
バルサを4発粉砕したアトレティコの元フランス代表FWは“古き良き10番”を現代に蘇らせた「アナログな怪物」だ【現地発コラム】
フットボールが、誰にも理解しがたい「サイコパス」であることは、我々も随分前から承知している。だが、その証拠を目の当たりにするたび、やはり信じられない思いに駆られる。アトレティコ・マドリーは、敵地でベティスに5点(5-0/コパ・デル・レイ準々決勝)を叩き込んだわずか3日後、今度は本拠地でその同じ相手に0-1(ラ・リーガ第23節)で敗れた。そしてさらにその4日後、前半だけで瞬く間に4ゴールを積み上げ、バルセロナを粉砕(4-0/コパ準決勝第1戦)したのだ。
そこには運も審判も、介入の余地はなかった。バルサは、不屈で断固たる、そして容赦のない集団の犠牲となった。胸ぐらを掴まれ、45分間、一瞬たりとも解放されなかったのだ。
同時にバルサは、「超越した才能」の犠牲者でもあった。今シーズン序盤、メトロポリターノの庇護のもと、アトレティコがマドリードダービーを5-2で制し、その後のシャビ・アロンソ・マドリーのサイクルの終焉を予見させたのは記憶に新しい。そして今、フリック・バルサが、最も苦い夜を味わう番が来た。これほどの結果を残しながら、アトレティコは首位と勝点13差(2月14日時点)の位置に甘んじている。この不条理そのものがフットボールの神髄なのだ。
試合の本質に目を向けよう。サイドラインでは父シメオネが、風車の羽根のように腕を振り回し、選手には献身を、ファンには熱狂を求めていた。ピッチでは息子シメオネが、バルサが献上した広大なスペースを、ピストンのような両脚で突き進んでいた。
しかし、チーム全体が「地獄のような奔流」を加速させていく真っ只中で、ただ一人、静寂と理性を保ち、プレーに意味と調和、そして美しさを与えていた男がいた。元フランス代表FWのアントワーヌ・グリーズマンである。
この「新しいグリーズマン」こそ、現代のフットボールを分析するための格好の題材だ。それは、かつて我々を魅了した「古き良き10番」を現代に蘇らせるような体験である。デジタル化された現代フットボールの渦中に、最良の形で侵入した「アナログな怪物」。
私は今のフットボールが「クズだ」と言いたいわけではないが、そう吐き捨てたくなる日に、グリーズマンのような存在が私をフットボールの本質と和解させてくれる。情熱が全てを支配して加速する時、解決策は想像を絶するスピードで彼の脳内を駆け巡っているはずだ。だが、その両足は、クラック(名手)特有の静寂を纏い、それらを優雅に具現化してみせる。
そのプレーを支えるのは、左右や背後までも同時にキャンバスに描く「キュビスム的な視線」であり、腰の動き一つで時間の流れを操作する特殊な感覚だ。そして、他者が想像だにしない空間の機微を、数センチ単位の精度で読み解く知性も欠かせない。
監督シメオネが課す厳格な台本を、グリーズマンは規律と献身を持って遵守する。もっとも、彼が観客に届けるのは、自身の優雅さとインスピレーションによって昇華されたフットボールだ。それは指揮官のプランを裏切るのではなく、そのキャンバスをより豊かな色彩で彩る行為なのである。
オペラのように圧倒的だった前半が終わり、第2幕が残されていた。だが、アトレティコはすでに疲労と実利的な責任感によって、おとなしくなっていた。自らリズムを落としたのだ。指揮者としてのシメオネにとって「1ゴール」が宝物であるならば、4点のリードを持ってハーフタイムを迎えた時、彼は不測の事態を防ぐためにその宝を金庫へ仕舞い込み、鍵をかける。その冷徹なまでのルーティンは、彼の魂に刻み込まれているものだ。
では、バルサはどうだったか。何をやっても上手くいかない日というものは、確かに存在する。そんな時は潔く負けを認め、盤面を片付けるべきだったのかもしれない。しかし、今シーズン、多くの試合で露呈してきた「守備の脆弱性」が、アトレティコ戦では逃げ場のない重圧となって彼らを襲った。
こうした敗北から受ける傷は二重だ。ミスが今に始まったことではないという絶望、そして自信の喪失がさらに「診断結果」を悪化させるからである。
この準決勝の第2戦は3週間後だが、昨今の過酷なカレンダーにおいて、それは「1世紀」にも等しい時間だ。唯一確かなのは、その時が来ても、フットボールという競技がこの「狂気」から治癒していることはない、ということだ。認めざるを得ないが、この狂気こそが、フットボールには何よりも似合っている。
文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳●下村正幸
【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。
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