
ヴィニシウスへの人種差別疑惑にマドリーのレジェンドが私見 同胞選手の行為を擁護したベンフィカは「良識あるクラブとして歴史に名を刻む絶好の機会を逃した」【現地発】
今、我々は人種差別という病理が、スタンドからピッチへと降りてきた——そんな一週間の渦中にいる。レアル・マドリーのヴィニシウス・ジュニオールが、ピッチ上で浴びせられたとされる言葉が波紋を広げているのだ。
「選手とは、ピッチでプレーするファンの一人に過ぎない」とはよく言われるが、両者が属する領分は似て非なるものだ。スタンドは、理性をかなぐり捨てるにはこれ以上ない場所である。そこでは過剰な熱狂が伝染し、罵倒が公然と許され、匿名性という盾が悪用される。
しかしピッチは違う。こちらでは無数のカメラが「表現者としてのあなた」を射抜き、対峙する相手は敬意を払うべき同業者だ。そこに伴うのは、衆人環視に身を置く者にふさわしい、固有の社会的責任である。
問題の本質は、ユニホームの陰に隠された「人種差別的な侮辱」の嫌疑——事実であることに疑いはないが、立証する術もない——が、フットボールをそのあらゆる矛盾に直面させたことにある。ベンフィカという集団は、ただ暴言の主とされるジャンルカ・プレスティアンニが「身内」であるという一点において、一丸となって彼のユニホームの背後に身を潜めた。
現場の指揮官からクラブの頂点に立つ会長に至るまで、彼らは、自らのアイデンティティと利益を守るために、知性を捨てて「部族の一員」として思考することを選んだのである。
私自身、この一件に直接の利害関係があるわけではない。だが、純粋な「アルゼンチン人としての業」ゆえに、このテーマを論じることに言いようのない重圧を感じている自分に気づく。プレスティアンニは、ナショナリズムという最悪の共犯関係において結ばれた、いわば「私の身内」なのだ。それは、フットボールが結局のところ「小さな祖国」の域を出ないことを示す、不健全な感情のスイッチである。
もしこれがフットボール固有の病理ではなく、人間という存在そのものが露呈した事件だとしたらどうだろうか。 心理学者のギュスターヴ・ル・ボンは、名著『群衆心理』の中で、非常事態において人々がいかに「文明の階段を数段降りてしまうか」を説いた。
対照的に、近年、歴史家のルトガー・ブレグマンは『希望の歴史』において、人間の寛大で連帯的な精神を揺るぎない証拠と共に示し、ル・ボンに異を唱えた。
......果たして、両者ともに正しいということはあり得るだろうか。
私は好んでこう言う。「映画館へ行く人間は、スタジアムへ行く人間よりも知的だ。たとえそれが、全く同一の人物であったとしても」と。 ル・ボンの正しさを証明したければ、スタジアムへ足を運び、愛するチームのために容易に暴走する感情へと身を投げ出す、数千の群衆に混じってみればいい。
一方でブレグマンに同調したければ、スタジアムの外で彼らの一人に付き添い、理性が情熱の奔流を鎮めている日常の振る舞いを見守れば十分だ。我々人間という存在は、この相反する二つの素材から成っているのである。
人種差別のような問題に対する社会の感受性は、ここ数年で確かに高まった。しかし、今回もまた、フットボールがあらゆる社会変革において「遅れてやってくる」存在であることを露呈した。
件の試合中に反人種差別のプロトコルが発動されたが、それは所詮、善意に基づいた形式的な振る舞いに過ぎず、問題の核心に触れることなど不可能だ。UEFAは翌日に調査を開始したが、当局の官僚的な審議によって、誰かの口を覆うユニホームを剥ぎ取ることなどできはしない。
幸いなことに、FIFAのジャンニ・インファンティーノ会長は「悲しみと衝撃」を表明し、いつものように力強い演説を行う好機を得た。
「人種差別にノーを!あらゆる差別にノーを!」
これほど立派な市民意識のデモンストレーションを前にして、インファンティーノがプレスティアンニに「平和賞」を授与するような事態にはならないと知り、私は胸をなでおろしている。
ベンフィカは、自軍の選手の過ちを潔く認め、その教育と、ひいてはすべてのフットボール選手の啓蒙に協力することで、良識あるクラブとして歴史に名を刻む絶好の機会を逃してしまった。
フットボールが「普遍的な価値」よりも「身内の保護」を優先させるたび、この競技は、自らが映し出すべき社会の歩みから取り残されていく。UEFAは制裁を下すかもしれないが、真の救済は法的な手続きではなく、文化的な変容の中にしかないのだ。あるクラブが、品位を失うくらいなら試合に負けることを選ぶようになった時、フットボールは初めて「成熟」という名の飛躍を遂げるだろう。
それまでは、我々はユニホームを着たまま思考し続けるしかない。...あるいは、ユニホームでその口を塞いだままで。
文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳●下村正幸
【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。
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