待望の第二巻が刊行となった北方謙三さんの『森羅記』。
今回のゲストは、『チンギス紀』の文庫解説でも北方作品について熱く語ってくださった俳優・美村里江さん。
美村さんが読み解く『森羅記』の魅力とは――?
惹かれるキャラクター、好きな表現、演じてみたい場面、そして、共通の趣味である海釣りの話題まで。
縦横無尽に広がるおふたりのトークをご堪能あれ。
構成/砂田明子 撮影/藤澤由加 ヘアメイク/白川いくみ (美村担当) スタイリスト/渡辺実希 (美村担当)
こんな付箋を見たのは初めてです
美村 役者の仕事はほとんど緊張しないのですが、今日は緊張しています。昨日からそわそわしていました。まず私から、感想をお伝えしてよろしいでしょうか。
北方 お願いします。
美村 『森羅記』第二巻、すごく楽しく拝読しました。先生があるインタビューでおっしゃっていましたが、『森羅記』は群像劇であると。その言葉のとおり、登場人物一人ひとりに大きな存在感があって、一冊とは思えないボリューム感、満足感でした。
もう一つ嬉しかったのが、「海」が主人公として出てくることです。私は海なし県の埼玉育ちなので、海への憧れが強いんです。海釣りも大好きで、船乗りに憧れてもいます。『森羅記』を読みながら、海に癒やされたり、美味(おい)しそうな海の幸を食べたくなったり、海をいかに制するかを考えるのが楽しくて。だから、先生が最後の長編とおっしゃるこのシリーズは、集大成にして最大濃度。すごい! と思って読んでいたら、付箋がこうなってしまいました。
北方 ありがとうございます。いろんなかたと対談をしてきましたけど、目の前でこんなに多くの付箋を見たのは初めてです(笑)。
美村 ちょっと恥ずかしいので減らそうと思ったのですが、なかなか減らせなくて。付箋は色分けしてあるんです。文章として素敵だなと思った箇所に「緑」、帝王学などの知らなかった知識や感銘を受けた哲学的な言葉には「青」、役者として演じてみたい場面や表現に「オレンジ」、そして美味しそうなものに「黄色」です。緑の付箋が切れて、途中で紫に変わったりもしていますが。
北方 この付箋は大変なものです。美村さん、評論家になれますよ。それから感想を伺って、おのずと作品の本質を摑んでおられると思いました。
美村 本当ですか?
北方 この先、私は元寇を書きます。元寇は、ほとんど陸上で戦っていません。海の上で敵を迎え撃ち、撃退する。だからこれは海が主役の物語なんですね。
美村 合ってた。嬉しいです!
北方 それから元寇は大陸からやってくるわけですが、大陸にはたくさんの民族がいます。対する日本はそうではないんだけど、この時代、陸奥(むつ)の山奥とか九州の端っこで生きている人間は、「日本人」という意識を持っていません。戦うために日本を一つにすることが、北条時宗(ほうじょうときむね)の課題になるんです。二巻では時宗はまだ子どもで、父の時頼(ときより)が中心ですが。
美村 なるほど。それで日本という言葉や、日本人を意識させるシーンが何度も出てくるんですね。
北方 しつこく書いています。
美村 『チンギス紀 八 杳冥(ようめい)』の文庫解説にも書かせていただきましたが、私は先生をサービス精神の塊だと思っています。読者にとっての読みやすさをとことん考え抜かれていて。読者が物語の旨みの根本を味わえるように、いいところでガイドを入れてくださるし、息継ぎのしやすい文章はさくさく読めて、長編であることを感じさせません。とくに印象的なのは、戦闘シーンこそ、文章が短くなることです。
北方 努力しましたよ。最初は長い文章を書いていたんです。だけれども、「風が変った」の一言で、読者はその場を想像できるんじゃないかと。
美村 はい。情報量が多いと、戦(いくさ)というものに疎い私のような読者には、かえってわかりにくくなるように思います。紙芝居のように潔く場面転換していく先生の戦闘シーンには、ちゃんとついていけるし、何よりカッコいいんです。
