南極の海底掘削はどのように行うのか?
――今回の研究のお話は海底掘削という作業が特に重要でしたが、海底の掘削ってどうやってやるんですか? 地質調査などは重機を使ったボーリングのイメージがありますが、深海にそういう重機は持ち込めないですよね。
板木:海底堆積物の採集は、大口径グラビティーコアラーと木下式グラブ採泥器という機材を使用して船上から行うんです。
大口径グラビティーコアラーというのは重量約600 kgもある重たい機材で、ざっくりいうと、錘の付いた巨大な鉄パイプみたいなものです。これを船の甲板から下ろして、ズブって海底に突き刺すと、堆積した泥を柱状に採取できるんです。
それから、木下式グラブ採泥器っていうのは、主に海底の表層付近の堆積物を採取するための機材です。これはショベルカーのショベル部分を2つ使ってハサミのようにしたもので、海底の泥を掴むようにして採集します。
――最初に南極で調査をするために、いろいろと準備期間を使ったってお話がありましたが、南極ならではの工夫などもあったんですか?
板木:大口径グラビティーコアラーは通常、天秤みたいになっていて錘が着底すると天秤部のトリガーが外れて採泥部が自由落下し、海底に貫入する仕組みになっているんです。
でも、南極の場合、海面の流氷に当たって誤作動する恐れがあります。600 kgもある機材が、氷に当たって誤作動してしまうと空中で外れてかなり危ないので、今回は天秤の部分を外して機能させるように工夫しました。
他にも機材が凍結しないよう、ヒーターを使ったり、調査前にお湯で凍結部を溶かしたり、凍結対策が大変でしたね。
ただ南極ならではの利点もあって、海氷がしっかりと張っていれば、海氷に船を固定して作業ができ、波浪の影響も受けないので、船の定点維持が比較的容易ということもありました。

――状況を聞くと、やはり厳しい環境での調査はいろいろと大変なんですね。
陸上でもキャンプをしながら調査をされていたとおっしゃられていましたが、陸の調査というのはどういうものだったんですか? 3週間もキャンプしながら調査したということでしたけど。
板木:湖の中にある海底コアをボートに乗って採取していました。
――え? 湖から海底コアが採れるとはどういうことですか?
板木:実は南極には、昔は海だった湖が存在するんです。
氷床というのは非常に重たいので、氷床が拡大するとその重さで地殻が沈んでしまうんですが、氷床が縮小すると今度はその重さから解放されて地殻が隆起してくるんです。
氷床の下にある南極大陸は、大半が現在の海面の高さよりも低くなっているので、地殻の隆起により元々海だった所が湖になったりします。
だから、場所によっては、約2万年前には氷床の下にあった地面が、約1.5万年前に氷床の融解で湖になって、また約7千年前に海面上昇で再び海に沈み、現在は氷床の縮小による地面の隆起で湖に戻っている、なんてことが起きます。

なのでここに溜まった泥からは、海と湖両方の痕跡があって、変化したタイミングを調べていくと、いつから海でいつ湖になったかなどがわかります。
こうしたデータを利用することで、精度の高い環境変動予測モデルを作れるんです。だから、非常に注目度が高く、今、南極のあちこちで研究しているところです。
――この調査をしている様子の写真って、不安定なボートに機材を立てていて見るからに怖そうですね。
板木:結構怖いです(笑)作業に夢中になっていると、いつの間にか風向きが変わって外からバーっと氷が入ってきて、氷に囲まれて帰り道がなくなることも。
でも、調査に使うボートはゾディアックボートという特殊なボートで、一部が破損しても他の部分に影響しない設計になっています。しかも、舳先を氷に乗っけて自分の体重をかけることで、砕氷船みたいなことをやって道を作りながら進めます。
なので、帰り道がなくなっちゃったら、山の上から監視している調査員からどのあたりの氷が薄そうか指示をもらって、自分で氷を割りながら帰ってきます。

