アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回は男子バレー日本代表のミドルブロッカーとして東京オリンピック、パリオリンピックで2大会連続ベスト8入りに大きく貢献してきた山内晶大選手(大阪ブルテオン)に、バレーボールへの思いや今後の目標、ジュニアアスリートへのアドバイスなどをお伺いしました。
―バレーボールを始めたきっかけを教えていただけますか。
小学校と中学校ではバスケをしていました。高校でもバスケ部に入ろうとしたのですが、高校生になるとみんな体格が良くて、やっていけるのか不安になってバスケはやめました。何か部活動はやろうと思って悩んでいた時にバレーボール部の顧問の先生から声を掛けてもらったのがきっかけでしたね。
―今のご活躍から考えるとバレーボールに引き寄せられた感がありますね。
そういうことが続いていたような気がします。バレーボールは自分の意志からではなく誘われて始めてみたら、偶然にも強豪校の監督に見つけてもらって「なんだ、あのデカイやつ」「これはちゃんと指導しないといけないな」と思ってもらうことができました。
―当時の身長はどれくらいだったのですか?
高1の時は182センチくらいで、大きい方ではありましたがそこまで目立つほどではなかったと思いますが、高校の3年間でさらに20センチ伸びました。
―その間にいろいろな人の目に留まっていったのでしょうね。
最初は東海リーグ3部の大学へ進学するつもりだったのですが、愛知学院大学大学から声をかけて頂きました。ただ、愛知学院大学の推薦入学には全国大会で一定以上の実績が必要でしたが、自分の部活での実績では難しかった。
でも日韓中の親善大会に出場する選抜チームに呼んでもらえたことで国際大会に出場できて、さらには国体に出る選抜チームのミドルブロッカーの枠が空いたことで国体にも出場したことで進学することができました。
―大学は高校時代と練習内容もレベルもガラッと変わったのではないでしょうか。
僕が高校からバレーボールを始めたのは他の先輩方も知っていたので、できないのは当たり前という目で見てもらっていましたし、いろいろ教えてもらいながら、萎縮せずに自由にできる環境でした。もし厳しい環境の大学に行っていたら多分、自分は辞めていたと思います。
―大学3年生だった2014年4月に日本代表に初招集され、5月に代表デビューを飾りました。バレーボールを始めてからまだ5年。その時はどんなお気持ちだったのでしょうか。
代表では学ぶことも多かったですし、戸惑うことも多かったですね。選ばれた選手とは初対面の人も多くてこれまで一緒にプレーをしたこともなかったですし、みんなも初招集された自分のことを知らないのでお互いに手探りの状況だったかなと思います。
―山内選手はスピードが特長だと思います。このプレースタイルはいつごろから目指して身についたのですか?
それは最近だと思います。代表入りした最初の頃はどんなスタイルを目指すというより、とにかく一人前のプレーヤーになろうとひたすら頑張っていましたね。
―大学卒業後はパナソニックパンサーズに加入。(2024年から大阪ブルテオン)バレーボールで生きていこうという決意だったと思いますが、入ってみていかがでしたか?
代表に選ばれている選手が多かったので、常に代表のマインドがあって、みんなが向上心を持っている環境でした。全員の意識、熱量が高く、レベルの高い練習を毎日できると期待していましたが実際に入ってみて本当に良いチームに来たなと思いました。
―2021年から昨シーズンまでチームのキャプテンを務めました。キャプテンとして意識していたことを聞かせてください。
キャプテンになる前は一プレーヤーとして自分のプレーをメインに考えていましたが、キャプテンになってからはチーム全体を客観視したりチームメートの考えに思いを巡らせたり、意識が変わりましたね。
―昨シーズンからSVリーグがスタートしました。大阪ブルテオンはSVリーグの1年目にレギュラーシーズンで優勝を果たしましたが、リーグの上位6チームによるチャンピオンシップでは準決勝で敗退と、悔しさも味わったのではないかと思います。今年10月に開幕する2シーズン目の抱負を聞かせてください。
昨シーズンは初代SVリーグのチャンピオンを目指していましたが惜しくも届きませんでした。今シーズンも、どのチームも簡単に自分たちのバレーをさせてくれないとは思いますが、目指すのはもちろん優勝です。
―日本代表についても聞かせてください。男子バレーは東京オリンピックでベスト8に入り、その後は世界大会で表彰台に上がるなど飛躍的に成長しました。その実感はありましたか?
