高校在学中の17歳で結婚・妊娠を公表し、SNSで大きな批判と炎上を経験したYouTuber・インフルエンサーの三石祐奈さん。18歳で出産し現在は21歳、一児の母として子育てに向き合いながら、大学進学という新たな目標にも挑戦している。誹謗中傷をどんな思いで乗り越えてきたのか――当時の心境から現在地、そしてこれからを聞いた。
17歳での結婚・妊娠…家族の反応と決断の背景
三石祐奈さんは2004年、広島県生まれ。父親が副業でYouTube投稿を行なっていた影響もあり、小学2年生から弟とともに子ども向けチャンネルに出演。
マネジメント事務所「UUUM」に所属し、登録者数15万人のキッズYouTuberとして活動していたが、受験をきっかけに中学2年でキッズYouTuberとしての活動を終了。その後、全日制高校に進学するも、甲状腺疾患のバセドウ病を発症し、通信制高校へ編入した。
そして高校在学中の17歳のとき、4歳年上で当時21歳の大学生だった恋人との結婚を決意したという。
――当時の心境や、ご両親の反応について教えてください。
三石祐奈(以下同) 夫とは高校1年のとき、同じスーパーのアルバイト先で出会いました。6か月の交際を経てプロポーズを受けましたが、当時は17歳だったこともあり、嬉しさのなかには、結婚によって夫が偏見の目で見られてしまうのではないかという不安もありました。
2週間ほど返答を考える時間をもらいましたが、「この人と人生を歩みたい」という気持ちは変わらず、結婚を決意しました。
両親からは、通信制高校に編入した際に「社会人としての自覚を持って生活しなさい」と言われていたので、「一人の大人として責任を持てるなら」という条件で、最終的には私の意思を尊重し承諾してくれました。
――結婚後、高校生のうちに出産を決断。若年での出産という選択には世間の関心も集まりましたが、当時の気持ちや周囲の反応を教えてください。
高校生の妊娠というと経済面を心配されがちですが、通信制に移ってからはフルタイムで働き、YouTubeなどの活動もしていたため、貯金もあり基盤は整えていました。
通信制高校では学び方を柔軟に選べたため、妊娠中は通学せず、レポート提出を中心に学業を続けていました。
むしろ不安だったのは、若くして母になることで、将来子どもにどんな影響があるのかという点でした。
しかし周囲の反応は想像以上に温かく、結婚後の妊娠だったこともあって、親戚や友人から祝福してもらえたのが大きな支えになりましたね。
妊娠生活はコロナ禍と重なりましたが、大学生だった夫が学業と両立しながら家事や体調面を支えてくれ、父も送迎を担ってくれるなど、家族に助けられながら乗り越えました。
――お話を伺っていると、年齢以上に落ち着いた印象を受けます。ご自身ではどんな性格だと感じていますか?
自分ではあまり実感はありませんが、「大人っぽい」と言われることは多いです。小さい頃から発信を続けてきたので、人からどう見られるかを意識したり、場に応じた立ち回りを考えたりすることが自然と身についたのかもしれません。
もともとキッズYouTuberを始めたのも、「父より自分のほうが上手くできるかも」と思ったのがきっかけでした。批判を浴びた現在もSNS活動を続けているのは、昔から一度やると決めたことは最後までやりきる――そんなストイックな面があるからかもしれません。
「無責任すぎる」150万回再生によって批判の嵐…SNS炎上と向き合った日々
――妊娠・出産を公表した動画は大きな反響を呼び、TikTokでは約150万回再生、コメントは600件以上。祝福の声もあった一方で、その多くは厳しい批判でしたが、当時はどんな心境でしたか。
SNS投稿のなかで多いものだと600件ほどコメントをいただきましたが、体感では8割くらいが批判的な意見でした。
「無責任すぎる」「子どもが子どもを育てるようなもの」「いつか後悔する」といった声が多かったですね。
最初は「こんなに反応があるんだ」と驚きましたし、コメントを見るのが怖い時期も続き、正直、毎日憂鬱でした。どれだけ息子に愛情を注いでいても、年齢だけでレッテルを貼られ、偏見を向けられることが本当に苦しかったです。
それでも、これまで続けてきた発信をなかったことにするのはもったいないと思いましたし、「やると決めたら絶対やりきる」という性格なので、誹謗中傷に負けたくないという思いで発信を続けてきました。
――当時の自分に、いま伝えたい言葉はありますか。
「自分の正しいと思う道を歩みなさい」と伝えたいです。
私はいま弁護士を目指しているのですが、昨年にインタビューしていただいたときにその話をした際、「弁護士をなめるな」「そんなに甘くない」「無理でしょ」といった厳しい声もありました。
若年出産への批判だけでなく、夢を語ることまで否定されるのは正直つらかったのですが、それでも目標を曲げたくないという思いは変わりませんでした。
“正しさ”は人それぞれ違うもの。他人に定義されるのではなく、自分で生き方を選び、自分にとって大切なものを大事にしていきたい――そう考えられるようになったのは、批判を経験したからこそであり、何より息子というかけがえのない存在に出会えたからだと思います。

