
「ペレもできなかったゴールを決めた男」が話題!「G・ジェズスの再来」も出現したコピーニャ2026【現地発】
毎年1月にサンパウロ州各地で試合が行なわれ、サンパウロの市制記念日である1月25日に市営スタジアムで決勝を戦う20歳以下の全国大会がある。
コパ・サンパウロ・ジュニオール、通称コピーニャ。毎年実施されている1969年創設のコンペティションで、今年が69回目。過去にはカカ(当時サンパウロ)、ネイマール(当時サントス)、ヴィニシウス(当時フラメンゴ)らが出場している。ご存じの通り彼らはその後、世界的なスター選手へと成長した。
日本人では、カズ(三浦知良)が85年にキンゼ・デ・ジャウー(サンパウロ内陸地のスモールクラブ)、86年に名門サントスから出場している。
過去には日本のチームが参加したこともあった。94年に名古屋グランパスが、95年にU-20日本代表が、96年にヴェルディ川崎が、そして2014年に柏レイソルが出場。最初の3チームはグループステージ(GS)で敗退したが、柏は見事なパスワークを披露してGSを2勝1分けで突破。ラウンド・オブ16へ勝ち上がって賞賛を集めたが、この大会で優勝したサントスの前に敗退した。
今年は128チームが参加し、4チームずつ32グループに分かれて総当たりで対戦。各組の2位までが勝ち上がり、以後はノックアウト形式で戦った。
決勝はクルゼイロとサンパウロの対戦となり、クルゼイロが2-1で勝って19年ぶり二度目の優勝を飾った。
出場した選手の総数は4000人近く、その中から大会MVPに選ばれたのがクルゼイロのフ ェルナンド(18歳)だ。
この大会では主にCFとしてプレーしたが、攻撃のあらゆるポジションに対応する。スペースへ動いてボールを受け、重心の低いドリブルで突破し、精巧なスルーパスを通し、強烈なシュートを放つ。右利きだが左足でも頭でも点が取れるオールラウンド・タイプのアタッカーだ。
4得点を挙げて優勝に貢献し、地元メディアから「ガブリエウ・ジェズス(現アーセナル)の再来」と称えられた。
大会終了直後の2月2日、サンタ・クララ(ポルトガル)に移籍した。かつて日本代表MF守田英正(現スポルティング)が在籍したクラブだ。
もう一人、強烈な印象を残した選手がいる。7試合に出場して6ゴールを挙げ、RBブラガンチーノのジュアン・ヌネスとともに大会得点王に輝いたサンパウロのパウリーニョ(20歳)だ。
パワフルだが繊細な技術を備えるCFで、ゴールの嗅覚が独特。思い切りも良い。パウリーニョは「ペレでもできなかったゴールを決めた男」として話題を集めた。
準々決勝のボタフォゴ戦、サンパウロの1点リードで迎えた試合終盤だった。CKのチャンスを掴んだボタフォゴは、GKを最前線に上げた。すると、味方のクリアボールを拾ったパウリーニョは、無人のゴールに70メートル近い超ロングシュートを決めたのだ。
このゴラッソに、地元メディアは大いに沸き立った。
1970年W杯のGSチェコスロバキア戦で、ペレは相手GKが前に出ているのを察知。中盤でボールを受けるや否や、シュートを放った。GKが必死の形相で背走したものの到底追いつきそうになかったが、しかし、ボールは枠の左に外れた。以来、ブラジルではこのような超ロングシュートを決めた選手を、「ペレでもできなかったゴールを決めた男」と呼んで称賛する。
今後、この二人がいかなるキャリアを歩むのかをじっくり見守りたい。
文●沢田啓明
【著者プロフィール】
1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。1955年、山口県出身。
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