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「FIREして出産したい」早稲田→外資コンサル→六本木キャバ嬢が、27歳で資産3億円を目指す理由

「FIREして出産したい」早稲田→外資コンサル→六本木キャバ嬢が、27歳で資産3億円を目指す理由

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。

今回お話を伺ったのは、早稲田大学を卒業後、外資系戦略
コンサルティングファーム(以下、外資コンサル)に入社し、その後キャバクラの世界へと飛び込んだたまごあゆみさん。いわゆる安定ルートから一転、自ら選び取った環境で成果を出しながら、「今がはたらいて一番楽しい」と心から言えると語ります。

なぜエリートコースを離れて、夜の世界ではたらく道を選んだのか。外資コンサルからキャバクラ、将来を見据えた歩みを通して、自分基準ではたらくためのヒントを探ります。

起業につながる最速の成長環境を求めて外資コンサルへ

──早稲田大学、外資コンサルといわゆるエリートコースを歩まれてきています。幼少期から勉強熱心だったのでしょうか?

「FIREして出産したい」早稲田→外資コンサル→六本木キャバ嬢が、27歳で資産3億円を目指す理由

ありがたいことに、両親が私の教育に対して惜しまず投資をしてくれて。「やりたい」と言ったことは全部やらせてもらえる環境でした。英会話・習字・水泳・バレエなど、幼少期はほぼ毎日のように習い事がある生活を送っていましたね。非常に裕福という家庭ではなかったのですが、両親が経済的にも精神的にも支えてくれて、そのおかげで自分の可能性を広げる経験をたくさんさせてもらいました。

──充実した幼少期を過ごされた一方で、高校3年生の受験期には不調もあったと伺いました。当時の心境を教えてください。

とにかく「大学受験には絶対に落ちてはいけない」という強いプレッシャーによる不調でした。当時私が通っていた中高一貫校はいわゆる進学校で、「良い大学に行けないと人生が終わる」という空気が常にありました。中学3年生の時点で、周囲はすでに大学受験モードになっていたんです。

毎日14〜16時間の勉強、同じ作業の繰り返し、集中力が切れることに対する焦りも重なって、気付けば燃え尽き症候群のような状態になっていました。

当時の私はまだ「大学受験がすべてじゃない」とは思えていなくて。「たとえ受かったとしても、就職したらまた受験期のような生活が続くのかも」と将来にも息苦しさを感じていました。

幼いころから教育に多くの投資をしてもらっていたからこそ、「ここで落ちたら親に申し訳ない」という想いも強かったです。

──実際に早稲田大学に入学後はいかがでしたか?

入学直後は、受験期の苦しさから解放されたこともあって、毎日がとても楽しかったです。高校は校則が厳しい学校だったぶん、早稲田の自由な校風の中、1年生のうちに大学生活は一通り満喫できたと思います。

大学2年生のときには、ちょうどコロナ禍に見舞われて。授業はすべてオンライン、サークルも活動停止。大学らしい生活は突然なくなりました。

同時に、そのころに自分は会社員に向いていないと感じるようになり、起業への興味が強くなりましたね。ただ、当時は人より秀でた自分の強みをまだ言語化できていなかったですし、「起業するならお金を貯めて自力で立ち上げたい」という想いもあり、悶々とする⽇々が続いていました。

──そこから、新卒で外資系コンサルティング会社を選んだ理由を教えてください。

悩みながらも起業への強い想いはゆるがなかったので、就活では起業を視野に、短期間でビジネススキルが身につく環境を探しました。大学では文学部に在籍していたことから、「このままだとビジネスの知識がないまま社会に出てしまう」という不安もあって。

そこで、ビジネスの基礎体力、課題解決力、論理的思考など、起業の土台になる力を身につけられる場所として戦略コンサルが最適だと思ったんです。

はたらく期間とスキルなどのリターンを踏まえ、最終的には、最速で成長できるという理由で外資コンサルを選びました。

──実際に入社してみて、どんな印象を持ちましたか?

入社前にイメージしていた激務よりは、思った以上にホワイトな環境でした。特に若手ははたらき方改革の影響で残業が厳しく管理されていて、時間外労働もかなり制限されていましたね。

そのぶん、限られた時間で成果を出し、昇格していくハードルの高さも痛感しました。組織の上位層にいる方々は本当に優秀で、自分があのレベルに行くまでには一体何年かかるんだろう、昇進は10年以上在籍してやっと見えてくる世界なのでは、と。

そのときに考えました。コンサルから独立するパターンとして多いのは、これまでの経験を活かしてコンサルとして独立するか、まったく別の分野で独立するか。私はどう考えても後者で、ここでコンサルを極めるよりも、起業につながる経験をもっとほかで積むべきだと感じたんです。「今の私にとっては10年もこの仕事を続ける必要はない」と判断して、退職することを決断しました。

「人生一度は終わった」安定ルートを外れて夜の世界へ

──外資コンサルを辞めた後、キャバクラの道を選んだ理由を教えてください。

「FIREして出産したい」早稲田→外資コンサル→六本木キャバ嬢が、27歳で資産3億円を目指す理由

体力や環境を考えると、短期間で成果を出せるはたらき方に本気で向き合えるのは、30歳を迎える前の今しかないと感じたからです。

元々、20代後半で事業や投資を軸にしながら、資産3億円を築きたいという目標があって。そのためには、若いうちに集中して稼ぐフェーズをつくる必要がありました。

そのときに思い出したのが、学生時代にラウンジでアルバイトとしてはたらいていた経験です。留学費用を貯めるために、大学の先輩に誘われて始めたのがきっかけでした。時給は普通のアルバイトの10倍ほどで、目標金額もあっという間に貯まって。このとき、「良い大学に行って、良い会社に入らないと高収入は得られない」という思い込みが一気に崩れました。

また、自分の強みがないことに悩んでいた時期に「昼と夜、まったく異なる世界を両方経験してきた自分だからこそ、見える視点やできる事業があるのでは?」と考えるようになって。

体力や時間軸、学生時代の経験も踏まえたときに、キャバクラというはたらき方が当時の自分にとって最も納得感のある選択だと思い、夜の世界ではたらく道を進みました。

──とはいえ、安定ルートから外れることへの不安はなかったのですか?

もちろん、すごく不安でした。でも起業ややりたいことなど将来から逆算して考えたときに、「この年齢で動かなかったら、絶対に後悔する」と思って。

不安があっても進もうと思えた背景には、大学受験期の不調の経験が大きいです。燃え尽き症候群になったあの時期は、本気で「人生終わった」と思うくらい落ち込んでいました。それでも結果的には合格して、その後の人生もなんとか歩んできています。

だから、今の安定は「偶然ついてきたボーナスタイム」みたいなものだと考えられるようになったんです。もし受験に落ちていたら、今のキャリアは存在しない。だったら、安定に執着しすぎる必要はないのかなと。

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