ブラック配送会社を舞台に、不条理と暴力の坩堝で翻弄される青年の懊悩を描いた、ピンク地底人3号さんの『カンザキさん』。そして、一軒の「家」をめぐる住人たちの時を超えた記憶を、豊穣な語彙で建築物のように紡ぎ上げた、鳥山まことさんの『時の家』。両作は第47回野間文芸新人賞を同時受賞しました(のちに鳥山さんは同作で第174回芥川賞も受賞)。
選考委員も「好対照」と評した二作を、それぞれ劇作家、建築士という全く異なるバックグラウンドを持つふたりはどのように生み出し、どう読んだのか。贈賞式から間もない高揚感のままに、語り合っていただきました。
構成/折田侑駿 撮影/大西二士男
『カンザキさん』と『時の家』のはじまりについて
――今回の対談は、野間文芸新人賞の贈賞式の数日後に実施しています。おふたりにとって初めての文学賞の贈賞式だったと思うのですが、終わってみて今どんな心境ですか。
鳥山 あんなに大勢の人がいる場でスピーチをする機会なんてこれまでなかったので、とにかく緊張しましたね。僕、贈賞式が終わって翌々日ぐらいに発熱しちゃったんですよ。
3号 大丈夫ですか? いまインフルエンザ、流行ってるから。
鳥山 インフルではなかったんですけど、あのときの緊張感が熱になって出てきたんじゃないかなっていうぐらい張り詰めた時間でした。僕自身、今年は子どもが生まれて、こういう大きな賞もいただいて、がらがらがらっと生活が変わった感じがしていて。
3号 そっか、大変や。
鳥山 そういうなかで、これから執筆活動を続けていく自信をもらった気がしますね。
3号 僕もちょっとね、緊張しました。けど、自分は鳥山さんより年齢がひと回りぐらい上で、演劇の仕事も含めていろんな経験をしてきての受賞だったので、ヘンに浮ついたり、天狗になったりとかもなくて。今は粛々と、次の小説を書かなきゃなって感じてます。それにしても鳥山さん、いきなりこんな完成度の高い作品書いちゃって、この次ほんまどうすんのって思っちゃいますけど(笑)。
鳥山 そこはまあ、僕も粛々とやるしかないですよね(笑)。
――おふたりの作品は好対照をなしていて、読者にまったく異なる読書体験をもたらします。バックグラウンドとの密接な結び付きがあるかと思うのですが、作品の話に入る前に、それぞれのルーツについてうかがってもいいですか。
鳥山 じゃあ、僕からいきますね。印象に残ってる読書体験っていうことでいうと、東野圭吾さんの『白夜行』との出会いがあります。中学校の頃、図書館で借りてきた本を延滞しながらずっと読み続けてました。それくらい物語の世界にのめり込んだ、原体験ですね。それ以降も伊坂幸太郎さんとか、エンタメ作品がすごく好きで、純文学を意識的に読みはじめたのは、社会人になってからなんです。20代の半ば、けっこう遅めですよね。もともと小川洋子さんの作品が好きで、そこから芥川賞とか野間文芸新人賞の受賞作とかを読み漁るようになった感じです。
3号 自分も小川洋子さん大好きです。『妊娠カレンダー』の文庫版に収録されてる「ドミトリイ」っていう短編がほんま衝撃で。『博士の愛した数式』のイメージが強かったけど、こんな尖った人なんやって。
鳥山 烏滸がましい話なんですけど、小川洋子さん経由で純文学に触れていろいろ読んでいくうちに、うっすらと、「こんなに純文学を面白いと思えるんだったら、ひょっとして自分にも書けるんちゃうか?」っていう謎の飛躍というか、勘違いをしちゃったんです。で、実際書いてみたら全然書けなかったんですけど(笑)。でも、その後も仕事に行く前の朝の時間とか、昼休みとか、こつこつ書き続けて今があるっていう感じです。
3号 鳥山さんは建築士をしながら小説を書いてらっしゃるんですよね。
鳥山 そうですね。大学が建築系の学科出身で、そのまま大学院に行って、建築業界に入ったっていうルートを辿ってきました。そもそもなんで建築の道を志したのかっていう話でいうと、そこには自分なりの理由があって。高校は理系で、物理とか数学が得意でした。一方で、芸大に通っていた姉がいるんですが、芸術の道に進んだ姉への憧れがずっとあったんです。そういう環境のなかで、理系と芸術のセンスをかけ合わせると建築になる、っていう僕なりの数式というか、持論ができていったんです。
3号 おもろいですね。僕は両親が本読みだったので、その影響がデカい。ゲームは禁止だったんですよ、でも本だったら漫画も含めて何でも買ってくれて。めっちゃベタですけど、中高の頃に親が好きだった村上春樹を初めて読んで衝撃を受けました。「なんでこんな自分のことが書いてあるんやろう」って。それでひとまず村上春樹作品を全部読んで、そうこうしているうちに「どうやら村上龍という作家もいるらしい」となって、今度は村上龍作品を読み漁って。そっからはもう、手当たり次第になんでもっていう感じです。大学生の頃は文芸誌めっちゃ読んでて、芥川賞の選評とか、今でも大好物です。
――3号さんは劇団「ももちの世界」を主宰する劇作家でもいらっしゃいます。20年ぐらい演劇の世界で活動を続けてこられましたが、そもそも演劇と出会ったきっかけは?
