極寒の南極生活は過酷だけど楽しい
――南極にはどのくらい滞在されたんですか?
板木:南極観測は、夏の3カ月間滞在する夏隊と、1年を通して滞在する越冬隊に分かれているんですが、私が参加したのは夏隊だったので、2019年11月に南極に向けて出発して2020年3月に帰国しました。
――南極の滞在場所というと昭和基地が有名ですが、ずっとそこを拠点にする感じなんですか?
板木:昭和基地にも数日間滞在しましたが、基本的には基地から出て調査をしていたので、キャンプをしながら野外で3週間ほど過ごしました。
昭和基地に滞在した時は、夏隊用の宿舎で過ごしました。居心地が良いとはいえませんが、無人の山小屋に似たような雰囲気がなんとなく懐かしい感じがして私は好きでしたね。
キャンプでは、ミーティングや食事スペース用の大きなテントの他に個人用のテントが割り当てられていて、そこで生活していました。

――南極のキャンプってどんな感じなんですか?
板木:発電機とかガスコンロは持参してました。食料と水は減ったら、無線の定時交信で“しらせ”からヘリで運んでもらっていました。
ただレタスなんかの新鮮な生野菜は手に入らないので恋しくなりましたね。そんな時に有り難かったのがリンゴで、「ふじ」のように長期保存に適した品種があって、4カ月経っても美味しく食べられました。これにはちょっと感動しました。
あと、個人的にビールを1日3本換算として360本くらい持ち込んだんですけど、仲間にも分けたりしているうちに思ったより早く減っていって、最後の1カ月あたりは枯渇したのが地味に困りましたね(笑)
――そう聞くとほんと登山やキャンプの延長みたいで楽しそうですね。
南極って通信環境はどうなっているんですか? 滞在中、家族と連絡は取ったりすることはできるんですか?
板木:家族と連絡はほぼ取れなかったです。僕が行った当時、衛星電話はありましたけど結構お金がかかりましたし、インターネットもつながりはしましたが、かなり制限があってネットで動画の再生は厳しい状況でした。
――先程の映画の話もそうですが、南極基地では閉鎖された環境で隊員が精神的に参ってしまうという問題を見かけますが、外部との通信も限られていると、精神的にキツくなったりしませんでしたか?
板木:私は楽しかった記憶しかないですね。
越冬隊だと一年半と期間が長い上に、冬は極夜で太陽が昇らないので、かなり精神的に辛い状況になるようですが、私は夏に行ったので白夜で太陽も一日中出ていたし、毎晩仲間と飲んで、まるで大学の寮生活みたいですごく楽しかったです。
それから、ペンギンにはかなり癒されました。南極のペンギンは人を知らないから怖がらずに好奇心で近づいてくるんです。作業している横に10羽くらいでゾロゾロやってくるのがもう可愛くて。
群れで移動中に1羽遅れたらそいつをきちんと待ってから進んだり、親ペンギンが子ペンギンの世話を一生懸命したりしている姿を見ると、こうやって彼らは厳しい自然の中で生きているんだなと感心して、一気にペンギンのファンになりました。
ただ、営巣地付近は糞がものすごくて凄まじい臭いでしたね。それはちょっと幻滅しました(笑)
――動物園ですらすごく臭いですし、それは確かに現地に行かないと感じられない事実ですね。他にも南極ならではのエピソードや珍事件ってありましたか?
板木:そうですね、アザラシのミイラが陸上の至る所に転がっていた……とかでしょうか。
アザラシは体に油が多いことに加え、南極が低温かつ乾燥しているため、分解者となる微生物が少ない環境なのでミイラ化しやすいんです。陸上の調査で歩き回っていると、あちこちでアザラシのミイラを見かけるんです。
以前にこれらのミイラがいつのものか調べた研究者がいるそうですが、ほとんどが2,000〜3,000年前のものだったそうです。私たちが見たミイラもそのくらい古かったのかもしれません。びっくりですよね。

