし本当にこのワームホール仮説が正しいなら、他にも似たような「一瞬で終わる異常な重力波」が観測されるかもしれない、と考えたのです。
実際、2023年11月に観測された新しい重力波イベント「GW231123」も、GW190521と同様に非常に短時間で信号が終わる異例のパターンを示していることが、最近の解析によってわかっています(この研究は現在も解析が進行中です)。
今後、同じように奇妙で短い重力波イベントがさらに見つかれば、それらの特徴を統計的に比較することで、ワームホール由来の重力波という仮説の信頼性がさらに高まるかもしれません。
こうした経緯から、研究者たちは「短時間で謎めいた重力波イベント」について、様々な起源の可能性を系統的に比較検証することが重要だと指摘しています。
もしこれらがワームホール起源だとすれば、宇宙は思ったよりもワームホールが頻繁に生成されているのかもしれません。

