永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。今回は鳩山由紀夫(下)をお届けする。
“略奪婚”から始まった政治家・鳩山由紀夫
鳩山由紀夫と元タカラジェンヌの妻・幸の結婚に至る経緯は、以下のようなものだった。幸(芸名・若みゆき)は芸歴5年で宝塚歌劇団を退団、米サンフランシスコで繁盛していた日本料理店「蝶々」オーナーの義弟と見合い結婚した。相手は幸より7歳年上で、彼女が店を手伝っていたことが縁だった。
当時、この「蝶々」には俳優のクリント・イーストウッド、映画監督のフランシス・フォード・コッポラなど各界の著名人も多く足を運んでいたが、幸は安定した生活から真の満足を得ることができなかった。
そうした“欲求不満”を抱えた幸の前に現れたのが、東京大学工学部を卒業して米スタンフォード大学に留学していた鳩山である。じつは、2人はそれ以前から顔見知りで、幸が帰国した際、共通の知人の紹介で出会っており、それ以来、鳩山は幸が“忘れ難い人”になっていた。
久しぶりに「蝶々」で再会したことで、鳩山の思いは一気に高まり、以後、連日のように店に通った。
のちに、幸は講演などで「私が再婚する際も、夫は『みんな独身女性のなかから相手を選ぶが、僕は全女性のなかから選んだ』と言ってくれた」とノロケていたが、鳩山の情熱がしのばれるのである。
こうした情熱に幸も応え、やがて結婚相手と別居、米国で鳩山と同棲生活に入った。その後、結婚まで2年ほどを要し、2人はようやく米国で式を挙げた。昭和48(1973)年3月のことである。既婚女性と正式に結婚までたどり着いたが、現代風に言うなれば「略奪婚」でもあった。
ちなみに、父親の鳩山威一郎は自身に艶聞が多かったにもかかわらず、頑としてこの結婚を認めなかった。母親の安子だけが渡米し、挙式に立ち会ったという。
【歴代総理とっておきの話】アーカイブ
70%の支持率を集めた鳩山内閣の失墜
夫妻はその後に帰国、鳩山はやがて学者から政治家に転身することになる。
『鳩山一族』(伊藤博敏著・ぴいぷる社)には、以下のような一文がある。鳩山の知人が、幸との結婚で生まれた自信が、鳩山を政治の世界に向かわせたと、証言しているのである。
「鳩山は、自分が政治家に向いてないと思っていました。しかし、鳩山家には、政治家にならなければ一人前でないような、そんな無言の圧力があるんです。鳩山が『俺も』と思ったのは、幸さんが自信をつけさせたからですよ。彼女の『あなたなら大丈夫。心配しないで』という一言が、政治の道へ向かわせたのだと思う。方向を決めたのは鳩山本人ですが、それを決断させたのは幸さんです」
その幸は鳩山が首相に就任する直前、週刊誌のインタビューを受けて、夫婦円満の秘訣を含めた「夫操縦術」の一端を語っている。
「これまでの家族のあり方を変えるところから、新しい政治はスタートすると思っています。〈中略〉例えば、朝に顔を合わせたとき、元気よく『おはよう!』と言ってみる。ご主人が出かけるときは、『今日もかっこいいね』と声をかけてみるとか、とにかくご主人が驚くようなことを、妻の側からやってみることが必要だと思います。〈中略〉鳩山も言ってますが、家庭にいちばん必要なのは『愛』ということです」(『女性自身』平成21年8月4日号)
夫婦関係も政治もまた同じ、幸はこれこそが鳩山家伝来の「友愛精神」だと言いたげだった。
しかし、首相就任時、長い自民党支配に飽きた国民から「新風」を期待され、じつに70%の支持率を集めた鳩山内閣は、政権発足から早くも3カ月で世論の失望を買うことになった。
自民党とは一線を画した「政治主導による脱官僚」と「行政の無駄排除」を2枚看板としたマニフェスト(政権公約)を高々と掲げて、鳩山自身「2期4年、党の代表と総理を続け、なんとかマニフェストを実現させたい」と意気込んでいたにもかかわらず、目に余る凋落ぶりである。