南極の海底堆積物から地球の歴史を解き明かす
――南極の面白いエピソードを色々聞いて来ましたが、ここからは板木さんが南極で行っていた研究のお話を聞いていきたいと思います。
南極の海底堆積物を調査していたというお話も出ましたが、板木さんが南極で行っていた調査というのは、具体的には何を調べる調査だったんでしょうか?
板木:地層を見ると、それぞれの時代に地球の環境がどうなっていたかを知ることができます。南極の海底堆積物を調べると、南極の氷床が時代ごとにどのように変化したかが理解できると期待されているんです。
氷床の変化は地球全体の海面変化に影響するので、これからどんどん氷床が融けていくとなれば日本の沿岸が削られるなど世界的な影響が出てくるでしょう。
こういう誰もが聞いたことのあるような予想はシミュレーションで行うんですが、過去に気温が上昇していた時代の氷床の状況などが詳しく分かれば、今後温暖化が進む私たちの時代で何が起きるかも上手く予想できるようになるかもしれません。
私たちはこういうことを“システムを理解する”と言うんですが、こうした将来予想のための材料を提供していくのが大きな目的です。
――確かに現在起きている問題として、温暖化の影響で南極大陸を覆う氷の塊(氷床)が減っているという話はよく耳にしますね。
板木:1つ注意しないといけないのは、現在の南極の氷床の変化が温暖化で起きているのか、もっと他にも要因があるのかははっきりしていないという点です。
氷床の増減は衛星で継続的に南極の標高を計測して判断しているんですが、標高データだけでいえば、西南極ではどんどん氷床が融けて減少しているのに、逆に昭和基地がある東南極では増加しているように見えるんです。
氷は海水が蒸発して発生した水蒸気が内陸に運ばれて、雪として降ることで形成されます。数年に一度ドカ雪が降ることもあって、それが観測データに影響してるんじゃないかと考える研究者もいます。
いずれにせよ、氷床の変化というのは南極で一様ではなく、温暖化の影響で南極の氷がどんどん融けているかは観測からはまだ断定できていない状況です。

――南極の氷床って減っているばかりと思っていましたが、場所によっては増えている可能性もあるんですね。
氷が形成される仕組みから考えると、今後、地球の気温が上がれば海水の蒸発が増えて、その分雪が大量に降って、どんどん氷床が増えていくこともあるのでしょうか?
板木:実は数百万年前に地球が現代よりもずっと暖かかった時代があって、その時は氷床がかなり厚かったというモデルも発表されています。このモデルのような好条件が重なれば、あり得ない話ではないでしょう。
そういう問題をはっきりさせるために、氷床がどういった海水温や気温ならどういう状態になるかというデータを過去の記録から示して、それと一致するようにシミュレーションを作っていくことが大切なんです。
――こうした地層はどのくらいの量を調査して、どのくらい昔のことまでわかるものなんですか?
板木:海底堆積物は、我々が海底コアと呼ぶ柱のような形で採取してくるんですが、堆積速度の遅い場所だと、水深800 mの海底で採取した2 m程度の海底コアから、約1万年分のデータが取れたことがあります。

――2 mで1万年分も地球の変遷がわかるんですね。具体的にはどうやって地層から過去の状況を理解するんでしょう?
板木:そうですね、例えば、石ころの地層から泥の地層に変化している海底コアがあったとします。
まず、石ころの地層について考えてみましょうか。この石ころというのは、南極では氷河が大陸を削って運ばれてきたものなんです。つまり、石ころを多く含む地層が形成された時代は、南極の氷河がこの海底コアの採取地点付近まで張り出していたと考えられます。
次に、泥の地層について考えてみます。この地層を顕微鏡下で観察すると、珪藻や放散虫など微生物の化石(微化石)を大量に含むことがわかります。微化石が沢山みられるということは、この時代はプランクトンなどが繁茂するような豊かな海だったことが読み取れます。
つまりこのコアを採取した地点は、石ころの地層の時代には、南極沿岸にせり出した棚氷が広がっていて、その下の海中には太陽光が届かなかった。だけどその後、気温上昇など何らかの原因で氷床が後退し、太陽光が海中に差し込むようになって微生物の繁殖が活発化して、泥の地層の時代に移行しただろうと推測できるんです。
地表の状況推測に関してこれはほんの一例で、もうちょっと難しいことを言うと、堆積物試料表面にX線を照射して元素濃度変化を測定したり、アイスコアと呼ばれる陸地の氷を地層のように取り出した試料と比較したりと、実際はさまざまなアプローチで解析しています。

特に南極は地球のシステムを理解する上で重要な場所です。
とはいえ、一つの地域でわかることは限られているんですよ。だから、南極以外の地域から色々な痕跡を調べることで、ようやく地球全体で何が起きていたのかわかってくる。私の研究はそのための断片を集めている段階なんです。
――まるで探偵ですね。
板木:まさに! 地質学者って探偵なんですよ。