3号 たまたまです。大学に入って、何かやらなきゃと思っていたところ、新入生歓迎のサークルのブースを覗いてみたのが演劇サークルだったっていうだけで。演劇なんてそれまで一度も観たことなかったのに、サークルには自分と似たような人がけっこういて、どうにも居心地がよかった。そこにのちにピンク地底人1号、2号を名乗る女性がいたんですが、ふたりに「ラーメンズの小林賢太郎の戯曲をやりたいんだけど、上演時間が短くてもたないから何か書いて」って言われたんです。それで書いてみたら書けちゃって、2号が「面白い」と言ってくれた。そのときの感動がいまだに僕の中に残っていて。そしてその感動に似た体験がひとつずつ重なって、こうして劇作家として書き続けている感じですね。
鳥山 小説はもともと書かれてたんですか?
3号 いえ、『カンザキさん』が初めてです。2年ぐらい前かな、ある文芸誌の編集者からエッセイの依頼があったんです。そしたらそれを気に入ってくれたみたいで、「小説書きたくなったら、声をかけてくださいね」って。そんな機会、なかなかないじゃないですか。これはもう書くしかないぞと思って。じゃあ何を書こうかとなったときに、やっぱり一作目は私小説だろうなと。学生時代、文芸誌を片っ端から読んでて、デビュー作は私小説っていう作家が大勢いるのを知ってたので。それで自分のことを書くなら何が面白いかと半生を振り返ってみたときに、20代の頃にいろんな仕事を経験したなかで、配送会社での体験が一番強烈やったからそれをベースにしようかなと。
鳥山 じゃあ、執筆にあたっての取材とかは――。
3号 まったくしてないですね。戯曲を書くときはめちゃくちゃリサーチを重ねるんだけど、そもそも私小説だし。とはいえ、実体験は全体の3割くらいですかね。10年とか20年が経つと、果たしてそれが本当にあったことなのかどうか、正直なところわからなくなってくるんですよ。良くも悪くも、記憶を書き換えちゃうから。でもひとつだけ言えるのは、上司にカッターナイフで脅されたのは本当です(笑)。
――フィクショナルなシーンかと思いましたが、あれが実体験に基づいているのならば、いち読者としては虚実の境界線がわからなくなってきます。
3号 劇作家としての経験値ゆえか、核になるような実体験がひとつでもあれば、あとはなんぼでも嘘をついて物語を膨らませていけるっていう確信があって。だからあのカッターナイフにまつわるエピソードを冒頭に持ってきたんですよね。
鳥山 あの場面、ほんと強烈ですよね。僕は2年ほど前に自分の家を建てたところから、すべてがはじまっています。僕と、同じく建築士の妻とふたりで一緒に設計した家で。そのとき目の当たりにした光景や、肌で感じたことが、僕にとってはすごく大切なもので。どうにかしてこれを残したい、現場で作業をしている職人さんたちの佇まいや手つき、彼らが作り上げていく家の陰影など、そういったすべてを残したいなと思って。だったら、小説という形で残せばいいじゃないかと思い立ったのが、『時の家』のはじまりです。
3号 じゃあ、鳥山さんもあんまりリサーチとかはしてない?
