先のスポーツ紙デスクが語る。
「マスコミの扱いが松井の“2番手”に追いやられていたことがイチローには許せなかったのでしょう。01年のMLB移籍1年目から打率3割5分のハイアベレージを残し、04年に262本の最多安打記録を樹立するなど、実績では圧倒的に上回っていたにもかかわらず、こと人気ではゴジラの後塵を拝していましたからね」
前年の05年シーズン中には、イチローの“松井アレルギー”が発動し、2人に因縁が生まれる事態にもなった。
「8月のヤンキース対マリナーズ戦がシアトルで行われた際、球団関係者と一緒にいた松井にイチローが話しかけにきたんです。翌年に初開催となるWBCを話題にしたイチローは『足並みを揃えよう』と松井に打診。関係者がイチローの意向を問うと『出る予定はない』とハッキリと口にしたんだとか。その言葉を信じた松井は出場を辞退したのに、蓋を開けてみればイチローは参加というわけです。この手のひら返しには、温厚な松井も『こりゃ、いったい何だよ!』と激高したといいます」(スポーツライター)
結果的にイチローがヒーロー視され、松井が“国賊扱い”されることに‥‥。WBCを舞台にした駆け引きでは結局、イチローが思惑通りにしてやったのだ。
一方で、WBCの出場可否を巡っては、大谷も17年の第4回大会を辞退している。
「日本シリーズ中に負傷した右足のケガが理由でした。当時、大谷が在籍していた日本ハムにも侍ジャパンでの起用について『先発、抑えと酷使されるのでは‥‥』という不安があったようです。エース候補の辞退をNPB(日本野球機構)ではなく、日本ハムが単独で発表する形になっただけに、当時の小久保裕紀監督(54)を含めて、大半のスタッフが混乱を極めたといいます」(スポーツライター)
エースを欠いた“小久保ジャパン”は準決勝で不本意な敗退。とはいえ、WBCで優勝することを夢見てきた大谷にとって、幸か不幸か無念の不出場で“国賊扱い”されることはなかった。
「15年のプレミア12から、小久保監督の采配が批判に晒されていました。準決勝の韓国戦で、8回に投入した則本昂大(35)を回またぎで9回にも続投させて失点。その前のプエルトリコ戦で3ランを被弾した増井浩俊にスイッチして、逆転を許して敗退してしまいます。くしくも、この試合に先発して7回0封だった大谷の勝ち星も消滅。世間的には“小久保ジャパン”への不信感のほうが大きかったのでしょう」(スポーツ紙デスク)
ちなみに、前回大会では「二刀流」登録だった大谷だが、今大会は「DH」登録のみ。“投手辞退”については今後、波紋を呼ぶ時が来るのだろうか。

