足立区竹の塚にある洋食店。とはいえ、コック帽のおじさんが白いクロスを敷いたテーブルにハンバーグを提供するのではない。キャップ+ラグランT姿の太田洋平さんが、絶品ハンバーグを提供する。すこぶる居心地のいい店なのだ。

造り込んだ内装の中で、作り込んだハンバーグを。
東京足立区・竹の塚といえば、「やんちゃでワイルドな下町」というイメージが強かったはずだ。
それがどうだ。
数年前からの再開発で竹ノ塚駅は木とガラスを使ったモダンな駅舎に様変わり。近隣に新築マンションも建ち始めた。商店街や公園が多い元々のポテンシャルとあいまって、今や「沿線の住みたい街」ランキングの上位に居すわる。
『キッチンエレファント』は、そんな新しい竹の塚を象徴するような店かもしれない。
駅前から続くけやき大通りを歩いて10分ほど。ダートラ仕様のSRが停まるその店は、カラフルな木の壁とポップなレタリングで彩られた洗練されたダイナーに見える。しかし、そんな空間で提供されるのは、目玉焼きがのったハンバーグやサクサク衣のメンチカツ、さらにナポリタンといった日本が誇る洋食メニューだ。
かわいくポップな店内で絶品の洋食がいただけるとあって、近隣のファミリーに大人気。北は北海道から、南は沖縄まで、遠方から訪れるお客さんもいるらしい。
「ありがたいです。ただ実は僕自身は生まれも育ちも竹の塚。やんちゃでワイルドな友達も多い。みんな優しいですけどね」とオーナーシェフの太田洋平さんは言う。
「そして友達がいたからこそ、今、オーナーをしていられるんです」
高校時代にはじまったスケートとバイクと料理。
1986年、竹の塚で生まれた太田さんはとにかく地元好きの少年だった。地元自慢の公園の多さは絶好の場。放課後にはいつも皆で集まってダベった。高校になるとスクーターで公園へ向かった。
「ただやんちゃな不良とは少し違った。ボクはキャラが違うなと」
90年代後半。ハイスタに象徴されるようなスケートボードやパンクなどのストリートカルチャーにハマった。今度は公園でスケボーを持ちより遊んでいたからだ。
同じころ、料理も始める。きっかけは母親が倒れたことだった。
「脳梗塞でした。左半身が動かなくなった。母と姉と3人暮らしでしたからね。生活費を姉ちゃんと自分で、ある程度稼がないと」
食堂、焼肉店、イタリア料理店などでバイト。料理が好きだったのじゃなく、賄い目当てだった。
「ただイタリアンのシェフに『筋が良いから外で勉強したら』と言われ料理の道へ。若い頃ってホメられると調子にのりますからね」
一番の親友に何度も「早く独立して、自分の店出せよ!」と言われていたことも後押しになった。
就職先は六本木の『ニコラス』。1954年創業の日本初のアメリカンピザの老舗だった。ココで料理の基礎を改めて学んだ。
「トマトソースもバジルと塩胡椒しか入らないシンプルすぎるほどのレシピ。でもしっかり火加減と塩梅で、旨さを出すんですよ」
2年後には日本橋のオフィス街にあるホテルレストランへ転職する。ピザ以外の料理も学びたかったから、そして日曜祝日が休みだったことが理由だった。
「やっぱり日曜くらいは、地元の友達と遊びたかったんです」
独立は考えていなかった。変わらずうまい料理をつくり、変わらず地元で遊べればいいと思った。
しかし27歳の冬に方向転換する。地元の友達が交通事故で亡くなった。「自分の店を出せ」としつこかったあの親友だった。
「なんかね。『やるしかないな』と急に感じ始めた。人の人生は突然終わることもある。なら好きなことやらなきゃな! と決めた」