――ええ? 人力砕氷船ですか。恐ろしい調査ですね。
板木:本当に危なかったのだけど、さっき話したように元々探検が好きだから、むしろワクワクしました。
――そう聞くと本当にこのお仕事が向いてらっしゃいますね(笑)
こういう調査の資料写真って良い天気で撮っている物が多いですが、実際は結構天候って荒れているんでしょうか? 南極というと荒れた天候のイメージがありますが。
板木:私が行ったのは夏でしたが、それでもブリザードが来ることはありました。
さすがにブリザードが来たら調査を中止してテントの中で待機するしかないです。テントが潰されかけたり、固定していたロープが切れたりといったトラブルもありましたね。
ただ、キャンプ地は内陸寄りなので、昭和基地がある沿岸よりは気候が穏やかで、命の危険を感じるほどではなかったです。
夢を叶えるのに遅すぎることはない
――近年、南極氷床の融解と世界の海面上昇が想定上の速さで進んでいるといわれていますが、この問題に関して現時点でどのようなことがわかっているのですか?
板木:実は、今凄い勢いで南極の氷を融かしている犯人は海水なんですよ。
一見南極大陸って海水面の上に出ているように見えますけど、見えているのは氷床で地盤は海底にあるんです。この氷床が海水面に迫り出したのが棚氷で、海に浮かんでいる状態になっています。
この棚氷と地盤の間に大西洋から暖かい海水が流れ込んでくると、棚氷をどんどん融かし、棚氷がバリッと折れて外海へ流れ出してしまう。すると、また新たな氷床が迫り出してきてまた棚氷ができ、それも暖かい海水の流入で融けて…というのがどんどん繰り返されていくんです。
1万年前にも氷床が一気に融けていたことがわかっているんですけど、どうもその時も暖かい海水が入り始めたことが原因だっていうのが段々わかってきたんです。
現在は、かつては仮説だったものが、ようやく暖水の影響で氷床の融解が進んでいたと明らかになってきた段階です。
これかどんどん加速する可能性があるのか、もしかしたらそうじゃない可能性があるのか、それを明らかにするのが次のステップというところです。
――研究が進んできたとはいえ、地球環境についてまだまだわからないことが多いんですね。
板木:そうですね。ただ、やっぱり正確な将来予測をするためのデータを提供するという我々の最終目標は変わりません。
世界で初めて温暖化の数値計算を行なってノーベル物理学賞を受賞された真鍋淑郎さんの研究のように、環境変動の予測はコンピュータを使った数値によるシミュレーションが王道なんですけど、そこに入れる境界条件となるようなデータを提供したいです。
過去に起きた事実をもとに、こういう条件ならどういうことが起きる、という指標にしてもらえるような研究成果を出していきたいと思っています。
――本日は大変貴重なお話をありがとうございました。最後に、南極での経験を通して感じたことをお願いします。
板木:49歳の時、ようやく南極に行くという夢が叶い、正直自分にびっくりしました。
49歳になってもこんだけ夢をもてるんだって。よく「大人になったら夢なんてなくなっちゃう」みたいな話がありますけど、あれは嘘で、別に年齢なんか関係ないんだと。
だって、大学生の時に叶わないだろうと思った夢が50歳近くになって実現できたわけですから。夢はずっと持ち続けるもんだなと改めてそう思います。

研究者というと難しいことをしている、一般とは縁遠い人という印象を持つ人は多いかもしれません。
しかし、今回お話を伺った板木さんは、高校生の頃探検家に憧れて、南極へ行く夢を抱き、そこから地球の自然環境対する研究の道に進んだ研究者でした。
その研究活動も、聞いているとまさに探検家。世界の海を航海し、世界の果ての南極でキャンプをして、太古の地球の姿を探り、明らかにしようとしています。
今回お話を伺った2日後にも、また調査船に乗って1カ月以上の航海に出るそうで、港に寄ったときしか連絡つかないかもと笑っていました。
自分の興味を抱いた世界を深く探る研究者の世界というのは、そんな様子を見ていても非常に魅力的に感じられます。
近年では、南極の氷床の融解が大きく報じられるなど、環境問題に対する関心が高まっています。
一方で、環境問題はあまりにもスケールの大きな話で、どこから興味を持って、どう関わっていけば良いのかわからない、という側面もあります。
しかし、今回の南極の海底堆積物に関するお話のように、地球環境の変遷から辿ってみると意外な発見も多く、地球環境についてもっと知りたくなるかもしれません。
また、このように様々な環境変動が解明されてきた背景には、長い年月をかけて研究を行い、地球環境という壮大なテーマに挑んできた研究者たちの功績があることを忘れてはいけません。
ますます将来の地球環境予測の精度が向上すれば、それに基づき、環境問題へのより効果的な対策も可能となるかもしれません。
生命を支える地球環境に対する理解をもっと深めていけたらいいですね。
南極調査の特別展
地質標本館 特別展「南極の過去と現在、そして未来—研究最前線からのレポート—」
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ライター
門屋 希実: 大学では遺伝学、鯨類学を専攻。得意なジャンルは生物学ですが、脳科学、心理学などにも興味を持っています。科学のおもしろさをわかりやすくお伝えし、もっと日常に科学を落とし込むことを目指しています。趣味は釣り。クロカジキの横に寝転んで写真を撮ることが夢。
編集者
産総研マガジン編集部: 日本最大級の国立研究機関、産業技術総合研究所。通称:産総研。ぶらぶら歩いてその土地の地質を紹介する番組に出演したり、腰の筋トレに役立つ「あえて歩きにくい靴」を運動靴メーカーと共同開発したり。「さんそうけん」の名前を知らないあなたの身近にも、すでに研究成果が生かされている…そんな研究所です。

