撮影が行われたのは2024年3月から5月の約2か月間。新宿や渋谷、神楽坂といった“東京”はもちろん日本各地で行われ、フレイザーも日本に長期滞在。緻密な役づくりと撮影に臨み、心に響く名シーンの数々が生まれた。この異例とも言える日本ロケは、ロケーション撮影が円滑に行われるための支援を行う各地のフィルムコミッションの尽力のもと実現できている。そして、“撮影が難しい都市”とも世界的に呼ばれる東京でのロケ撮影をサポートしたのは、東京都内での映画・テレビドラマ等の円滑な制作を支援する東京都の窓口「東京ロケーションボックス」だ。

MOVIE WALKER PRESSでは、来日中のフレイザー&HIKARI監督に直撃取材を敢行!本作の舞台を“東京”にした理由から、ロケ撮影の難所で撮影できることへの想い、神楽坂での実在するお祭りを大規模ロケで再現した「化け猫フェスティバル」のシーンの裏話など、キーパーソン2人の言葉から東京でのロケ体験に迫っていきます。
■「日本の東京で撮影すると知って完全に心をつかまれました」(フレイザー)

――本作の舞台として、日本、そして東京を選ばれた理由を教えてください。
HIKARI「レンタルファミリーというビジネスが日本に実在することから、『舞台は東京だな』と最初からイメージしていました。日本各地にレンタルファミリーの会社はありますが、東京は大都市ですし、電車に乗っていると、表情の暗い人や突然ぶつかってくる人がたくさんいる。つらい想いをしている人が多いんだなと感じる街だからこそ、“孤独”というテーマを切実に描けると思いました」
――フレイザーさんは脚本を読んでどんな第一印象を持たれましたか?
フレイザー「とても独創的で、過去に読んだ脚本とは異なると思いました。そもそも僕はレンタルファミリーというものを知らなかったので、それがなにかを知りたくなった。つまり、その時点で引き込まれていたんです。家族をレンタルしたらなにが起こるのか。誰が、なぜレンタルするのか。従業員たちはなにを得るのか。彼らは偽物なのか本物なのか、その両方なのか…。疑問の答えを知るには、この映画に出るしかないなと(笑)」

――日本での撮影にはどのような想いがありましたか?
フレイザー「実は、日本の東京で撮影すると知って完全に心をつかまれました。20年以上、いつか日本で仕事をしたいと密かに夢見ていたんです。ただ、どんな映画がふさわしいのかが想像できなかった。けれど、脚本を読んで『これだ』と思ったんです」
――東京でのロケ撮影は難しいと言われることも多いですが、実際に撮影してみて、どのような印象が残っていますか?
HIKARI「東京はどこを撮っても絵になる街。どこにカメラを入れても必ず発見があるのがとてもおもしろい。楽しい経験をさせてもらったので、もっともっと東京で撮りたいですね。その一方で、やはり大変なのは“移動”でした。実際に撮影できる場所が限られているし、全編ロケだと現場に行くまでにどうしても時間がかかるので、スタッフは本当に大変だったと思います。制作部をはじめとした皆さんがすごく頑張ってくれました」
フレイザー「東京は非常に活発な街で、それが“東京らしさ”だと思います。これほど忙しく動き続けている場所で映画を撮る以上、いかにカメラを移動させ、撮影を成立させるかが課題。けれど幸い、この映画の撮影監督はタカ(石坂拓郎)でした。彼は『ロスト・イン・トランスレーション』に携わり、当時最先端の撮影を経験していたんです。デジタルカメラを駆使し、より速く、細やかに動き、こっそりと撮影することさえして映画を完成させていた。その体験があったからこそ、この映画では“東京”という街を1人の登場人物として描くことができたんです。どんな脚本にも物理的な問題はあるものですが、東京よりもこの物語を魅力的に描ける街はなかったでしょう」

――そんな東京でのロケ撮影は、ロケ地探しから撮影当日まで様々な形でサポートを行っている「東京ロケーションボックス」をはじめとした、フィルムコミッションの支援のもと行われたそうですね。
HIKARI「日本と海外の製作での受け入れられ方の違いで、特に東京といった“大都会”でのロケでは撮影隊が戸惑うことがあるんです。そんな時に、実際にいろんなロケ地を見せてもらえるのが私たちはすごく助かります。監督が思っているところと違う場所でも、『ここおもしろいやん!』と新しいアイデアになることもあります。東京を知っているのは本当に皆さまなので、ぜひどんどんアイデアを提供していただきたいですね」

■「『一緒にやりたい』という想いから団結しているのを感じられてうれしかった」(HIKARI)
――東京で大規模なロケが行われたのは、神楽坂での「化け猫フェスティバル」のシーンだそうで、とても印象的な場面でした。HIKARI監督が「神楽坂で本当にロケができるのなら、これほどありがたいことはないです」と仰っていたことも、小泉朋エグゼクティブプロデューサーよりお聞きしています。映画のメインビジュアルにもなったこのシーン、撮影はいかがでしたか?