ここ数年はアジアで負けることが少なくなったり、欧州などとの試合でも勝つことが増えてきたり、しっかりと成績を残せるようになってきたと思います。
―メダルの期待も大きかったパリオリンピックを振り返ってもらえますか。
本当にチーム全体が成長していましたし、チームとしても選手一人一人としてもメダルを取れるだけの自信がありました。それがゆえに、あそこ(準々決勝イタリア戦)で負けたのは悔しかったですし、3年後のロサンゼルスオリンピックに向けて少なからず糧になっています。
―山内選手は以前に「パリを一つの集大成としたい」というコメントをしていらっしゃいました。イタリア戦の前後で気持ちに変化があったのでしょうか。
やはり、パリオリンピックへの執着が強かったので、終わってすぐは“代表はもういいかな”とも思っていたのですが、休みをいただいてリフレッシュし、少しずつ傷が癒えてくると、ファンの方々もちろん、身近な人たちがより応援してくれていることを感じて、もう一度目指そうと思いました。
―ここからは食事についてお伺いします。子どもの頃の食生活について聞かせていただけますか。
好き嫌いはありましたね。野菜はあまり食べなかったですし、中高生の頃までは白米と豆腐、好きなおかずばかり食べていました。栄養や食生活に気をつけるようになったのは大学に入って日本代表に呼ばれるようになってからです。
―日本代表入りがきっかけだったのですね。
合宿で栄養士さんの指導を受けて、食事による体作りやパフォーマンス向上についての知識を得るようになりました。すぐに食事バランスが良くなることはなかったですが、少しずつ改善していったと思います。合宿中は食事をたくさん摂らないといけないですし、なおかつよく野菜をよく食べるようになりました。摂取量は一日3000から4000キロカロリーくらいです。
―10代の頃は体の線が細かったとお聞きしますが、そこから10数年がたってどのように変化していますか。
元々、食べてもなかなか太らない体質で、食べないとすぐに体重が落ちるので、体作りは大変でしたね。食事もトレーニングの一部というくらいの意識で食べていた時期もあります。今は当時より体重も増えています。
―食事に対してどのような意識をお持ちですか?
一つは体調管理。偏った食事をしていると体調を崩すことがあるので気をつけています。二つ目は体作り。自分はまだまだトレーニングをして筋肉量を増やし、体重を増やしたいので、タンパク質を摂るとか、脂質を抑えるとか、練習中や試合中にエネルギー切れにならないように炭水化物をしっかり摂るとか、いろいろと心掛けています。
―30歳を超えた今もさらに筋肉量をつけていきたいというお考えなのですね。
まだまだジャンプ力やパワーをつけたいですし、ケガ予防の観点からも筋肉量を増やしたいと思います。この年齢からパフォーマンスが急激に上がることはないかもしれないですけど、少しでも上げていきたいですし、維持していきたいと思うので、頑張りたいです。
―バレーボールはジャンプが多く、着地の際の体への負担もあります。体のために毎日取り入れているケアやトレーニングはありますか?
ストレッチや体幹トレーニングはほぼ毎日やっています。腹圧を高めるトレーニングもしています。
―若い頃に比べて体のケアに使う時間は増やしていますか?
増えましたね。若い頃は練習前も後もストレッチやケアをあまりしなくても全然大丈夫だったのですが、最近はストレッチはもちろん練習後のケアは必須ですし、トレーナーさんに体を見て貰うことが多くなりました。
―日々の食事できのこの入った料理はよく食べますか?
はい。積極的に食べています。家でも外食でも積極的に摂るように努力していますね。子どもの頃からエノキは好きなので、お味噌汁に入れたり、サーモンのホイル焼きに入れたりしていますし、外食では、焼き肉屋さんに行ったらきのこと野菜の盛り合わせを必ず一皿つけるようにしますね。
―きのこには多くの栄養素や食物繊維が含まれているという知識はお持ちでしたか。
免疫力アップにも良いというイメージもありますね。
―最後に山内選手からバレーボールを頑張っているジュニアアスリートへのアドバイスを聞かせてもらえますか?
いろいろなポジションやってみるのが良いのではないかと思いますね。そうすることで他のポジションの選手に対して優しさが生まれるのではないかと思います。
山内 晶大(やまうち あきひろ)
1993年11月30日 204センチ
愛知県名古屋市出身。名古屋市立工芸高校入学後、バレーボール部の顧問から誘われてバレーボールを始める。愛知学院大学3年だった2014年に日本代表入りし、同年5月のドイツ戦で代表デビュー。2021年東京オリンピック、2024年パリオリンピックに出場。大学卒業後はパナソニック・パンサーズに加入し、2016年1月30日の2015/16 V・プレミアリーグ男子大会堺ブレイザーズ戦(福井市体育館)でVリーグデビュー。ミドルブロッカーとしてチームを牽引し、Vリーグ時代はベスト6に3度選出された。