鳥山 自分の家を更地の状態から建てていったので、それこそ週に一回ぐらい、とにかく足繁く現場に通っていました。そこで見えてきたもの、あるいは体感できたものがあるから、小説を書くために十分な材料があった。むしろ書ききれなかったことのほうが多いくらいで、この作品に関してはリサーチというものはまったくしてないですね。
「記憶」の描き方と「読者」の存在をめぐって
――『時の家』は解体の決まった一軒家を舞台に、この家を訪れたひとりの青年のスケッチによって、かつて住人だった三代の人々の日々が交差するようにして描かれます。家が宿している記憶を語る言葉の組み立てが緻密で、読んでいるうちにその記憶がこちらへと浸透してくるような感覚がありました。
3号 僕、もう何回も読み返しているんですよ。好きなシーンがいくつもあって。たとえば、藪さんという登場人物が、自分が設計した家の取手にまつわる思い出を振り返っているところとか。設計士の藪さんがデザインした取手に対して、彼の所属する設計事務所の長が「ええ取手やな」とひと言だけ漏らすんですよね。これが藪さんにとって、生涯忘れられないほどの嬉しい体験になる。僕には取手のデザインをした経験はないけれど、同じものづくりをする人間として、藪さんの心情はよくわかるなって。
それから冒頭のほうで、青年が水面に飛び込むような気持ちでスケッチブックに一本の線を引くシーンがありますよね。目の前の紙に対してなかなか最初の一筆を入れられずにいたけれど、一本の線を引いたことで彼の手は軽やかに動き出し、次から次へと線が生まれていく。これは執筆っていう営みと同じだなと思った。とにかくまずひとつの言葉を置いてみることで、そこから次々に言葉が溢れ出て、連なり、やがて物語へと発展していく。この感覚もすごくよくわかる。『時の家』は一軒の家をめぐる物語ですが、僕はこれをある種の創作論だと受け取りました。鳥山さんはここに、自身が創作に向き合う態度を書いてはるなって。あと個人的に、この家にまつわるさまざまな人間の記憶がリエゾンしていくのも魅力のひとつです。非常に演劇的だなって。
鳥山 確かに、『時の家』が僕自身の創作論的なものであるのはおっしゃるとおりで、自覚もしています。でも、演劇的だと言われたのは初めてです。僕は演劇というものに疎くて申し訳ないんですが、記憶の描き方とか扱い方に、どこか近い部分があるんですかね。
3号 そもそも演劇って、記憶について語ることが非常に多い芸術なんですよ。たとえば、伝統芸能の能の形式のひとつである「夢幻能」では、死者が登場人物としてやってきて、未練や執着といった、言ってしまえばかつての思い出について語る。以前、納棺師の仕事をやっていた経験とも繋がってくるけど、演劇は、もうここにいない人たちを呼び込む儀式だと僕は捉えていて。『時の家』にはこの演劇と記憶の関係性を感じ取ったんですよね。
鳥山 なるほど、すごく面白いですね。
――『カンザキさん』は主人公の「僕」が、かつての勤め先である配送会社で経験した壮絶な日々が、彼の一人称視点で綴られています。極悪非道なカンザキさん、穏やかで優しいミドリカワさんというふたりの上司の間で心が揺れ、飴と鞭が用意された環境から抜け出せなくなっていく。カンザキさんの言動が想像を絶するほど酷くて、面白さを感じながらもギョッとすることの連続でした。鳥山さんはどう読まれましたか?