北方 何十年も戦の場面を書いてきたから、習熟したのかもしれない。
美村 ほんとうに、先生はずっと大長編を書いてこられて尊敬します。
北方 書くというのは不思議なことです。友人の作家・船戸与一は、『満州国演義』の一巻を書いたところでがんになったんです。あと一年と余命宣告を受けて、抗がん剤をやりながら書き続けるんだけど、二巻を書き、三巻を書いてもまだ死なない。ほとんど緩みなく最後の九巻まで書き上げたところで、炎がすうっと小さくなるように亡くなりました。その姿を見て、小説の神様はいるんだな、と思いました。俺にもいるのかな。そうしたら、『森羅記』を書き終わるまで死なないで済むなと思っています。
勝敗にもいろんな色がある
美村 長編を書いていると、こうする予定じゃなかったという展開になったり、内容的な矛盾を回避するために仕方なく出した人物が、妙に人気が出るといった不思議な流れに乗ることがあると、以前、ある小説家のかたにお聞きしました。北方先生にもそういうことはありますか。
北方 私の場合は全部そうです。たとえば『水滸伝』のはじまりで、群衆をどう表現するかを考えたんです。たくさんの人を描写するのではなく、〈頭ひとつ、出ていた〉と書きました。そこから乗っちゃって、十九巻、最後まで変なところに行きっぱなし。でも、そのほうがいいような気がします。
美村 最近一緒に仕事をした映画のプロデューサーに、「今度、北方先生と対談するんです!」と自慢したんですよ。そうしたら「いいですね。僕は北方先生の本の頭の一文と、終わりの一文を、毎回メモしています」と言っていました。
北方 そういうことをしてくれる人がいるんですね。
美村 あらためて冒頭と最後の一文を読み返すといい文章ばかりですが、〈頭ひとつ、出ていた〉は私も印象に残っています。それ以来、背の高い人を見ると注目する癖がついてしまいまして(笑)。
物語の登場人物でいうと、私は右腕キャラや参謀役に憧れるんです。子どもの頃、「キユーピー3分クッキング」のアシスタントをじっと見ていたんですよ。この人は料理家の先生をサポートしながら、カメラマンやスタッフと目を合わせて時間通りに進行している。現場で何もかもわかっているのはこの人だ。こんな大人になりたい、と思っていたので、どの物語を読んでもリーダーの隣にいるような人に惹(ひ)かれるんですが、先生の物語は、どんな人にも人間的な弱さや、ぽろっと零(こぼ)れ落ちるほころびがありますよね。二巻ではクビライや時頼の寂しさも描かれていて、だからみんなに興味が湧いてしまうんです。
北方 意図して書いているわけじゃないですよ。作者の私が生殺与奪の権利を持っていると思われがちですが、持ってないんです。小説を書くってつまり人を書くわけだから、書いている間にそいつが立ち上がってきて、自分の性格なり感覚なりを身につけていきます。そうすると、作者にはどうしようもなくなっちゃうんですよ。
美村 人間は調子がいいときよりも、どん底のときに真価がわかるとよくいわれますけど、その通りだなと先生の本を読むと思います。『チンギス紀』でも、負けた男たちのその後が味わい深くて。
北方 私は負けてばかりの人生でしたからね。勝って輝くということは全然考えないんです。ただ、敗者といっても、『チンギス紀』では、戦いに負けた後、南方に逃れて、惚(ほ)れた女と一緒に大商人になる男を書きました。そうすると、そいつは勝者かもしれない。勝敗にもいろんな色があるんだろうと思いますね。
美村 そうですね。人生において勝ち続けるなんてないから、多くの負けと、ちょっとの良きことというか、勝ちと考えてもいいのかな、という解釈的な勝ちが重なりあうのが人生なのだと、小説に教えられています。

