
南極はどんなところ?と聞かれたら、どのようなことを思い浮かべるでしょうか。
真っ先に思い浮かぶのは、地球上で一番寒い場所、氷と雪の世界、昭和基地、ペンギン、樺太犬のタロとジロなどでしょうか。
南極を舞台にした作品だと、映画「南極料理人」や、「宇宙よりも遠い場所(通称:よりもい)」というアニメが話題を呼んだため、こうした作品を思い浮かべる人も多いかもしれません。
また、近年、南極大陸を覆う氷の塊である氷床(ひょうしょう)の融解速度が加速しており、このまま続けば近い将来世界の海面が数m上昇するかもしれない、という恐ろしいニュースを耳にしたことがあるかもしれません。
南極は決して簡単に行ける場所ではないため、アニメや映画で描かれている世界は本当なのか? 基地ではどのような研究が行われているのか? 研究者たちは現地でどのように生活しているのか? そもそもどうやって行くのか? など多くの疑問があると思います。
そこで今回、産業技術総合研究所・地質調査総合センター・地球変動史研究グループ長の板木 拓也さんにインタビューを行い、ご本人が南極で体験した貴重なお話の数々をお聞きしました。
この記事は、「産総研マガジン」でも同時公開されています。産総研マガジンの記事はコチラ!
目次
- 一体なぜ南極に行こうと思ったのか?
- 夢の南極調査が実現した経緯
- 極寒の南極生活は過酷だけど楽しい
- 南極の海底堆積物から地球の歴史を解き明かす
- 南極の海底掘削はどのように行うのか?
- 夢を叶えるのに遅すぎることはない
一体なぜ南極に行こうと思ったのか?
――人生において、なかなか「そうだ南極、行こう。」とはならないと思うのですが、一体なぜ南極を目指すことにしたのでしょうか?
板木:元々は探検家になりたかったんです。
――探検家ですか!きっかけはなんだったんですか?
板木:高校時代から真剣に山登りをしていて、大学でも続けて、ゆくゆくはヒマラヤの高峰に登りたいと考えていました。ところが、高校3年生の頃、腰を痛めてドクターストップがかかり、山登りができなくなってしまいかなり落ち込んでいました。
そんな時、植村直己さん*1の著書で北極圏12,000 kmを犬ぞりを使って単独で走破したエピソードなどを知って感銘を受けました。これがきっかけとなって、垂直方向に進む山登りだけじゃなく、水平方向に進む極地探検に魅せられて、植村直己さんのような探検家になりたいと憧れるようになったんです。
(*1 植村直己:うえむらなおみ。世界最高峰エベレストに日本人で初めて登頂した登山家、冒険家)
――でも現在の職業は研究者ですよね。探検家と研究者はあまり結びつかないのですが、どのような心境の変化があったのですか?
板木:大学に入学した時、登山や探検ができる部活が無かったので、自分で探検部を作り、医者に止められていましたが結局山登りなどの活動をしていました。
ただ、周りの本気で冒険や探検を職業にしようとしている人たちはすごい人が多くて、その中で自分が勝ち残れるのか自信が持てなくなってきました。それに進路などを真面目に考えるようになると、これがあまり現実的な夢じゃないなってことを意識するようになって来たんですね。
ここで高校からの夢が破れた気分になっていたんです。
でも探検っていうのは自然の中に入って色んなことを探り調べるものですよね。大学3年生の頃に地質学や海洋学など野外調査をベースに研究する自然科学について知っていくと、これはかなり探検に近いんじゃないかと感じたんです。そうして将来のことを考える中で、だんだんと研究者を志すようになりました。
――では大学時代はどのような研究をされていたのですか?
板木:学部では海洋開発工学、大学院では地球環境科学を専攻しました。
でも研究の道を進みつつも、やっぱり心の底には「植村直己さんも行けなかった南極に行ってみたい」という思いがあり、卒業論文は南極海の堆積物をテーマに選んで、なんとかこれをきっかけに南極に行けたら、なんてことを考えていました。
ただ、大学院に進んで本格的に研究を始めると南極ばかりにこだわってもいられず、船で世界中の海域を調査して回りました。
南極には行けませんでしたが、これはこれで結構楽しかったです。
――学生のときから、世界の海を調査して回っていたんですね! 学生時代に行った調査で特に思い出に残っている場所はありますか?