HIKARI「エキストラの皆さんが2〜300人ほど集まってくださり、たった1日で撮影するという段取りだったのでクリアすべきハードルも多かったんですが、皆さんのおかげで実現でき、大好きなシーンになりました」
――「東京ロケーションボックス」と神楽坂商店街の皆さんの尽力のもとで実際のお祭りを再現して、本来は10月に開催されるお祭りを3月に撮影されたんですよね。
HIKARI「そうなんです。実際に化け猫フェスティバルを開催されている方々が集まってくださいました。私は阿波踊りも大好きなので、阿波踊りのチームにも参加していただき、メイクをしたうえで踊ってもらっています。背景で流れている『ヨイヨイ』という声も、その場で録音したものを使っているんです」

フレイザー「エキストラの皆さんは全員ボランティアでしたが、『これが私たちの仕事、私たちは猫だ』という意識で演じてくださいました。彼らがすばらしい衣装を身につけ、街中で歌い踊る光景に心から興奮しました。日本のエキストラは世界一だと、僕は本気で思っているんです」
HIKARI「日本のエキストラの皆さんは本当にすばらしいと思います。『一緒にやりたい』という想いから団結してくださっているのを感じられたことがうれしかったです。しかもボランティアで出演していただいて、『ありがたい』という言葉では足りません」
フレイザー「映画の冒頭でフィリップが葬儀場を訪れ、本物のお葬式だと思い込むシーンがあります。あの場面でも、エキストラを含む役者たち全員が、僕とフィリップに『誰かが亡くなったのだ』と思わせてくれました」
――ちなみに撮影の合間、東京ではどのように過ごされていましたか?
フレイザー「街をぶらぶら歩き回っていました。最高のたまごサンドを見つける旅をしていたんです(笑)。セブンイレブンにしろ、ローソンにしろ、全部を試してみようと思って」

――たまごサンドですか?
HIKARI「日本のたまごサンド、海外で有名なんですよ」
フレイザー「東京を端から端まで食べ歩いてやろうと思ったんです。なぜなら街を知る一番の方法は、そこに住む人々がなにをどのように食べているのかを知ることだと思うから。彼らがどんな言葉を使い、どんな冗談を言い、どんな距離感で人と付き合うのか。そういうところから、その街が見えてきます。もちろん、美術館や公園、神社、チームラボのミュージアムなどにも足を運びました」

――長期滞在を経て、東京という街への印象は変わりましたか?
フレイザー「より個人的な場所だと思える街になりました。例えば、窓から外を見て『港区はどこかな、自分のアパートはあの辺かな』と思える。僕は方向音痴なのですが(笑)、それも日本では問題になりません。道に迷っていると誰かが手助けしてくれ、目的地まで連れて行ってくれて、しかも見返りを求めない。その寛大な精神は、僕が住んでいる場所では当たり前のことではありません。そのことに胸を打たれました」
――お2人から見て、東京という街のおもしろさはどんなところにあると思いますか?
HIKARI「街そのものがおもしろいですよね。電車に乗っているだけでも、本当にいろいろな人がいる。日本人だけでなく、様々な国の人がいて、『この人はなにをしているのかな?どんな仕事をしているんだろう』と思うんです。『この人たちはどんな組み合わせなんだろう?』とか(笑)。人間観察が楽しい、人を見ているだけでおもしろいですね」

フレイザー「宝石のような街。完璧なのに、ほんの少しだけ欠点があり、ユニークで価値がある、永遠に残る街。行動の選択肢もたくさんあり、カピバラをレンタルすることも、ゲームに出てくるカートをレンタルすることもできる。望めば家族だってレンタルできる。この物語が生まれた場所として、東京はやはり特別だと思います」
取材・文/稲垣貴俊