鳥山 初読はもちろん、再読してみてさらに面白さを感じましたね。劇中で描かれるエピソードがどれもこれも強烈で、たくさん詰め込まれている。いくら実体験をベースにしているとはいえ、あくまでもフィクションじゃないですか。僕は主人公と同じような環境に身を置いたことがないので、配送業者である彼が目にする景色を見たことがありません。でも、読み手にリアリティを感じさせる強さがあって。カンザキさんの運転するトラックの助手席から同僚が転げ落ちるシーンがありますが、あんなの僕の想像力では書けませんよ。
とくに好きなのは、心優しい上司のミドリカワさんと「僕」がミスタードーナツに行くくだりです。職場での恐ろしいエピソードが畳みかけられるなかで、「僕」が揚げたてのドーナツを口にして、今まで食べてきたのとは比べものにならないほど美味しいと感じている様子が、活き活きと描写されてますよね。あそこだけ異質で、ずっと心に残っています。配送業の現場のリアリティとはまた違う、特別なリアリティがある。その光景をすぐそばからのぞき込んでいる気分になってくるというか。泥臭い物語が展開していくなかで、なぜあのシーンを描いたのかをお聞きしたいと思ってました。
3号 嬉しいですね。戯曲を書くときもそうなんですが、僕はけっこう食事のシーンを描くんです。味や香りは、受け手の味覚や嗅覚に直に訴えられるから。ブルーカラーの仕事をしていた頃、飲食店に行くたびに自分の汗の匂いを気にしてたんですけど、そういう経験もにじみ出てる気はする。けど、書いてるうちにたまたまミスドにたどり着いただけで、完全に創作です。そしてこのシーンが、物語全体のなかでひとつの抜きどころになってます。
鳥山 そのバランス感覚、絶妙ですよね。『カンザキさん』はとにかく強烈なエピソードが並んでいるから、読者としては下品な方向に突っ走っていくのかと思うんですよね。でも、ほのぼのとした笑いが適宜、ちりばめられていて、そうはならないっていう。
3号 そのあたりのバランスはほとんど感覚的なものなんですけど。でも、笑いの要素はめちゃくちゃ大事だなって思ってて。しんどいシーンは誰でも書けると思うし、しんどいだけで終わっちゃうのは嫌なんですよね。しんどいけど笑えるっていう読み味で、読者を最後まで引っ張っていけたらなと思って。
――シリアスとユーモアのバランスに3号さんの作家性が出ていると。
3号 このあたりもやっぱり演劇をやっている経験が大きいですね。演劇はお客さんの反応がダイレクトで、どう受け取られているかがすぐわかるので。だからこの作品は、読んでくれる人のことを考えながら書きましたね。
鳥山 なるほど、そうか……。僕は真逆で、読者のことはそれほど気にしないで書き始めるタイプです。もちろん、編集者さんとのやり取りを経て、読み手にどう伝わるのか、そしてどう伝えるべきかをブラッシュアップの過程では考えます。でも書き始めの時点では一切、読者の反応は想定していません。大切にしているのは、とにかく作品ごとの世界観を守ること。思い描く世界の質感をどうクリアに表現するか、そのことばかり考えています。結果、「こんなん読まれへんで」みたいな感想をもらうこともあるんですけどね。『時の家』に関しては、「冒頭の数ページが読者を置き去りにする」とよく言われます。
3号 むしろ、冒頭が一番いいんですけどね(笑)。
鳥山 ほんまですか? あそこは賛否両論あるんですよ。家全体や室内の細部にまつわる描写を通して世界観の提示が延々と続くから、「あの数ページを読んで買おうと思う人なんかおらんのちゃうか」とまで言う人もいるくらいで(笑)。
3号 けど、鳥山さんが読み手をあんまり意識してないっていうのはちょっと意外かも。新人賞(三田文学新人賞)ご出身ですよね。デビューする前って、どう読まれるかを意識してませんでしたか?
鳥山 それが、多く人に読まれるというのはあまり意識してなくて。まずは選考委員にどう読んでもらうかが重要で、世に出て読まれるのは、そのずっと先の話。受賞しなければ世間の人々に読んでもらうことはできない。そう考えていましたから。
3号 なるほどなぁ。そのあたりも僕とは対照的かもしれないですね。ちなみに、私小説的なものを書かれたことはないんですか?
鳥山 小説を書きはじめたばかりの頃はそういったものも試していました。でも書いていくうちに、自分には作品の核になり得るような「私」なんて存在しない、そういう感覚を持つようになったんです。三田文学新人賞をいただいた「あるもの」という短編は一人称「私」の物語ではあったけど、主人公は自分の母親世代の年齢の人物でした。なので、私小説的なものからは遠かったですね。