板木:北極ですね。実は大学院生のとき、博士論文が仕上がらなくて悩んでいた時期があって、その時の研究室の教授に「君、北極に行ってきなさい」と言われ、論文もまとまらぬまま北極への調査船に乗り込みました。
当時の北極は今と比べて夏でも氷がたくさんあり、夜は安全のために船が動かせずエンジンを切って真っ暗な海上を漂っていました。そうすると、北極海は陸に囲まれている上、氷も張っているから波が立たなくて本当に静かなんです。おまけに、周りに大きな町がなくて光が届かないし、いつも曇っているので夜は何も見えません。
ただ、調査に行った1カ月のうちほんの2、3日だけ晴れた日があって、船の人が声をかけてくれたので、甲板に出てみたんです。そしたら、真っ暗な静寂の中、無辺な夜空にものすごい数の星や天の川が広がっていて、流星群が次々と流れてくるんです。そこに緑とかいろんな色のオーロラのカーテンがバーっとかかっていて、その光景を見たらもう感動して涙が出ました。
――とても幻想的ですね。オーロラといえば、ちょうど最近も太陽活動周期の極大期で、極域近くではオーロラがすごいって話題になっていましたよね。
板木:太陽活動周期って11年周期で変動しているんですが、当時私が北極を訪れたときもちょうど太陽活動の極大期だったんです。実際に見た時はオーロラの光が手の上に降ってきそうな感覚で。これってつまり自分の掌に降ってきているのは宇宙なんだと感激しました。
そしたら、日々悩んでいたことがとてもちっぽけに思えて、全部吹っ切れました。
オーロラのように極域でしか見られない光景にはなぜか人を動かす力を感じます。その頃からやっぱり極地の研究をやりたいなと思っていました。
夢の南極調査が実現した経緯
――産総研に入所してからも頻繁に海外へ調査に行っていたのですか?
板木:いえ。産総研での仕事は、主に日本周辺海域の海底の地質図を作ることなので、海外での調査はそこまで多くないし、ましてや南極となると行く機会はありませんでした。
――それではどのような経緯で南極での調査が実現したのでしょうか?
板木:2020年に約77万4000年前から12万9000年前までの地質年代の名称として「チバニアン(千葉時代の意)」が新たに認定されたのですが、このプロジェクトに私も携わっていました。
そこで出会った国立極地研究所の研究者からある日、「南極観測船の”しらせ”で海底堆積物を掘削できないか?」と相談を受けて、二つ返事で引き受けました。
――チバニアンといえば、日本の地名が初めて地質年代につけられた歴史的快挙ですよね。ニュースでも板木さんのお名前をお見かけしていましたけど、そこが南極へ行くきっかけにもなっていたんですね。
余談ですが、なぜ地名が地質時代の名称になるんですか?
板木:時代の名前なのに地名を使うのが感覚的に分かりづらいというのは、講演していてもたまに一般の方から聞く意見ですね。
確かに世界中に同じ年代の堆積物があるんですが、それぞれの場所で見つかる堆積物を同じ時代のものだと認定するためには、比較できる基準の地層サンプルが必要ですよね。そうしないとバラバラに年代を判定してしまって、その地層の本当に正しい時代がわからなくなってしまいます。
なので、チバニアンであれば、房総半島の千葉にある地層がこの時代の基準ですよ、というのが分かりやすいんです。だから地質時代には地名を入れるようになったんです。
チバニアン以外にも、有名なジュラ紀はフランスとスイスの国境にあるジュラ山脈に由来しています。
――なるほど。そんな新しい地質時代の発見に関わりながら、さらに南極調査の夢まで叶えてしまうなんて信じられない出来事ばかりですね。
ではチバニアンの発見のすぐ後に、今度は南極へ行かれたんですか?
板木:いえ、2016年にこの相談を受けて、実際に南極へ出発したのは2019年11月でしたので、準備期間に約4年使っています。
――そんなに準備期間ってかかるものなんですね。こういった準備ってどういうことをされるんでしょうか?
板木:私はまずは家族の説得からでした(笑)
研究としては、“しらせ”に限らないんですが、日本の南極観測船で本格的に海底を掘削するという例が過去に無かったので、調査のノウハウを作るところから始める必要がありました。
なので“しらせ”で堆積物を採取できるか確認するため何度も見学に行ったり、他の研究者と掘削方法を協議したりしながら運用手順を構築しました。
あとは、南極という特殊な環境下での調査には危険がつきものなので、そのための安全訓練などですね。
――調査のノウハウを作るところから準備されてたって聞くと確かに準備に4年という話も納得ですね。
でも最初にしたのが家族の説得というのが面白いですね(笑)今回のお話を伺うって決まったときに思い浮かべていたのが、「南極料理人」って映画だったんですが、その映画でも家族の説得から始まるんですよ。
板木:実は、私が妻に納得してもらえたのはその「南極料理人」の映画を一緒に観たからなんですよ。南極に良いイメージを持ってくれたみたいで、映画を見てから「行っていいよ」って。
――実際南極行かれた方がこの映画を説得に使ったなんて、映画スタッフが聞いたら喜びそうですね。そういう作品って見ていてどこまで実際に近いんだろうって考えてしまうので、こういう話が聞けると嬉しいですね。
板木:それで言うと「よりもい(宇宙よりも遠い場所)」って作品も、アニメですけど非常にリアルに作られてましたね。
――その作品ご存知なんですね。編集部にもその作品が好きな人が多くて、でもアニメだから聞いても大丈夫かなって話していたんですが。
板木:あの作品は極地研も協力しているので、私が南極へ行くときに“しらせ”の中で流れていたんです(笑)それを見てすごく良くできているなと感心しました。
――ええ!? そうなんですね。話題になっていた作品なので、実際行かれた方から見てもリアルって言われるとファンは嬉しいと思います。
その作品の中で南極周辺の海はすごく荒れているというエピソードがありましたが、板木さんが南極まで行くときの道中もそれほどすごい状況でしたか?
板木:「吠える40度、狂う50度、叫ぶ60度」というやつですね。この海域では強い偏西風が吹いていることに加えて、周囲にほぼ陸が無く摩擦が起きないので、風が弱まらず海が非常に荒れるんですね。
南極大陸に近づくほどさらに強い風が吹いているので、緯度を50度、60度と南に進んでいくと海の荒れ方もより強烈になっていくんです。
――「よりもい」では主人公たちがとんでもない船酔いに苦しんでいましたが、体調は大丈夫でしたか?
板木:それが、私が行った時はなぜか低気圧に当たらなくて(笑)甲板に波がバシャーみたいな衝撃映像を撮りたくてブリッジで待っていたんですけど、そんなことにはなりませんでした。
それでも船は結構揺れたので、乗っていた人の半分くらいは船酔いで部屋から出てこられなくなっていましたが、本格的に低気圧に出会っていたらほとんどの人が動けなくなっていたんじゃないかな。
ちなみに私は船酔いに強くて、そんな状況でも「全然平気」とアピールするつもりでいたので、あまり揺れなくてちょっと残念でした。

――日本から南極ってどのくらいかかるものなんですか?
板木:昔は日本から観測船に乗り込んで南極まで行っていたようですが、今はオーストラリア南部のフリーマントルまで飛行機を使って、そこから港に停泊している“しらせ”に乗船して出発します。ですので、途中の海域で調査したりせず、真っ直ぐ南極に向かったら大体2週間くらいで着くと思います。
――よく極域へ行く調査船は氷に囲まれて立ち往生するって話を聞きますけど、実際南極海は氷で塞がっていることが多いんですか?
板木:最初の氷山を見かけて数日経つと氷の海に到達します。そうなるとラミング航行といって、船を一度200〜300 m後退させてから全速前進して氷に乗り上げ、船の重さで氷を砕く、というのを繰り返して進んでいくんです。
氷がそこまで厚くなければ1日数十kmくらいは進めますが、揺れと音がすごくて24時間地震が起きているような感覚です。
あまりに氷が厚いとそれ以上進めず引き返すことになるのですが、当然バックして戻るわけにはいかず、船首を180度転回する必要があります。これも氷を割りながらになるのでUターンするだけで2日以上かかります。
――氷の間で身動きが取れなくなることもあるんですか?
板木:実際に閉じ込められて他国の船に助けてもらった、なんて話も昔はありました。
ただ、“しらせ”は厚さ1.5 mまでの氷海なら時速3ノット(時速5.6 km程度)で連続した砕氷航行が可能な、世界でもトップクラスの砕氷能力を持つ船なので、もし“しらせ”が動けなくなったら助けに来られる船はないでしょうね。

